第598話 軽佻浮薄な彼

 妖精アンドリューは空中を楽しそうに歩いていた。

 器用なものだと、僕は感心する。

 彼はまるで風の中で地面を歩くように衣服をたなびかせ、存在しない地面を踏みつけるたび靴を変形させていた。

 ただ浮遊するだけで十分なところ、実務的に必要がない詳細な表現は彼が全て能動的に行っているはずで、それもアンデッドには不要な筈の呼吸の胸の動き一つに至るまで再現されている。

 これを無意味というのは簡単なのだけれど、彼の魔法を操る表現力というのは突き詰めればこの様な、常に端々まで行きわたらせたこだわりが底にあるのだ。

 

「ねえ、アンドリューさん」


 それを見ながら盗賊のレナートが尋ねる。

 

「アンドリューさんって、その……なんらかの分身なんですよね?」


「なんらかって……僕は僕の分身だよ。もっとも、常に意識は通じているからどちらが本体みたいなことはないんだけどね。僕くらいの術師になれば同時に複数の場所に存在できるんだ」


 なるほど。

 魔物の中には明らかに同一個体が分裂して立ち塞がるものもいる。

 おそらくはアンドリューの言う様に自らを分けて、まさしく分裂しているのだろう。


「いや、本体のアンドリューさんはどこにいるのかなって」


 ガッツリ怒られて懲りたのかもしれない。レナートは愛想笑いを浮かべながら質問を重ねた。

 

「僕がどこにいるかって、まだずうっと先さ」


 アンドリューは誇らしげに胸を張り、行く先を指差す。


「やっぱり、そこまで行くといろいろ環境も違うもんですか?」


 レナートの質問に、はて、とアンドリューは首を傾げた。

 

「同じ場所なんてどこにもないんじゃないかな。ただ、求める環境にはどんどん近づいていくよ」


「求める環境って?」


 横で聞いていた僕も思わず口を挟んだ。


「魔法の神髄」


 アンドリューはあっさりと言葉を返す。

 

「あるいは真実といってもいいかも。魔力は濃厚になり、敵も強くなる。僕が最終的に辿り着きたかったのはこの先なんだと、強く思わせてくれるよ。この迷宮の奥底に辿り着いた時、僕は何を見ることになるか。今から楽しみでたまらないよ。もちろん、その時は君も親友として横に立っていてね」


 それはどうだろう。


「僕も魔法使いの一人として、確かに魔法の神髄なんてものには興味もあるけど、でもアンドリュー。きっと僕はそこに辿り着けないと思うよ」


 これは事実であり、地上の常人から見れば怪物の枠には収まる成れ果ての僕たちにだって格差は常に付きまとう。

 前衛の三人でいえば、怪物の度合いは圧倒的にノラが強い。

 僕自身、たとえばアンドリューとは比べるべくもないのだ。

 ということは、同じ道中を辿れば彼がたどり着く旅路の果てのずっと手前で僕は脱落してしまうことになるだろう。

 もちろん。時間をたっぷり使って、安全な道を踏み続けるという考え方はあるだろうが、それだって迷宮の気まぐれで何者かに突然食い散らされて終わるという場面も十分に考えられる。

 なにより実力がモノをいい、それ以外のことは勘案されない。それがこの迷宮であるのだ。

 だが、アンドリューに僕の思考は伝わらない。


「ううん、確かに同行する連中がこれじゃ頼りないよね」


 そういう意味での発言ではないのだけど、アンドリューはそう言うと無遠慮に他の仲間たちを見回した。


「そのさ、ノラだっけ。それだけ残してあとは交換だね」


 そもそも、レナートたちとは一時的な同行者として手を結んだに過ぎない。

 

「いや、僕も会いたい人はいるんだ。その人たちと会えたらパーティを組むつもりなんだよ」


「ふぅん、どんな人たち? 僕が殺しちゃってなきゃいいけど」


 確かに、彼は遭遇した者に等しく死をもたらすリッチだ。そう簡単にやられるとは思わないけど。


「一号っていう魔法生物と、ウルエリっていう僕の魔法の師匠なんだけど……」


「……」


 僕が言うと、アンドリューは渋い表情を浮かべた。


「ウルエリって言えば僕が人間だったころ、名前は聞いて会ってみたかったけど、会えなかった魔法使いだよね。そっちは多分、会ってない。でも、一号には会ったよ。テリオフレフの似姿をした魔物だね」


 一号がアンドリューと遭遇したと聞いて、僕の心臓が強く鳴る。

 

「戦ったんだけど、引き分けちゃった」


 不満そうな物言いに、僕は胸をなでおろす。

 

「あのぉ、アンドリューさんは元々人間なんですか?」


 レナートが横から申し訳なさそうに口を開いた。


「そりゃあ、そうだよ。リッチには自分で成ったの。彼に殺された時にね」


 アンドリューの小さい手は僕を指差していた。


「え?」


 レナートの怪訝な目つきは、今度は僕に向けられる。


「あの……アーさんがアンドリューさんを殺したんすか? 親友同士だったんですよね?」


 確かにそれだけを聞けば僕がとんでもない存在に想えてしまう。

 しかし、真実は彼女が受け取ったであろう印象とは大きくかけ離れていたはずだ。


「違う違う、その時は僕とアンドリューは敵同士だったんだ」


「僕はもう通じ合うところのある友達だと思ってたよ」


 嘘つけ。

 しかし、価値観のおかしいアンドリューを相手にしても仕方がないので無視して説明を続ける。


「アンドリューは僕を殺そうとして、迷宮に逃げ込んだ僕を追いかけて来たんだよ。それで迎え撃ったんだけど、その時には僕の妻が戦死している」


 これを言えば僕が友人を殺す悪漢とは思われまい。

 しかし、レナートは一層首を捻って不思議そうな顔をする。


「そんで、アーさんは自分の嫁さんを殺したアンドリューさんを殺して、それから二人は親友同士? それって、どんな関係?」


 そんなものは僕が聞きたい。


「今は敵じゃない。それだけしか言えないよ」


 その時々で彼との関係は変わり、一貫して苦手であるけれども、今は必要な存在でもある。

 僕はかろうじてそれだけを言い、苦笑を浮かべるのだった。

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