第528話 礎の旅人

 城壁の上までやってくると、やはり昨日よりは閑散とした戦場が目に入る。

 それでも数千人は眼前に押し寄せているし、こちらも銃兵隊以外は全力で応戦していた。

 

「おう、隊長さん。やっと起きたんかい!」


 銃を片手にしたハメッドが大声で怒鳴る。

 

「今日はお客さん少ないからよ、ワシらは弓やら投石やらの連中に的を絞ってやってんねん」


 なるほど。それで散発的な銃声になるのだ。

 前日はとにかく構えると同時に撃っていたものが、今日はよく狙っている。

 限りの有る銃弾を有効に使いたいのだろう。

 事実、直接的に攻めてくる連中は一般兵の対応で十分に間に合っていた。

 

「メッシャール軍はなんで昨日よりも少ないんですかね?」


「さあな。怖じ気づいたんか、他の考えがあるのかどっちやろな。昨日、ようけ死んどるから怖じ気づく線も十分にあるけど、いずれにせよこっちゃ待つしかないわな」


 言いながらハメッドは傍らの水筒を口に運ぶ。

 ほんの六十名程度の銃兵であるが彼らのお陰で有利に戦えていることは間違い無い。銃弾が尽きたあとの戦場を考えると気が重くなるのだった。


 ※


 僕はハメッドと別れ砦の中を歩いて回った。昨日よりも落ち着いた兵士たちが淡々と取り付いた敵兵を処理し続けている。

 と、左翼の方で細長い木の棒を振り回して掛けられた梯子をひっくり返している男が目に付いた。

 器用に梯子を払い、登ってくる敵を的確に突き落としている。

 なかなか慣れた動きだ。などと思っているとその横顔に見覚えがあった。

 束ねた白髪交じりの髪を革製の帽子から垂らし、皮鎧を全身に纏っている。

 口は楽しそうに綻んでいて、目はギラギラと光っていた。

 青く残る髭の剃りあとは間違いない。

 

「お知り合いですか?」


 その男を見つめる僕に、ゼムリが小声で聞いた。

 いや、知り合いと言うほど親しくもない。


「なんでもないよ。行こうか」


 僕が促すとゼムリがその男を見ながら足を進めはじめた。


「やあ、ア師じゃないですか!」


 そっと去ろうとした僕の背中に、男が声を掛けてきた。

 どうしようかと一呼吸悩んだあと、僕はそちらを振り向いた。


「やあクロアート。こんなところで奇遇だね」


「いえ、私はア師を追ってここまで来たのですよ。今朝着いたので、戦列に加えさせていただいています」


 言いながらも手にした木の棒は器用に侵略者たちを打ち払っていた。

 教授騎士ディド配下の達人級僧侶にして巨大な頭痛の種。『東部書簡連盟』所属の僧侶は案外と肉弾戦もこなせるらしい。

 

「もう少しで落ち着きそうですので、少々お待ちください。いやあ、それにしても今日は本当にいい日だ!」


 額に浮かぶ玉の汗と開いた瞳孔。

 彼は完全に薬の作用下にいた。


 ※


 クロアートの言うとおり、少しして敵の攻撃は落ち着いてきた。

 城壁近くの敵兵が一時的にバラバラと撤退していく。

 次の攻撃に向けて部隊を再編成するのだ。

 

「すぐにまた来るでしょう。怪我をした方はいらっしゃませんか?」


 クロアートは周囲の兵士たちに大声で呼びかけてから、重傷者がいないことを確認すると僕の方へ歩いてきた。

 異様な雰囲気の男を警戒してゼムリが間に立ってくれるのは適切な判断だろう。

  

「一別以来でしたね。あの時は大変失礼を致しました」


 クロアートと僕が最後に会ったのは僕が教授騎士の頭領になった際のもめ事で、どういう流れからかグランビルに雇われてやってきた彼と対峙したのだった。その時は結局、カロンロッサの奥の手で彼は石化されてしまい、迷宮に置き去りにされた。

 後にディドが救出に行ったことはカロンロッサから聞いてはいたが、カロンロッサも「お互いのために放っておけばいいのに」などとぼやいていたのを覚えている。


「いや、いいんだけどね。君はこんなところでなにをしているの?」


 半分、回答のわかっている質問を投げかける。

 まったく素知らぬ顔で無視を決め込むほど知らぬ仲ではないし、かといって定型的な会話文をのぞいて話題などない間柄なのである。


「ディド先生からしばらく旅に出よと命じられまして。そうなれば『礎の旅人』たる私は戦場を歩くことで修行となりますから、ここへやってきたのです」


 どこか嬉しそうなのは、戦場にいる間は誰はばかることもなく件の秘薬を味わえるからだろう。

 

「いつぞやは敵として相見えましたが、今回は味方です。私の力が必要な時はいつでも声を掛けてください」


 その内容が危険な程、薬を使用する理由としてはいい。

 そんな言外の視線がこちらに向けられていた。


「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。いろいろ見て回りたいし」


 気まずくなって、僕は強引に話を切り上げた。

 城壁の向こうからは編成を終えた敵の部隊が再度突進して来ている。

 クロアートは長棒を掲げると、喉が乾くのか荒い息を吐きながら城壁防御に戻っていった。


「なんだか迫力のある人でしたけど、ご友人ですか?」


 ゼムリがクロアートの背を見ながら呟く。


「いや、二回くらい会ったことが有るだけの人だよ。迷宮都市ではあの人の話を真面目に聞いていると怖いお姉さんがやってきて怒るんだ」


 僕が冗談めかしてカロンロッサの説明をすると、ゼムリも年齢相応の表情を浮かべて笑うのだった。

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