第92話 欲求

 ホールの隅には以前、薄布で仕切られたスペースがあった。

 薄布はなくなってしまっているのだけど、さすがに冒険者や盗掘者たちも家具を持ち出す余裕はなかったようで、ソファとベッドは残っていた。

 あの、甘い匂いを思い出す。

 入り口の方から見えないのを確認して、僕は寝具が持ち去られたベッドに座った。

 この部屋でテリオフレフと話してから、長い時間が過ぎたわけではない。むしろ、ほんの少し前のことだ。

 だけどその間にも思いは募っていく。

 テリオフレフに会いたかった。

 胸を締め付ける感傷が涙を押し出す。

 僕は声を殺して一人で泣いた。


「何をしているのですか?」


 声を掛けられて、そちらを見ると小雨が立っていた。

 だけど、誰がいようと今は関係がない。

 僕は顔を覆って泣き続ける。


「どうしたのですか。悩みがあれば聞きますが」


 いつもの不思議な声で、小雨が問いかける。

 聖職者の一員としての行動だろうか。


「……少しだけ一人にしていてください」


 小雨は少しの間、黙って立っていたのだけど、僕が嗚咽を続けていると去って行った。


 数分、彼女たちの事を想って泣くことで僕なりの哀悼の儀式を済ませた。

 今だって立ち向かわないといけない問題が沢山ある。

 彼女の事は忘れられないけど、心の整理は着いた。

 僕はもう二度と訪れないかもしれない彼女の部屋を一瞥して背を向けた。



 ホールの入り口の方ではブラントがまだ蛇の死体を調べていた。

 戻って来た僕をチラリと見て、また蛇に視線を戻す。

 他の面々は所在なさげに座っていた。

 

「落ち着きましたか。さて、お悩みをどうぞ」


 小雨が音も立てずに僕の真横に立っていた。

 いろいろ想うところはあるものの、今へそを曲げさせるのは得策ではない。何か相談をするべきだ。

 悩みはたくさんある。小雨だけに話したいと思うものは一つもないのだけど、丁度聞きたいことがあった。


「皆さんのように、僕も強くなりたいと思います。どうすればいいでしょうか」


 そこにいる全員に対する問い。

 ブラントまで含めて全員が僕を見る。

 程度の差はあれ、常人をはるかに超える強者たちだ。


「簡単だろうが。死なないように迷宮に潜り続けていればそのうち強くなるぜ」


 最初に口を開いたのはナフロイだった。

 一片の迷いも無いまっすぐな回答が彼にとっては真実なのだろう。


「死なない、というのが難しいのだろう。安全に強くなりたいのなら私に金を払いたまえよ。達人になるくらいまでなら責任を持って指導しようじゃないか」


 ブラントも口ひげをニヤリと動かす。

 その言葉に自嘲気味な雰囲気を含ませているのはどういうわけだ。


「幼少期からの訓練の繰り返しが大事です。そういった意味で、あなたはもう遅すぎるかもしれません。しかし『荒野の家教会』では助け合いが重要視されますので、あなたが入信したのなら必要な時は私が助けに行きましょう」


 小雨の場合は、組織としての強さを重視しているのだろう。それはそれで一つの答えだとは思うのだけど、しっくりこない。

 ノラは答える気がないようで、黙って俯いている。


「強くなる必要があるの?」


 ウル師匠が複雑そうな表情で言った。

 迷宮順応を進めすぎた身として、もろ手を挙げて人間離れした強さを賛美できないのかもしれない。


「僕にも助けたい人や守りたい人がいます。その人たちが力を必要としたとき、力を貸せるようになりたいんです」


「そう。でもね、腕力や魔法……暴力ばかりが力ではないでしょう。他の力をうまく使ってこそやれることもあるんじゃないのかしら」


 ウル師匠の言葉は正論だ。だけど、そもそもひ弱な僕は暴力に頼って物事を解決したことなんてほとんどない。暴力以外のあらゆる力を使って立ち回り、はいずりながら望む結果に近づけようと頑張っている。

 そして、結局のところ僕の力はいつだって足りていない。

 シガーフル隊の面々やメリア、引き取った子供たちとお屋敷の優しい使用人たち。

 彼らが不条理と向き合うとき、前に立って頼もしい防波堤になれるだろうか。

 現状では全く無理だ。

 

「暴力が必要なんです。金も市民権もないよそ者ですから」


 現状でも積極的な庇護は受けられていないのだから、いざとなれば法律も官憲もあっさりと敵に回るだろう。

 小狡く働く頭と人を騙すための口だけではダメなのだ。何より説得力があるのは物理的な破壊力に他ならない。

 この考え方は間違っていないはずだ。だけど、ウル師匠の悲しそうな顔を見ると、自分が愚かなことを口走ったような気にさせられる。

 

「あなたの考えはよくわかるわ。だけどね、それでも力を求めるというのは危険なことなのよ。私もナフロイも力を欲し続けて取り返しが付かないところまで来てしまったわ。力というものは求めればキリがないのね」


 ウル師匠の言葉にナフロイは顔をしかめた。


「腕力に限ったことではないわね。国王は領土拡大に向けて戦争を繰り返しているし、貴族や商人も出世や蓄財に余念がない。そちらのお嬢ちゃんが所属する『荒野の家教会』だってもう十分に権勢を誇っているというのに更なる野心を隠そうともしていないもの」


 小雨がなにか言おうとしたが、ウル師匠はそちらを指さすだけで黙らせた。

 圧倒的な力の差ゆえにできる芸当である。

 自分で否定しつつも、ウル師匠の暴力の使い方は鮮やかだった。

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