無いはずの感情


「アドルフ様!」「あどるふさま!」「ああ、神様、聖女様!」「アドルフ様!」

 っと、声から少女のものと分かるものから、妙齢なものまでと、それぞれが喋り出し、泣き声に支配されていた廊下は感謝と鼻を啜る音で満たされた。


 さて、どうしようかとジロは悩んだ。


 空から見た限りでは近くに人家はまったくないように見えた。


そしてジロはこの山近辺の土地鑑がまったくない。


 なんらかの魔法で、女達の意識を飛ばし、《飛行フライ》でそれぞれを一番近い村まで届けてもいいが、何度も飛べばその姿を目撃されてしまう可能性も増える。


 今後も人のフリを続けるには、魔人の身体能力や魔法技術を行使するよりは、ある程度の苦労を知った方が、より自然な演技ができると考えた。


 それにその演技中に何か致命的な不都合が起きても、エリカ信奉者達とはいえ、皆殺しにしてしまえば、すでに生死不明状態の女達であるから、ジロの洞窟強襲の関与までの線を探られる事がないのも好都合であった。



 方針が決まった。


 面倒ではあるとジロは考えたが、アーグル達を使いこなす練習も兼ねながら、近くの村まで下山させる事にした。



 ジロは牢の前まで歩みを勧めると、女達が皆柵へと寄ってきて、手を伸ばしてきた。


 女達は皆、ほぼ服を着てはいなかった。


 そしてドス達が人間の盗賊商人達の死体から衣服をはいでいた事を思い出す。


 女囚は皆、乳房や性器を出すか、もしくは粗末な布きれのみでわずかな部分だけを隠し、ジロには目のやり場に困るほど扇情的な格好をしていた。


 さすがに二人の少女には女達がそれぞれわずかに持っていた布を裂いて渡したのか、乞食のような貫頭衣を来て、荒縄で腰を縛ってあった。


「アドルフ様! お会いできて光栄です! ありがとうございます」


 少しやつれ、そして垢や泥にまみれていたが美しさが損なわれていないジロよりも少し若そうな女が真っ先に声を上げる。


その女は綺麗で大きい乳房を丸出しのままで、申し訳ない程度に腰布だけを身につけながら、ジロを神の御使いかのように柵越しではあったが、ジロの前にひざまづいて感謝の祈りを捧げている。


 その声からして、その美しい女が、当初から主にジロと話していた女のようだった。


「少し待て。お前達はゴブリンに捕らえられた。そうなんだな?」

「はい! あの薄汚い魔物に捕まったのです」

 ふとジロは疑問が湧く。


「……聞きにくい事だが、お前らはゴブリン達からレイプ、凌辱なんかは受けなかったのか?」


「めっそうもない! ああ! 想像しただけで汚らわしいです! アドルフ様、我々も当初は、あの醜い魔物からの強姦を心配をしましたが、幸いあの生き物たちは私達とは美的感覚も狂っているようで、半裸に近い我々を好色な目で見る事も、指一本触れるような事も一切ありませんでした」


 ジロの質問に思うところがあったのか、あるいは白の視線に女が言った好色な視線を感じ取ったのか、はたまた、まだジロを信用しきっていないのか、美しい女は自分の容姿の効果をよく分かっているようで、自分の姿がジロによく見えるようにほのかな灯りの元にごく自然に歩み出た。



 そして媚びを売るかのようにして、ジロを見上げる。



 そして敵か味方かの確実な判別がまだつかないので、ジロを誘惑しようと思ったようだった。


 他の女達はそれぞれに、絶望から突如降って湧いた救助という現実に対し非常に興奮しているようで、美しい女がジロに対して行っている娼婦のような媚態には、誰一人として気づかない。


「……よせ。お前らは救う。そんな事をしないでもいい」


 女は自分の思惑がジロに存分に伝わっていた上での拒否を恥じ、顔を真っ赤に染め、あられもない自らの艶姿を急に恥じるように、片腕で両胸の先を隠した。


 女の思惑とは反対に、その人間らしい表情と仕草にこそジロは情欲を感じてしまう。


(まいった……あの女……マールって言ったか? あの超絶美人といい、この女といい、魔界の女日照り状態にあった俺を、存分に刺激してくれるじゃないか)

 そうジロは嘆息した。


「名は?」

「は、はい! サーシャ・タウンゼントと申します! アドルフ様! 失礼いたしました!」


「うん? タウンゼント? タウンゼント男爵の係累か? 別荘から誘拐された者もいると言っていたな。お前の事か?」

「え、ええ。左様で……大叔父の男爵の傍系の娘ではありますが、父は代々男爵様にお仕えする騎士です」


(事前にその情報を知れてよかった! どこかの晩餐会で俺を見て無いとも限らないからな……)


ジロは自分の顔をすべて覆い隠すマスクに触る。


「そうか……ならば貴族の義務だ。サーシャが女囚……いや、女達をまとめてくれ。ゴブリンの脅威は去ったが、道もないような山道を近くの村まで歩かねばならない。俺が全てを監督するわけにもいかないからな」


「……はい! かしこまりました! アドルフ様!」

 パッと恋する乙女のように目を輝かせてジロを見つめる。


(極限状態だと、一瞬で異性に恋をする連中がいるなんて、誰かが言ってたな)


「牢を破るから全員下がれ」


 その言葉に女達は一斉に壁際まで下がるが、サーシャは下がらない。


 もう一度声をかけようと口を開きかけると、

「……先程のご無礼お許し下さいませ。そ、その……アドルフ様の思惑も分からず、女の浅知恵で、私の体に少しでも興味を持っていただければ……救う気がなくても、せめて牢くらいは破ってくださるかと……、……思ってしまい……この恩知らずで、恥のない行動、本当にお許し下さい」



「謝罪は受け入れよう。……いや、魅力的ではあった」

 つい無意識で、ジロは下心から来る本音の言葉を付け加えてしまう。



「……えっ!?」

「下がれ」


 魔界生活の弊害とも言える性欲の暴走にジロは内心ため息をついて、そう言うと、サーシャは今度はすぐに壁際へと下がっていった。


 その表情はボウッと熱に浮かされているようだった。



(まいった……魔人化しつつあるのに、性欲はなかなか消えないんだな……魔人ってのは、性欲がないか、薄いって聞いてたんだが……)


 嘆息しながらも、その性欲が自分の魔人化がまだ進んでいない証拠とだと捉え、少しホッとした。



 取り返して自分の武器にしようと考えていた黒剣でいとも容易く金属製の柵を錠前ごと斬る。

 

 斬れ味に、昔使っていたブートガングの事を少し思い出し、満足する。シカリークッターの構成員ごとにある手のタコとフィットする柄を別の物に替えてしまえば、ジロの持ち剣としては充分過ぎる剣だと判断した。

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