第448話 巨人の影

 力を行使してしまったという事実と、成り行きを見つめる難民たちの視線に少し息苦しくなった。

 彼らの面倒を見るということは、決して女衒を追い払うだけでは終わらない。

 必要なことは彼らに希望を与え、絶望させないことだ。

 そう思えば、いくつかの手順が浮かんでくる。

 食料や寝具を始めた物資の確保と、宿舎の手配。それに仕事の割り振りである。

 もっとも短期的には今晩の寝床の確保か。

 

「サンサネラ、彼らを僕の役宅に案内してもらっていい?」


 教授騎士の屋敷には立派な家屋も、生徒用の宿舎もある。

 頑張って押し込めば百人は雨風を凌げるだろう。

 

「んん、いいよ。彼らの為にあがいてみようじゃないか。もちろん、彼らにもあがいて貰うがね」


 にんまりと笑い、サンサネラは難民たちに手を振った。


「難民の皆さん、こんにちは。ここにいる小さな彼はアナンシさん。この都市でも随一の冒険者だよ。『魔物使い』ともあだ名される凄腕さ。アッシはアナンシさんに使役される哀れな魔物だ。アナンシさんが皆を助けたいというから、アッシもあんたらの為に手を尽くす。しかし、この中にもズル賢いのはいるだろう。そういうのに伝える。少なくとも、アナンシさんの庇護下にいるうちは我慢しとくんだね。もし、アナンシさんの顔に泥を塗る様な輩には、アッシが闇夜に近づいて……」


 サンサネラはそう言うと、おどける様に舌を出して爪を誇示する。

 多分に冗談めかしてはいるのだろうけど、珍しい猫の亜人に、それも巨躯の黒猫に難民たちは真剣な眼差しを向けていた。

 しかし、随一の冒険者とは大きく出たものだ。多分、僕の緊張を和らげるための冗談だろうけど。おかげで落ち着いて、周囲を見回す余裕が出来た。

 若い人が多い。

 青年、比較的若い女性。老人や子供もいるが、少数である。

 体力のない者はこの都市まで辿り着くことが出来なかったのかもしれない。

 彼らを襲う絶望はいかばかりだろうか。

 僕は出来るだけ、大きく息を吸った。

 

「現在は激しい物資不足ですが、じきに回復する見込みです。そうなれば皆さんは様々な仕事を得ることが出来るでしょう。苦しいのは今、ほんの短い間だけです」


 希望を失えば人はたやすく死ぬ。

 それが空手形でも、まずは彼らにあたたかな未来を見せるのだ。

 

「また、皆さんは美しい故郷を失ってしまいました。破壊され、奪われ。私も妻が北方領の出身ですので、気持ちは痛い程に理解できます」


 生きるためのエネルギーは怒りだってかまわない。

 怒るほどの元気が残っていなくても、心ならず離れた故郷を思えば心も動かされる人もいるだろう。


「この都市の御領主様は私の知人であり、皆さんの為に必ず北方を奪い返すとおっしゃっています。その際は、皆さんの力を頼りたいとも。剣を振るい、蛮族を追い払う兵士として。鎧や矢弾を作り出す職人として。あるいは、食料や物資の運び手として。つまり、この都市は皆さんを必要としているのです。そうして、働きには報いが与えられるのがこの都市の最大の美点でもあります」


 新設される軍隊に入れば当面は衣食住に困らない。

 戦死という結果は付きまとうが、まずは今である。


「アッシやアナンシさんの様に迷宮へ入って大きく稼ぐ手もあるが、こちらは勧めないね」


 サンサネラが歩み出て、大声で言った。


「ほとんどが死ぬ。腕に自信があるのなら、その道も教えないじゃないがね。蛮族ぐらいに蹴散らされ、盗賊程度から隠れて逃げて来たんなら、自信の方を疑った方がいい。ちなみに、アッシやこのアナンシさんなら盗賊団の一つや二つ、一人で潰せるんだよ」


 組合員の増加と政治力の強化を目指す冒険者組合も甘い言葉を吐いて難民から志願者を募るのだろうから、こういうことは先に言っておいた方がいい。

 もちろん、ほとんどの冒険者はその程度からスタートする。そうして一人前になる前にほとんどが死ぬ。

 僕たちの説明に対して難民たちは互いに目を見合わせ、沈黙を貫いていた。

 

「さて、行こうか。怪我なんかしてる人がいたら言っておくれ。アナンシさんが治してくれるだろうから」


 サンサネラはそう言って難民たちをゾロゾロと連れて行った。

 その場にいたほとんどの者が着いて行ったものの、数人は残って空を見上げている。

 誰もが僕に従うわけではない。無条件に信頼を得られるわけでもない。

 もっと上手い説明なんかがあったのかもしれないが、今回はそれが出来なかった。

 ため息を吐きながら、僕は広場を後にするのだった。


 ※


 僕にできることはなんだろう。

 そう考えた時、案外とできることは限られているのだということに気づく。

 冒険者としては上級と呼ばれる僕であるが、無限の財産を有しているわけでもなく、空間からパンをいくらでも取り出せるわけでもない。

 それは魔法ではなく、僕に最も無縁な奇跡の領分だ。

 ただ、魔法使いとして戦えることと、教授騎士として生徒に戦い方を教えるくらいがどうにか出来る。が、それで直接的に腹を満たすことは出来ない。

 例えばガルダは、あるいはブラントだって縦横無尽にこの都市で動き回っていたが、よく考えれば彼らの能力だって有限だった筈である。

 それどころか、単純な戦闘能力なら彼らより優れたものが大勢いた。

 にもかかわらず、彼らが巨人の様に影響を及ぼせたのはなぜか。

 他人の力を、自らの意に添うようにコントロール出来たからである。

 急に訊ねた僕をネルハは快く迎え入れてくれた。

 

「ご主人様、お久しぶりですね」


「やめてよ。君はもう奴隷じゃないし、僕は君の主人じゃない」


 本当に短い間、彼女は僕の所有物だった。

 それは間違いないのだけど、それだって混乱の産物だし混乱の内にいろいろと状況が推移し、彼女は僕よりも早く奴隷の身分から解放された。ガルダと結婚して。

 それ以降はほとんど顔を合わせることもなく今に至っている。

 だから、互いのイメージを更新せずいたのだ。

 だけど。


「お元気そうでなによりです」


 そう言ってほほえむネルハは、驚くほど大人びており、そうしてやつれていたのだった。

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