第172話 ブラント邸
迷宮から戻り、ブラント邸にたどり着いた僕たちは宿舎に戻った。
新人たちは疲れ切った顔で各々の部屋に入っていく。
僕も自分の部屋に入ろうとした時、隣の扉が開いていくつかの見知った顔がぞろぞろと出てきた。
「やあ、指導員。ブラント殿はお戻りか?」
「え、ええ」
楽しそうに出て行くベリコガを見送って、その後について出てきたガルダの顔を見る。
「よお、先輩。オツカレさんだな」
「お帰りなさい、ご主人様」
鷹揚に手を挙げるガルダと対照的にネルハは恭しく頭を下げた。
「あれ、なんでネルハが?」
僕の奴隷である彼女はルガムの家に匿っていたはずだ。
「それを説明に来たんじゃねえか。ほら、行こうぜ」
そう言うとガルダは有無を言わせずに歩き出した。
※
練習場では既にベリコガへの指導が始まっており、暗闇になれた僕の目が最初に見たのはブラントの足払いによりベリコガが無様に転ぶところだった。
「先輩には事後報告になるんだが、俺とあのヒゲで二つ、三つほど悪巧みをしていてな」
「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえよ」
ガムシャラに掴みかかったベリコガを制しながらブラントが口を挟んだ。
彼はそのまま会話に参加するつもりらしい。
「お前もキュードファミリーがどんなものか知っているだろ?」
言われて僕は頷いた。
偵察に向かった際に痛めつけられた記憶が脳裏から湧いて出る。
「彼らは大陸西方に根を張る組織の傍流でね。組織全体としてそれはそれは強大な勢力を持っていて、交易の他に傭兵業や暗殺請負まで手広くやっているそうだよ」
ブラントの言葉を聞いてガルダも楽しそうに笑い、言葉を引き継いだ。
「暗黒大陸の開拓なんかもやっていてな、なかなか面白い組織なんだが、残念ながら深い付き合いは出来そうにない」
「王国の財産が少なからず友好的ではない他国に漏れ出ているのだ。王国政府から連中を追放するように領主殿へ密命が下ったのだよ。しかし、領主府としては表だって彼らを排除は出来ない。なんせ小国より立派な兵力と無数の暗殺者を抱えているからね。そこで、表向きは市井の組織である冒険者組合に白羽の矢が立った」
やれやれとため息を吐きながらブラントは立ち上がろうとするベリコガを蹴り倒した。
「さらに冒険者組合からそのヒゲのおっさん個人へ責任が降りてきたというわけだ」
ガルダがオドケたように言う。
ベリコガの振り下ろす剣を避け、滑るように後ろに回り込むと、ブラントはベリコガを突き飛ばした。
「何度も言うがね、総帥殿、簡単に転んではダメだよ」
穏やかな口調で幼子に含めるようにブラントは言う。
彼にとってはガルダとの悪巧みはベリコガへの指導も同時にこなせる程度のものなのだろう。
「しかし、私が乗り込んでいって彼らを皆殺しにするのはやはりマズいのだよ。都市内での無法もよくない上に、冒険者組合に矛が向いても困るし、結局は後難を廃するためにも都市全体として彼らを拒否し、追い出したという形にするのが好ましいのさ」
そう言うブラントの口に笑みが浮かぶ。
「それでな、先輩には悪いが勝手に話を進めさせて貰ったよ」
なぜ僕に悪いのか。彼らだけでやることなら僕に話を通す必要はないはずだ。
でも、この場にネルハがいる以上はそうも行かないことは分かり切っていた。
「まず、ネルハの債権だが俺が金を払って購入しておいた。つまり、もはやこの女はお前の奴隷ではない。その分の金はお前の債権に対して充当されるので、当初の奴隷債権はほぼナシだ。よかったな」
なるほど、借金返済。
その意味がよくわからずに僕はぼんやりとしてしまった。
「それに私への授業料をラタトル氏が立て替えてくれているので、差し引きはほぼないがね」
ブラントが何事か付け加える。
待て、上手く頭が回らない。
ええと、つまりどう言うことだ?
「大変申し訳ないのだがね、君を真の意味で自由には出来ないのだよ。件の魔物を抑えねばならないのでね。しかし、代わりにといってはなんだが、君の授業料については私の方で上手く運用しよう。そうして上がった利益の一部を、君に返す訳には行かないので君の細君に寄贈しようじゃないか」
「ええと、ルガムにですか?」
確かに彼女は金に困っている。僕自身が借金を負っている関係上、おおっぴらに彼女を支援することも出来ないでいたのだけど、この形なら彼女を助けることが出来るのだろうか。
「その予定だが、他に手を着けた女が何人もいるのかね?」
不躾なその質問に僕はどのように答えていいかわからなかった。
と、ガルダが口をひらく。
「とにかく、そんなわけで今からキュードファミリーを都市から追い出す。とは言っても奴らも相当に根を張っているからな、一筋縄ではいかんだろう。現にこちらは後手に回りつつある」
言葉とは裏腹に楽しそうな笑みを浮かべる。
この男の言動を信じるのは危険だと僕の脳内で警鐘がなり響く。
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