第216話 談判

 しばらく一緒に歩くかというロバートの誘いを丁重に断り、僕たちは別れた。

 こちらにまで執着されてはたまったものじゃない。

 明るく笑いながら、こちらを見送る彼の視線は、角を曲がって見えなくなるまで僕たちに注がれていた。


「なあん、アイツが言いよったのっちゃ、アイヤンの燃やしたキショか魔法使いやろ」


 十分に距離をとってからモモックが口を開いた。

 後を付けられて居るとマズい。僕は慌てて周囲の魔力を探るのだけど、辺りにそれらしい存在はいなくて胸をなで下ろす。

 それでも油断は大敵で、弛緩をいさめたのは当のモモックではないか。


「その話はまた帰ってから」


 僕が小声でささやくと、モモックも理解してくれたらしく口をつぐんだ。

 落ち着かない薄ら寒さに苛まれながら、僕らは早々に都市へと帰還したのだった。


 ※


「よお先輩、珍しいじゃねえか。女でも探しに来たか?」


 冒険者ご用達の酒場で、テーブルの傍らに立った僕に、ガルダは軽口を投げかけた。

 同卓している怪人カルコーマは店に入った瞬間から僕の方を見ているし、無関心に食事を続ける剣士のノラも、ノラに寄り添いノラの方だけを向く小雨も僕の存在に気づかないはずはない。

 僕にどのように接するべきか戸惑っているのはネルハで、頭を下げるものの、ガルダの反応をうかがっている。

 金を持ってからもガルダはこの店で食事をする事を好んでいて、ノラ達を率いてよく訪れているのだけれど、今日がその日でよかった。


「ガルダさん、エランジェスの用心棒だったロバートって人、知ってますよね。今日、迷宮で会ったんですけど……」


 ガルダはおお、と驚いて頷く。

 

「覚えてる。あの変なヤツか」


「殺していないならそう言って欲しかったです」


 僕が不満を表明すると、ガルダは笑った。

 

「アイツ、腕は立つし義理堅そうだったんで説得して手駒に加えられないかと思ったんだが、無理だったな。妙に話が通じねえんだよ。で、どうしようか迷ってる内に逃げられた。なんだ、俺の知り合いって事で襲われたのか?」


「いえ、むしろ助けられました。ガルダさんの事も恨んだりはしていないそうですけど」


 事実として、彼に窮地を救われたのは間違いない。そしてとても気持ちの悪い思いをしたのだ。

 こうしてガルダを探し、わざわざ再会の事実を伝えるくらいに。


「じゃあよかったじゃねえか。俺の善行が巡り巡って先輩を助けたなら、感謝状の一つも受け取ってやっていいんだぜ」


 ガルダはおどけて言うのだけど、そういう問題ではない。


「生きて逃がしたなら、伝えてもらわなきゃ困ります」


 ガルダが言うとおり、僕たちはある面で共犯者である。

 それを知った者なら、恨みの矛先を僕に向けても不思議ではなかった。

 知っていれば必ず切り抜けられるという訳でもないのだけど、斬り捨てられてから後悔はしたくない。


「小僧、文句はそれくらいにして失せろ。飯がマズくなる」


 目を細めたカルコーマが立ち上がった。巨漢の彼と小柄な僕では大人と子供ほどの体格差があって目を会わせようとすればほとんど真上を向かなければいけない。

 ある日突然、ノラとつるみだしたこの大男は思いの外、忠犬の職務を全うしていた。

 異形の肉体を持ち、迷宮に入れば素手で魔物を殴り殺すという怪人に、しかし僕の内面では苛立ちが湧き興る。

 

 今、怒っているのは僕だ。割り込むのは許せない。

 魔力をかき集め、頭脳を高速回転させて戦術を練る。頭を吹き飛ばすか、血液を毒に置き換えるか。

 

「やめろ、死ぬぞ」


 いつの間にかノラが顔を上げて僕を見つめていた。

 隣に座る小雨の手にも短刀が握られ、これ見よがしに机に置かれている。

 ノラの、感情が込められない一言で我に返り、ハッとする。僕は今、ほんの些細な事から有数の強力パーティに喧嘩を売ろうとしていたのだ。

 僕がなにかするよりも早くノラの刀は僕の首をはねるだろうし、小雨の短刀は額に突き刺さるだろう。

 そもそも、カルコーマだってノラが引き連れるのだから恐ろしい使い手の筈で、愚鈍なわけがない。

 やばい。思ったよりも僕の心の変化は致命的なようだ。


「失せろ、小僧」


 カルコーマの手が僕の体を突き飛ばした。圧倒的な体格差で、僕はふらついて体勢を崩す。


 惨めに転んでしまえ。


 頭では分かっているのに、つまずきながらも堪えて転倒を避けた。 

 以前の僕だったら、哀れに倒れ伏して他者の同情を誘ったし、そもそも相手を捜し出して文句を垂れるなど考えもしなかった。


「やめろ、カルコーマ」


 ガルダに命じられ、カルコーマはつまらなそうに鼻息を吐くと、席に戻った。


「悪かったな、先輩。お詫びにおごるからよ、座って好きなもん頼めよ」


 その視線はいつも通りの余裕を湛えており、僕にひどい屈辱を与えた。

 鼓動が跳ね上がり、脳内で興奮と冷静さが織り混ざる。

 どう行動していいのか、全く分からなくなった僕は、軽く頭を下げると逃げるようにしてその場を立ち去ることしか出来なかった。

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