第221話 浅い夢

「じゃあ、ずっと前から避けられていたんだろうな」


 シグに言われて僕はハッとした。

 確かに、僕とゼタは同じ都市に住んで同じ迷宮に潜っているのだ。迷宮への道中だって、買い物の時だって、散歩中だって遭遇しておかしくないのに、顔を合わせることはなかった。

 

「でも、避けられるような心当たりないんだけどな」


 僕は根菜の煮物にフォークを刺しながらボヤく。

 場所はいつもの酒場で、昼食と夕食のちょうど真ん中くらいの時間帯ゆえか、ほとんど客はいない。

 シグは豚肉の煮込みから具を拾い上げると、パンに載せて大きな口で頬張った。

 僕がシガーフル隊を離れたあとも時々、二人で会ってはこうやって『情報交換』を行っており、今日もその日だった。

 シグはビールでパンを飲み下すと、指についた肉汁を行儀悪くなめながら僕の顔を見た。


「お前にはなくても相手にはあるんだろ。ほら、お前ってあんまり他人の心を読まないだろ」


「そんなことないよ。僕くらい周りを気にして見ている人間もそんなにいないんじゃない?」


 僕が反論すると、シグは苦笑を浮かべた。

 

「お前がいつもやってるのは周囲の観察と損得計算だよ」


「失礼な。僕はそりゃ、感情の起伏は表に出さないけど、それは状況が状況だからで……」


「だから、そのゼタって女とお前が一緒にいた頃って一番状況が悪いころだったんだろ。俺だって、出会った頃のお前とは友達になってないよ」


 なるほど。確かにそうかもしれない。

 今は例えば信頼できる友達もいて、愛する妻もいる。

 ある程度の理不尽に抵抗する力も身についてきたのだけど、育成機関で生徒をしていた頃はそのどれもを持っていなかったし、好意的な同級生であっても、どうせすぐに離ればなれになるのだからとたいして興味を向けていなかった。

 それはそれとして、僕はフォークを延ばしシグの皿から大きな豚肉の塊を自分の皿に移す。


「あ、こら何やってんだ」


「いや、シグの発言自体はもっともだと思うんだけど、ちょっと傷ついたから慰謝料代わりと言うことで」


 シグの反応も待たずに僕は肉を口に放り込む。

 

「待て待て、食事代は俺持ちなんだぞ。多少の失礼があっても我慢しろよ」


 シグは不満を述べて眉間に皺を寄せるのだけど、本気で怒っていないことくらいは他人の心を読まないらしい僕にだって分かる。

 と、不意に背筋が泡立った。

 動きが止まった僕にシグがいぶかしげな顔を向ける。

 

「ん、どうした?」


 やや心配そうな表情。

 そう、シグは僕の友達だ。互いに好ましく思い、心配もする。僕にとっては生まれて初めての友達。

 ゼタにとってワデットがそうだったとしたらどうだろうか。

 ワデットは死んでしまった。

 シグが死んだら、なんて考えたくもないのだけど、僕は無様に取り乱すのだろうか。

 

「いや、最近はシグの活躍をよく聞くなと思って」


 想像しただけで鼻の奥がツンとなった僕は無理矢理に話を曲げて誤魔化した。

 だけど、これも食事の前から考えていた話題である。

 シガーフル隊は先月、ついにイシャールを打ち倒し、メンバーは達人の称号を手に入れた。これにより、冒険者組合は彼を広告塔として使うことに決めたらしく、シグは数日に一度の割合で冒険者志望者向けの演説を行っている。

 冒険者の人集めは近頃、拡大していて説明会も都市内にとどまらず、近隣農村、果ては遠隔地の大都市でも催される予定だという。

 体制側に反発せず、理性的で柔和な性格、見るからに頼もしい体つきに加えて顔も悪くない。そんなシグは英雄に祭り上げられるにふさわしい存在だと僕も思う。


「勘弁してくれよ。俺はこの都市をあんまり出たことがないんだ。うんざりするよ」


 口ではそういいながら、悪い気はしていないようだ。

 多忙により、迷宮に入る時間が減ることも不満のようだけど、それだって彼のためにはいいのじゃないかと僕は思った。



「長期の旅か、楽しそうだね」


「おまえも来るか?」


 僕のなんとなくの言葉に、シグは即座に返答した。

 邪気のないシグの言葉に僕は詰まる。

 彼と行く旅は楽しかろう。それは想像するだけでまぶしく輝いて僕の目を焼く。

 

「行けないよ」


 でも無理だ。僕は奴隷でこの都市に縛り付けられている。

 余所から連れてこられた僕がこの都市から離れられず、この都市で生まれ育ったシグが出て行こうとしているのは皮肉なことだ。


「ビーゴは私費でついてくる気だぜ。ずっと旅程の探りを入れてくるし」


 シグが渋い表情を浮かべた。

 ビーゴもこの都市の、それも富裕層で生まれ育った男だ。ブラントの元で達人の称号を取得した後も結局、軍には入隊せずにシガーフル隊に残っているし、行動の自由は僕よりずっと多いはずである。

 思えば、僕はルガムの故郷を訪れて山賊を皆殺しにする約束も果たしていない。

 ギーからはいつか一緒に故郷を訪ねるように言われている。

 ステアをガイドに北方領を見て回るのも素敵だろう。

 パラゴについて行ってヘイモスの墓参りもいつかはやりたい。

 それもこれも、全部まとめて果たせればどんなに幸せだろうか。

 皆で一緒に旅に出て、世界中をこの目で見る。

 当然、メリアや子供達も連れて行こう。モモックも置いて行くのは危なっかしい。

 そうすればきっと、怖いものなんてない。

 

 ただ、他の全員と違って僕だけがそれについて行けない。

 僕は静かに下唇を噛んだ。

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