第79話 自宅
翌朝、目が覚めてすぐにギーが回復魔法を唱えてくれた。
怪我が全快し、健康のありがたみを噛みしめる。
それでも少し気分が悪かったので、庭の隅で嘔吐すると黒い吐瀉物が出てきた。
内臓に傷が残っていて夜通し出血していたのかもしれない。
とにもかくにも、嘔吐を済ますと気分も爽快になって水道の水で顔と頭を洗い、汚物を片付ける。
メリアとギーにお礼を言って、昨晩食べなかった僕の好物を三人で囲んで朝食とした。
メリアは泣きはらして目が赤かったし、ギーもそのせいで寝不足気味なのか目が閉じかけている。
「とりあえず、メリアはしばらくお屋敷を出ないで貰える?」
今のところ、メリアは僕とギーが迷宮に潜る際には組合詰め所で待っているのだけど、それも危険だ。
できればこんな小屋では無くてお屋敷の母屋にこもっていて欲しい。
その為には、彼女が奴隷の妹としてではなく、別の形でお屋敷に滞在する必要がある。
「掃除婦の見習いとか、雑用をして貰うことになると思うけど」
この辺は、あとでご主人に伺いを立てなければならない。
だけど、考えようによってはいい機会でもある。
彼女は孤児であって、僕の住処でギーと一緒に家族ごっこをしているのだけど、僕もギーも死と隣り合わせの迷宮に潜るのを日常としている。
組合詰め所で待つメリアに、いつ待ちぼうけを喰らわせる羽目になるかわからないのだ。
そうなると彼女は自分の力で生きていかなければいけない。
この小屋も追い出されるだろう。
そうでなくてもギーはいつか故郷に帰るだろうし、少女から成長してしまえばこの狭い小屋で僕とメリアが二人で暮らすわけには行かなくなってくる。
メリアには独立して暮らすための生活力が必要だった。
ルガムが預かっている子供達も年長の二人は配達や職工の助手などで細々とではあるが仕事を始めているという。
その点、お屋敷に住み込みで働くというのはかなり都合がいい。
子供の労働者ということでかなりの薄給になるだろうが、手当がもらえ、その上警備が整っているので比較的安全である。
ご主人の都市での立ち位置を考えれば、余所の組織がその配下の者に手を出すことは躊躇われるだろう。
少なくとも、不審者が乗り込んできてメリアを誘拐していく事はなくなる。
こうして、弱みを全部潰して行くと、そろそろ僕の番だろうか。
実在性さえ不明な脅威に対して先手を取ったつもりになる。滑稽だな、と自分で笑いそうになった。
「僕は今から出かけるけど、二人とも今日はあんまり出歩かないでよ」
幸いに食料はある。
二人とも寝不足みたいだし、ゆっくり過ごしてもらおう。
「どこに行くの?」
「シグのところと酒場。それからステアのところだよ」
僕の返答に、メリアはいらだたしげな表情を浮かべる。
隣ではギーが柱に爪を立てているので、やはり気に入らないのだろう。
それでも、行かないわけにはいかない。
僕は二人を置いて屋敷を出た。
*
とりあえずは、ステアのところだ。
『荒野の家教会』の敷地に入ると、小石が飛んできた。
パチッと音を立てて僕の足下に転がる。
飛んできた方には庭木が立っている。
気にせずに宿舎に向かうと、再び小石が飛んでくる。
しかし、無視して足を進めると、いよいよ我慢できなくなったのか小石の主が現れた。
「引き返せという意思表示なんですが」
木陰から染み出て来たかのように現れた暗殺者は、相変わらず左目以外を隠して、不思議な声で話している。
その手には握り拳ほどの石を持っているので、これ以上警告を無視すれば投げつけるつもりかもしれない。
「気にしないでください。ステアに会いに来ただけです」
ドン、とくぐもった音を立て投げつけられた石が地面をえぐった。
「やめてくださいよ。穴なんて作ったら転んじゃうじゃないですか」
えぐれた穴を踏み越えて僕は扉に手をかける。
と、扉にナイフが突き立った。
暗殺者が投げたものだが、小ぶりで軽そうだ。それを離れた位置から堅い木の扉に刺して見せたのだから、暗殺者の技量は推して測るべしだろう。
「あ、ダメですよ。こんなイタズラしちゃ。ローム先生は怖いんだから」
僕は扉のナイフを引き抜くと、暗殺者の足下に放り投げた。
「警告はしました。次からは実際に当てます。立ち去りなさい」
「なぜ?」
僕はようやく暗殺者の方に向き直る。恐ろしさで指先が震えたものの、表情には出さない。
「あなたがステア女史と親しく付き合うのはステア女史の為にも、そして我々『荒野の家教会』全体の為にもならないとローム師が判断なさいました。今後は必要最小限の接触に留めるようにと」
「じゃあローム先生とお話をしたいのですが。今までの非礼を詫び、罰を受けて罪を償ったことで今後は心を入れ替えると報告したいのです。それもダメですか?」
暗殺者は止まった。
僕の言葉が予想外だったのかもしれない。
「じゃあ、入らせて貰いますよ」
内心、おっかなびっくりで扉を開けたもののナイフの類いは飛んでこなかった。
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