第71話 泣き真似
僕はとっさに手を当てて顔を隠した。これで俯いていればベリコガからはトーウェの死を悲しんでいるように見えるかもしれない。
「彼を忘れないために、トーウェさんがどういう人だったのか教えてくれませんか?」
状況を探るための問いにベリコガはしばらく俯いて無言を貫いた。
やがて、表情を歪めると静かに泣き出す。
髭面で堂々とした体躯の男が涙を流しているのを見て、店員はギョッとしていた。
これが子供かステアのようなかわいい女の子なら肩に手を置いて慰めもするのだけど、ベリコガは僕より大きいうえに年上だ。おまけに彼は良家の子弟で僕は奴隷。なにに怒るかわからないので辞めておいた。
遠くで僕を見つけたガルダという盗賊が途中まで腕を上げて近づいてきたのだけど、すすり泣くベリコガを見つけると苦笑いをしながら僕の後ろを通り過ぎて行き、そのまま別のテーブルで食事していた女性客に絡む。
ベリコガが泣き止むまで思ったよりも時間がかかり、僕の方はと言えばその間に酔いも回って何もかもが面倒に感じ始めていた。
全部投げ捨てて帰ってしまおうかな。そしてギーとメリアがいる幸せな寝床に戻ろう。なんて考えだしたころにようやくベリコガは泣き止んだ。
「あ、あいつは……トーウェはいいやつだった。優しくて、頑張り屋さんで、頭もよかった。その上お洒落で、女にもモテたよ。そして俺の愛する恋人だった」
酒のせいで言葉が遠く感じる。
面倒になって帰ろうと腰を浮かしかけていた僕は、ベリコガの言葉に間の抜けた顔をして固まってしまった。
愛する恋人、と言ったのだろうか。
再び腰を降ろして、顔に手を当てる。
そういうことがあるのは知っている。そしてそれ自体は珍しくもないことも。
この都市にだって男娼を置く娼館もある。僕だって一歩間違えばそこに売られていたのだ。
だけど、こうやってその趣向を持つ人に接するのは初めてだったので少しだけ面食らってしまった。けれども別に、それ自体は個人が何を幸福に感じるかの問題なので、どうでもいい。
僕がリザードマンと一つの布団で寝ていたことの方が、おぞましく感じる人は多いだろう。
だけどそういう問題じゃない。なにか重要な要素を聞き流していないか。
僕の頭は確かに、何かを考えろと言い続けているのに、酔いが邪魔して考えがまとまらない。
落ち着け。落ち着け。
何か聞き出すのなら、ベリコガが動揺している今が一番の機会だ。
「寺院での蘇生は頼まないんですか?」
「もちろん頼むさ。しかし、金貨千枚の持ち合わせがないのでな。金を送ってもらうように故郷に手紙を出して来た」
とすると、彼にとっては金貨千枚という大金が現実的な金額なのかもしれない。
「随分とお金持ちなんですね」
「トーウェの為なら、屋敷も手放すさ。それにトーウェの妻にも、チャギの実家にも手紙を出した。金は集まるだろう」
結婚。よくわからないのだけど、彼らの中では同性の愛人を持ったりするのは当たり前なのかもしれない。
「チャギさんの実家は資産家なんですか?」
「資産家も何も、北方最大の商会を構える大富豪だよ。おかげでノクトー剣術道場の活動にも様々な支援をしてもらっている」
立派な剣士に育てようと支援して出来上がった息子があれなら、チャギの父親もさぞがっかりしただろうが、おそらくそういうことでもないのだろう。
資産の多寡は別にして、建前上は商人よりも戦士階級や僧侶の方が偉い。
そのため、我が子が属する階層を上げるのを目的に、子供を戦士に育てたり教会に預けたりという親は多いのだ。
チャギが戦士団の一員としてやって来たということは、チャギの親とベリコガの間になにがしかの取引が成立したのだろう。
人数が多くて、所属員が多い武術門派よりも、少ない金で飼いならせる弱小門派の方が都合もいいので、チャギはノクトー剣術道場に所属させられたのかもしれない。
「じゃあ、しばらく迷宮行はやめて座学に顔を出しますか?」
そうして欲しかった。非常識が常識の迷宮にあって、彼らは無知過ぎる。
しかし、ベリコガは力強く首を振った。
「もっと強くなってトーウェを迎えたい。また明日から指導を頼むよ」
頭痛がひどい。体質に合わない酒を飲んだせいか、僕の欲することの逆を求めるベリコガのせいか。
今日の迷宮行に懲りて、せめてしばらくはおとなしくしてくれていたらいいのに。
言い含めたり、確かめたり、考えたり、いろいろなことをするつもりだったのに、僕は結局酔いに負けて早々に帰宅し、寝てしまった。
*
朝、飛び起きると僕は、朝食を用意しているメリアと日光浴をしているギーに、今日も迷宮に行くと告げた。
朝食を食べ、走ってシグの家に。
シグにも同様の内容を告げて『荒野の家教会』に向かった。
本当は昨晩、こうするつもりだったのだ。
「こんにちは!」
宿舎の扉を開けて声をかけると、舎監室の扉が開き、中からローム先生が現れた。
「おはよう、魔法使いさん。ステアなら礼拝堂でお勤めの途中……」
「いえ、今朝はローム先生にお話があってまいりました」
蛇蝎のごとく嫌う僕からの訪問を受けてローム先生は、戸惑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます