第77話 痛み

 シグがギーを呼んで戻るまでの時間は、実際には短いのだろうけど、感覚としては数時間程に感じた。

 息をするだけで全身が痛み、身じろぎをすれば壊れた感覚が不調を訴え吐きそうになる。

 瞬きすら激痛を伴う。

 そんな中で、遠くから走ってくるシグとギーの声はこの上ない福音に聞こえた。


「兄さん!」


 勢いのまま飛び込んでくるメリアがいなければ、なおよかっただろう。

 僕の胸に手を当ててゆするメリアのせいで鈍痛が鮮烈な激痛になって吹き上がる。

 痛みに押し出されて全身から脂汗が噴き出る。


 ちょっと待って。


 そう言おうとしたものの、声が出ない。


『この者の傷ヨ、治癒セヨ!』


 ギーの魔法に応じて体内で折れた骨の幾らかが繋がっていくのを感じる。

 ギーが使えるだけの魔法を重ね、僕は歯も骨折もあらかた回復した。

 まだ痛みそのものは残っているものの、立てないほどではない。

 身を起こしてあたりを見回すと、すでに先ほどの暗殺者は消えていた。姿を見られたくなくてどこかの陰にでも溶け込んでいるのだろう。

 ベリコガやチャギまで含めて、全員が心配そうに僕を見ていた。

 

「ごめんなさい、私の為に」


 ステアが泣きながら詫びた。何も悪くないのに。

 存在しないかもしれない脅威から彼女を守りたいと勝手に思ったのは僕だ。

 その上、こうやって痛い目を見たのは僕の普段の態度を気に食わなかった人がいたからだし、その人に攻撃の口実を与えてしまった僕の失策でもある。

 ステアが話題の中心に立っていることはたまたまだ。


 ただし、ステアに対して怒りを示した者が二人いた。

 メリアとギーだ。


「何をやったノダ」


 ギーが槍の穂先をステアに向けた。

 

「最後の一人まで私の家族を殺さないと気が済まないの?」


 メリアが僕に縋ったままステアを睨みつける。

 いいんだ、と言おうとして言葉が出ない。

 どうにかメリアのシャツの裾を引っ張る。

 

「待て、待って。落ち着いてよ」


 かすれた声をどうにか絞り出す。

 全身にダメージが残っているため、そこかしこが痛いのだけど、今頑張らないでどうするのだ。

 僕は全身の力を奮い立たせて立ち上がった。

 

「ほら、もう大丈夫。だからさ、落ち着いて」


 ギーはしばらく考えたあと、槍を降ろした。

 

「あとで全部話セ」


 僕の耳元で呟くと、メリアの手を掴んで歩き出した。

 ベリコガとチャギはどうしていいか戸惑っていたが、追うように促すと、慌ててギーを追って行った。



 ギーたちが歩み去って、僕とステアとシグ、それにどこかに潜んでいるだろう暗殺者の四人が残された。

 ステアは泣き崩れて地面に突っ伏していた。


「大丈夫か?」


 シグが僕の隣に来て聞いた。

 僕は小さく首を振る。

 負った負傷の大部分は魔法により治癒したとは言え、全身が痛い。正直に言えば、シグに肩でも貸して貰って歩きたかったのだけど、そうするとステアが自分を責めることは明らかだった。

 覚悟を決めて歩き出す。痛くないふりを徹底して、項垂れるステアの横にしゃがんだ。


「ほら、ステアとギーの魔法のおかげでもうなんともないんだから、泣き止んでよ」


 だけど、ステアは泣きながらひたすら「ごめんなさい」と呻き続けた。



 結局、ステアが落ち着きを取り戻して都市に帰り着くまでに一時間ほどを要した。

 ステアを教会まで送り、扉が閉まった瞬間に僕の膝から力が抜けた。

 間一髪で倒れなかったのはシグが僕を支えてくれたからだ。


「ありがとう。ごめんね」


 僕のお礼にシグは笑った。


「ガラじゃねえよ。もっとふてぶてしくやってのけるのがお前だろ」


 いったい何を言っているのだ。

 僕は大人しく人畜無害、腰が低くて卑屈なのが取り柄の債券奴隷ではないか。

 どうも、シグは僕に対して誤解がある。


「ていうか、あの黒づくめは何者だ?」

 

 僕もまさか今朝方おこなった依頼に対して、今日の内に人員が派遣されるとは思わなかったので、シグどころかステアにさえ状況を説明していなかったのだ。

 

「ローム先生に頼んで出してもらったステアの護衛」


「そりゃ、本人もそんなこと言っていたけど、なんでお前があそこまでやられなきゃいけなかったんだ?」


 それはそうだ。シグからすれば突然現れた不審者に対して、仲間が抵抗も試みずにクシャクシャにされてしまったのだ。

 

「シグは知らないかもしれないけど『荒野の家教会』の教義に書いてある罪の償い方だよ。ある種の失敗をした者は体罰を甘受して神に懺悔するらしい。僕がそれを受け入れることがステアに護衛を配する条件だっていうから」


 その説明にシグはひどく憤慨していた。


「なんだよそりゃ、自分の所の職員を守るんだろ。お前がリンチを受ける必要は無いじゃねえかよ」


「まあ、証拠があるわけでもないし、存在するかもわからない脅威に対して護衛を配備するっていうのはなかなか大変なんじゃないかな。でもね、この計画も捨てたものじゃないんだよ」


 ローム先生は多少の手間がかかるだろうけど、僕に対して鬱憤を晴らして留飲を下げ、その上で配下を万が一の危険からも守れる。

 僕は僕で、痛みこそ伴うものの本来はそれなりの金がかかる護衛の配備を無料で行うことができた。ケガだって、明日には癒えるだろう。

 つまり、僕もローム先生もお互いに万々歳なのだ。

 ただし、他人を傷つければ報復を受けるという知見を与えてくれたローム先生には、いつか感謝の念を込めて同じことを思い知ってもらおう。

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