ジロとマール


「つまりだ、エリカやリーベルトと俺が魔法を行使したとする。そうだな……簡単な所でファイアボールを行使したという事でいいだろう」


その日のジロはマールが嬉しくなってしまうほどに、多弁であった。



       ◆


 その日の朝、小屋の中から出てくるジロをマールは見た。


 ジロが手招きをするのを見た瞬間に、マールは飛ぶようにして監視所を離れると、慎重に周囲をうかがいながら可能な限り急いで本店前までやってきた。


一直線にジロの元へとはせ参じれば、一分もかからないだろうが、三十分以上かかった。

 ジロに対して深く盲目なまでの愛情を持っていたマールだったが、自分の立場はよくわきまえていた。ジロを待たせる事になったとしても自分の姿は誰にも見られてはいけない、ジロには確認しなかったが、それが今の自分が最も心を砕かねばならぬ事だと分かっていた。


(気持ちが逸り、この点が疎かになれば、ジロ様の私への関心は必ず消える)


 その事を考えると、いつもジワリと嫌な汗を全身にかいてしまう。


今はどんな豪奢な王城の門よりも、マールにとって価値のある粗末な戸をくぐり店内へと入る。


ジロは道具屋店主として必要な雑事を開始していた。


 そしてそれを見ながらマールは日々の報告を果たそうとするがマールは内心焦る。


 ……が、報告すべき事は数時間前にし終えていた。



 いつもなら区切りがついた所でジロがマールへと歩み寄り、毎夜の情事が始まるのだが、その日は朝でもあるし、少し様子が違っている。


 仕方がないので、ジロが関心を寄せていそうな、キヌサンの本部へと戻った定期報告に帰ったスミシーがまだ戻らない理由についての自分の見解を述べていたが、ジロからの反応は薄く、その話題も長続きはしない。


 マールが記憶の保持が許されてから三日目。


 あとは黙って、直立不動の姿勢でジロの雑事が終わるのを待つ。


 ジロの作業が終わり、朝ではあるがジロの腕に抱かれてしまうの幸運が訪れるかもしれないと、ドキドキしながらその瞬間を待っていた。


 夜とは勝手が違っていた為に、いつもはジロが話しかけてくるまでは無駄口を叩かずに黙り続けているマールだったが、ついつい自然に魔法についての疑問を口にしてしまった。



       ◆


 それまで相づちもなく雑事に集中していたジロが初めてマールの方を向いた。

 その顔にはいつもの無表情ではなく、それを聞きたいのか! と言っているかのように微かな微笑みが浮かんでいる。


 そしてジロはその表情をしたまま、いそいそと椅子を二脚用意し、膝をつき合わせるようにして対面に座らせる。


 不思議な光景だった。朝の光が差し込む本店内の戸口は開け放たれ、窓もすべて開いている。

 その店内にジロとマールが座っている。


 ジロは確かな関心をもって、真正面からマールを見ていた。


 その表情と視線だけで、ジロの時に優しく、時に荒々しいキスや抱擁から始まる情事に勝るとも劣らない歓心がマールに巻き起こる。


「例えばだ。火の精霊十匹分のファイアボールを作る場合、リーベルトやエリカはきっちりと火の精霊十匹分のファイアボールを作る加減をわかっている。

「だから十匹分を呼ぶ魔力はこの位の、九匹はこの程度、十一匹はこう。といった風に、練習を積んで魔力の消費量を細かく記憶してある」


ジロが火の精霊を何匹と言っている事にマールは戸惑いを覚えた。


 マールの知る魔法の常識では、偉大な精霊達は複数いるが、それはあくまで違う属性の精霊である。

 火の精霊とは複数ではなく、自然界に一体だけしかおらず魔法の強弱はその精霊からどれほど力を引き出すかをイメージするのが一般的な魔法の常識であったためだ。


「だが、俺の場合は十匹必要な所が、十三匹になったり、五匹になったりする。もちろん多寡を意識してじゃなく、十匹必要だと思って発動させる度に、自分では同じつもりでやっていてもそれだけの誤差が出る。魔法の才が二人より低いためだ」


 自分を卑下する言葉を吐くジロは、何よりも大事に思っている二人の才能を語るのが嬉しいらしく、その様子にマールは激しく嫉妬の念を抱いた。



 エリカ・エピデムとリーベルト・リスマーは以前、夜空の中でジロが語った大事な人間の名前の中でまっさきに口にした名前であった。



「だが、俺は今や同じように魔法を使用し、十三匹集めてしまったら、そこから即座に三匹間引く事ができるようになった。

「それは才能ではなく、技術だ。目に見える精霊を数えて、威力が足りなかったら増やし、逆に威力を弱めたかったら引く。それは才能ではない。たんなる作業だ」


 自分の行使する魔法について語れるのが嬉しいらしく。ジロは実に多弁になり、心もちいつもよりマールへの関心を強くもって接してくれている。


「だが、人間には誰にもそんな事はできない。だけど俺は魔法の才能が無くてもできる技術を習得した。それで才能ある奴等よりも多くの事ができるようになったって訳だ」


「気になった質問はあるか?」

「ひとつだけございます」


「ん? なんだ?」

 

 マールが偽りの記憶を与えられる事なく日常を送り始めてすぐにジロが実は喋り相手を求めていたという事に否応なく気づかされた。


 今までは一人で理が異なる魔法とやらの事を考えていたが、それをマールに話せる事ができて喜んでいる様子に気がついた。


「例えの対象が私ではないのですね」


自分の魔法についてどんな質問かと、どうやら期待して待ち受けていたのだと、マールは知り、自分の欲を優先して質問を選んだ数瞬前の自分を殺してやりたかった。


ジロはマールの質問を待つ間少し体を前傾して待っていたが、魔法の質問ではないと分かると、背もたれに身を預けた。



 ジロの瞳からマールへの興味が驚くほどの早さで失われていくのが見て取れて、それがマールには悲しかった。


「そりゃあ、マールの実力を知らないからな。あの襲撃時もお前は突っ立って、ボーッとしてただけだったし、お前のベッド上での実力は知ってるがな。……それもマールの口上通りって感じでもなかったしな」


「……精進します」

「するな。俺は結構嫉妬深いぞ? 他の男相手に性技でも磨いてやろうなんて考えているのなら、たぶん俺は容赦なくお前を切り捨てる」


「いえ……荒事の実力の方です」

「え? ……あぁ」

 ジロは気づきもしなかったという風だ。


 マールはジロほどの実力の持ち主ならばと気がつき、ジロがマールの戦闘力に対してなんの期待もしていない事が判明して、嬉しいような悲しいような複雑な感情を味わった。


「もう一方の方はその、……色々、ジロ様の好むご指導をお願いいたします。……私はジロ様専用にその技を磨いてみせます」

 ジロがいきなり膝に置いていたマールの手を引っ張り、前傾させ、マールに濃厚なキスをし、マールもそれに対して喜びをもって応えた。


 とかくこの数日というもの、マールの感情の起伏は激しい。ジロを知ろうとして失敗すると絶望を感じるし、こうやって求められれば天にも昇るような心地を味わう。


 そのまま、いつもの情事が始まる予感に胸を高鳴らせながら、マールは夢中になってジロの舌を求めた。


 だがジロは、

「待て、いつも通りだったから思わず体が動いたが、今は朝だったな」

 そう言って体を離そうとする。

 マールはジロを追おうとする体に鉄の意志で急制動をかけ堪える。

 最後にグッと抱き寄せ、ジロが口を重ねてきたが、永遠にこうしていたいと思うマールの願いもむなしく、ジロはすぐに離れていってしまった。



       ◆

 

 トロンとした夢見心地の瞳をしたマールの軽く突き出された舌とジロの唇に涎の橋がかかっていたが、離れた事によってその橋も崩落した。

 マールの顔を見たジロは、その情欲を暴走させてしまいそうな光景を脳裏から振り払うために、ブルブルと頭を振った。


(やばい! マールはやばい! 容姿も信じられない位にやばいが、性格が……特に被虐心が特に……だな。俺の加虐心をひどく煽ってきやがる。アデルの時のように、セックスに溺れないように気をつけよう。あの頃とは何もかもが違うんだからな、ジロ・ガルニエ、しっかりしろ! 俺はもう、自分で知らないだけで、人ですらないかもしれないんだぞ?)


 前を見ろ、目の前の女は、興味のない人間だと自分に言い聞かせるようにしているだけで、ジロはすぐにその言葉に乗れるようになった。


 自分の言葉の暗示に乗って再びマールを見ると、今まであった性欲が一切なくなり、マールが取るに足らないつまらない存在に思えた。

 今この場で消し炭にしてもなんの痛痒も感じないと、ジロは心の底から分かった。


 こんな自己暗示は、自分が完全に人間だった時にはできない芸当であったなっと、ジロは新たに発見した特技を他人事のように感じていた。



 とは言え、最近は自戒しながらも、毎日山中を歩く中、夜の到来を待ち遠しく思う気持ちが湧くようになったのは確かであった。


「……話の続きだ。確かにお前の実力は把握しておく必要がある。近日中に適当な場を設けるからお前もそのつもりでいてくれ」


「はい、ジロ様」


 そういって見上げるマールの目は潤み、長いまつげも濡れており、ジロは冷たい目をしながらも、これ以上マールを見るのは、またムラムラとした気持ちが湧き立ちかねないと判断して、


「しかし、お前の提案を飲んだ正しい判断だったようだ」


「そうなのでしょうか! 嬉しいです!」


 冷たい気持ちが、少しだけ疼いてしまった事にジロは困惑した。


(魔人は性欲を無くすと言うが、マールほどの容姿と性格なら、まだまだ人間時と同じように性欲を感じるというのが分かったし……、それだけでもこいつには感謝しないとな)


「ところでジロ様。今日はアドルフとやらに、ならなくても良いのでしょうか?」


「あぁ。少し前に女の一人が足を激しく痛めたようでな。魔法は恐い、狼も恐い、ゴブリンは論外ってんで、俺が背負って下山していたんだ」


「……足手まといであるのでしたら、その女性は早々に始末した方がよろしかと」

 マールは美しい微笑みを浮かべたままそう提案する。


「あん? ただそれだけじゃなくて、どうやら俺に恋心を抱いているらしくてな……だから今日は一日放っておく事にした」


「申し訳ありません。私にはそこで『だから』に繋がる理由が解りません」

「その恋心を増幅させる為だ」


 マールはそれを聞き見知らぬその女に明確な殺意を抱いたが、ジロは気づかなかった。

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