第33話 蟹
地下二階へ降りる階段を前に、シグは無言で立っていた。多分、先日亡くしたばかりのヘイモスを思っているのだろう。
ルガムもステアも同じように下に向かう階段を見つめている。
「ン、下に降りるノカ?」
ブローンが他の仲間たちを見て首を傾げた。
「いや、今日は下りない」
シグは通路の奥を指さして前進すると皆に告げた。
以前と違ってその口調は強く、他のメンバーに有無を言わせぬ雰囲気がある。
苦労人のシグも、リーダーとして成長したのかもしれない。
しばらくして、僕たちは魔物の巣を見つけた。
巣の主たちは食事中らしく、なにか動物の死体に群がってついばんでいる。
藍色の巨大な甲羅を持ったカニ、ストーンクラブだ。
まだこちらに気が付いていないので、数を数えると八匹いる。
メキメキと音を立てて解体されているのはオークかコボルドか人間か、そのような生き物だった。
ストーンクラブの体は大きくて重たい。殻が分厚くて生半可な攻撃ではダメージを与えられないし、ご自慢のハサミで足をつままれでもしたら一発で切断されてしまう。
飛び出して行ったルガムが、不意を打って棍棒を振り下ろした。
いつもだったら、対象を難なく叩き潰す棍棒がストーンクラブの背にあっさりとはじかれた。
「くそ、固いぞコイツ!」
振り返ったストーンクラブの反撃を後ろに下がってよけると、ルガムが毒づく。
「背中が一番固い。手足を狙え」
続いてシグが飛び込み、一匹のカニ爪を切り飛ばすが、ひるむ様子もなく残った爪を突き出してくる。
思ったよりも難敵だ。
『火雷!』
僕は新しく覚えた魔法を発動した。
手から飛び出した火の玉がストーンクラブの一匹を包み、炎はそのまま密集した他のストーンクラブ達にも燃え広がった。
火が消えると、三匹が息絶えており、他の個体も動きが鈍っている。
ブローンが手近なストーンクラブの足元に槍を差し入れ、テコの原理で転ばせた。
ストーンクラブはその白い腹を上にしてジタバタともがいている。
「今度こそ!」
ルガムは一声さけんで、仰向けに転がるストーンクラブに向けて棍棒を振り下ろすと、今度は無事に対象を叩き潰した。
結局、シグが他の個体を牽制している間に、ブローンとルガムの連携で一匹ずつとどめを刺し、戦闘は終了した。
「いいぞ、ギー」
戦闘終了後の休憩中に、ルガムはブローンに話しかけた。
僕とステアは巣穴を見つけて小銭を拾っているし、シグはへばっているので他に消去法でブローンを選んだのだろう。
ブローンは汗こそかかないものの荒い息を吐いているので、それなりにつらいのだろうけど、それを考慮するルガムじゃない。それに対してブローンはただ無言で首を振った。
「ん、なにか納得のいかないことでもあったのか?」
「……ギーのことをギーと呼ブナ」
ブローンは息絶えたストーンクラブの甲羅を椅子代わりにして座る。
ルガムもそれを真似して腰を降ろした。
「なんでよ。ギーって名前なんだろ?」
「アノール族では下の名前を呼ぶのは特に親しい者ダケ。親か兄弟、あるいは恋人。家族か、一緒に住む者でもない限りはブローンとヨベ。この中でギーのことをギーと呼んでいいのはあいつダケ」
そう言ったブローンの人差し指の先の、鋭いナイフみたいな爪はまっすぐと僕の方を向いていた。
確かに、一緒に暮らしてはいるけれど……。
「じゃあ、あたしもいいじゃないの。その妻なんだから」
そういって屈託なく笑う。いつの間にか婚約者から妻になったらしい。
「そうなノカ。知らなかッタ」
「だからさ、あたしもギーって呼ぶよ」
あたしも、とは言うけど僕がブローンのことをブローンとしか呼んでいないことは彼女にとって関係ないのだろう。
「だ……だったら私だって妻なんだからギーさんって呼んでもいいですよね?」
いつの間にか僕の近くにいたはずのステアが、ブローンの横に立っていた。
「バカ、お前は関係ないだろうが」
「関係なくないですよ! ルガムさんだって自己申告で妻を名乗っているんですから、私が名乗って何が悪いんですか」
「自己申告じゃないよ。その祝福をしたのは自分だろうが!」
「あれはあくまで婚約の祝福です!」
グルグルと二人が喉を鳴らしてにらみ合う様を放置して、ブローンは僕の方に歩いてきた。
「そういうわけだカラ、お前も今からギーと呼んでクレ」
僕はブローンの、いやギーの申し出に曖昧にうなづいた。
「それにしテモ、お前の妻たちからはお前の匂いがしなイゾ。どういうこトダ?」
僕は彼女の疑問に答えたくなくてうやむやな返事で返す。
「お前に付いている匂いで一番強いノハ、一緒に寝ているギーの匂いダナ」
ギーなりの冗談なのか、キャーキャーと笑っているのだけど、少し離れたところで僕を見ていたシグは、ギョッとした表情を浮かべている。
事情を説明する為の労力を考えると、僕は苦笑しか出なかった。
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