ワンシーン:世界のラフスケッチ

@Uss1701tardis

第位置話:天の欠片~the piece of paradise~


ガサリ、と靴底が雑草を踏む。

私は村外れに広がる草原に出くわした。

やはり乱痴気騒ぎの空気に慣れることは出来ないもので、村の一大行事だというのに私は客人の分際でありながら、ほうほうの体でここまで逃げてきた訳だ。

村の灯りから遠く離れたこの場所は、月光と満天に散りばめられた星々が大地を撫でる。

淡色に染まった草原が、そよ風に靡き、その合間をムカデに羽を生やしたような【羽魔ワーム】が漂うように翔ぶ。

月光に促されるまま、草原に腰を下ろし、ほぅ、と息を吐いた。


「なーにしてるの、旅人サン?」


背後で幼い声がかかる。

足音はしなかったが、驚きもしなかった。


「·······祭り、終わったんですか?」


「んーにゃ、まだまだかかるね、アレは」


今度はガサリ、ガサリ、と草を踏んで近づいてくるその声に、私は心配になった。


「いいんですか?あの祭り、貴女が主役でしょう」


「あら、それを言うなら君の歓迎会も兼ねてるんだから君も主役なんだよ?」


そんなまさか、と言う前に隣いい?と遮られた。

どうぞ、と答えると彼女は隣に腰を下ろした。


「祭りの主役が揃ってボイコットかー、進行グダグダ間違いなしだね」


「········主役が退屈するような進行をするほうが悪いんです」


「そうだねー、あとで村長に文句言ってやろう。『もっと静かに騒げー』って」


騒がなければ祭りではないだろう、となんとなしに思うと同時、自分もその『騒がしさ』から逃げてきた身だと自覚して押し黙る。


「·····本当にサボって大丈夫、なんですか?」


 「んー?」


 どうでもよさそうに星空を眺める彼女に、いよいよもって不安が込み上げてきた。

 それは決して彼女の身を案じたのではなく、彼女の不在によって進行に穴があき、それを今彼女と一緒にいる自分の責任にされてしまうのが怖くて込み上げてきたものなのだが。


 「『んー?』って。だって今日は、」


 「『天の欠片』たる使命を全うする日、でしょ?」


 繋げるように言い当てられ、喉がぐっと締まる。

 『天の欠片』。

 天の御力、その片鱗を振るう者。

村に来て最初に説明された人物が彼女だった。

 曰く、『天の御力』の片鱗であり欠片、その一端を担う者として、選ばれる巫女。

 今日は『天の欠片』として一年の出来事を予言し、厄を回避するための神託を受ける日だと言う。

要は、巫女や神主のような働きなのだが、現実と違うのはそれらが具体的であり、且つ実現するという点にある。

重要度がくじ引きとは訳が違うのは、『予言』だとか『運命』だとかに甚だ見放され、同時に見放してきた私でさえも理解できた。

 恐らく、その重要性を最も深く理解しているのは、隣であくびをする少女だ。


「確かに大事なんだけどねー、嫌なんだよね、アレ」


 だからこそ、彼女が宿題を渋るように隣で寝転がっている現状はとても理解しがたい。


 「何故?村の一年に関わる話では?」


 「違う違う、そこだけどそうじゃない」


 彼女はアハハと小さく笑いながら手を振ると、両手を頭の下に敷いた。


 「『天の欠片』の力は皆も使えるはずなのに、私にだけ押し付けられているのがね」


 彼女の目が一瞬物鬱げに揺れる。

 ねぇ、と声をかけられた。


 「この空、どう思う?」


 線の細い指の先をなぞって、視線を上にあげる。

 私は目をすがめて言った。


 「無数に開いた、ピンホールのようだって、ずっと思ってました」


 「ピンホール?」


 「······そういう、カメラがあるんですよ。小さい箱に針で穴を開けて、穴の反対側に像を映し出す。そんな針穴ピンホールが、夜空に無数に開いていて。今は遠くて見えないけれど、近づいて覗き込めば、あの点一つ一つの向こう側に全く違った景色が広がってる──なんて、昔はよく妄想してました」


 そんな妄想も、小学校の理科の授業で儚くもあっけなく砕けてしまった訳だが。

 感傷に浸っていたのに、彼女の無遠慮な笑い声が私を現実に引き戻す。


 「ぷっ、アハハ!」


 「····なにかおかしかったですか」


 自分の話を笑われたのに若干声が尖るが、彼女はそれすらも面白いとばかりにお腹を抱えた。


 「アハハ、はっ、はひっ·····き、君って結構風変わりな考えするんだね。·······流石『元小説家』さんだ」


 その言葉に、心臓を握られたような錯覚を覚えた。頭に上った血がすっと下がる。

 反射的に顔を戻すと、彼女はにんまりと──妖艶に微笑んでいた。


 「······、私、そんな話しました?」


 「してないよ、『知った』だけ」


 なにを、と言わせまいとするように勢いよく立ち上がる。

 夜風に純白のワンピースが淡くはためく。

 彼女がどうやって『知った』かは、すぐに察しがついた。


 「······『天の欠片』、ですか」


 彼女は苦々しい呟きから視線を外すと、村の方角に振り返った。

 

 「さっき、『天の欠片の力は皆使える』って言ったじゃない」


 「えぇ」


 「何でだと思う?」


 唐突に重い甕を渡されたように私はたじろいだ。


 「·········何故ですか?」


 ふふっ、と笑うと彼女は言葉を続けた。

 懐かしむような、それでいてどこか──非難するような、そんな声音で。


 「天は、生まれてくる一人一人に欠片を渡すんだ。一人一欠。皆はそれを少しずつ返しながら一生を過ごす。───私は、すこし欠片を多く返しながら生きてるだけなんだよ」


 「··········」


 「それなのに、皆私が特別だって言う。本当は皆も同じものを持ってるはずなのに、まるで自分達は持ってないかのように振る舞うの。私はそれが──酷く寂しい」


 まるで、ずっとおいてけぼりにされた子供のような表情だった。

 誰からも理解されず、誰かを見送り続け、置いていかれ続けたような、泣くことにすら疲れたような顔。

 私は、その表情に見覚えがある。その印象に、心当たりがある。

 ふっ、と漏れたのは、酷薄な笑みだった。


 「······寂しい、か。まるでいつか誰かが連れ出してくれるような口ぶりですね」


 皮肉、やっかみ、僻み。

 私はまだ、異世界ここに来てさえもこの感情から逃げられない。


 「誰も、貴女の中身なんて見てませんよ。貴女に求める価値は、その『力』以外には無い。村人が貴女を崇拝するのは、貴女が『天の欠片』という力を振るうからです。貴女以外、『天の欠片』なんて持ってない。

 祭壇の上で待っていても、貴女を連れ出す人なんて、同じ境遇に、同じ目線に立てる人間など、永遠に現れませんよ」


 独白にも似た、言葉の棘が放たれる。

 自分がそうであったから。きっとお前もそうなんだと。勘違いするなと。

 どれだけ書いても、訴えても、世界は私を理解しなかった。

 寄って集って『お前に才能などない』と言い続けた。

 私と同時期に物書きを始めた友人が新聞の一面を飾ったとき、私は。

 弱々しい風が、彼女と私の間を走り去る。

 そよ風を見送った彼女は、全てを飲み込んで、吐き出した。


 「。······だから君は、ここ異世界へ来たのでしょう?」


 柔い針だ、と思った。

 優しくゆっくりと。それでいて確実に心臓まで届く、柔く、細く、強い針。

 彼女は一体どこまで『私』を覗ける?

 叫び出したい衝動が身体中を駆け抜けるのすら見透かしたように、彼女は煌点の散らばった天蓋を見上げる。


 「私を連れ出してくれる人なんて居ないことも知ってる。彼らが、私の『力』しか見ていないのも知ってる。君が『物書き』をやめた理由も、そして『ここ《異世界》』に来た理由も、私は全てを見通せる。

 ──だからこそ、私は言うんだ。『天の欠片は、皆持ってる』って」


 「·····私は、持ってませんよ。、私は、この世界の住人じゃない」


 「持ってるよ。君もちゃんと」


 え、と彼女を見上げる。

 彼女は見下ろす。

 視線が噛み合う。


 「君も、『天の欠片』を抱えてる。とびきり風変わりな、そして綺麗な。君はただ、持て余してるだけなんだよ」


 「勝手なこと言わないでください!」


 全てを拒絶する言霊が、草原を震わせる。


 「貴女は、僕の全てを見透かして満足しているかもしれない。けれど僕は、自分の影すら分からない。お世辞なんて結構です。天の欠片なんてあるはずがない。僕は貴女ほどっ、」

 

 強くはないんだ。

 怖かった。彼女と話しているのも、全てを見透かされるのも、何もかもが怖くなった。

 この程度。所詮ここが限界。

 そう、僕に才能などなかった。

 彼女のように『天の欠片』を振るうことも出来なければ、自分が好きだったことを続けることも、続けられるだけの才能も無かった。

 だから僕が『天の欠片』を持っているなど、嘘だ。

 

 「───なら、書いて」


 彼女は、逃げなかった。私が全てを吐き出しても、毒を投げつけても、彼女は逃げなかった。

 

 「村の外、君が見てきた全てを書いて。明日出るんでしょ?旅先で会った人、遇った出来事、全て書ききって」


 「·······随分と、酷な依頼をするんですね」


 萎びた、薄い声が自分であると言うことに気がつくのに、数瞬要した。

 それほどまでに、掠れた声。

 彼女は聞き届けた。


 「書き上げたら──私に見せてね。あ、そうだついでで良いから私の事も書いてほしいな」


 「まだ書くなんてっ、」


 「書いて」


 拗ねた子供の言い分は、有無を言わさない声に叩かれる。

 

 「なぜ、ですか」

 

 思わず溢れた疑問は、何に対する『何故』なのか。

 ここまで食い下がる理由?

 私を気にかける理由?

 それとも、『天の欠片』にこだわる理由?

 彼女は、紺碧の澄んだ瞳に私を映して、──少女のように微笑んだ。

 

 「君の『天の欠片』が、見たいから」




         ※




 翌日、滞在期間を使いきった私は村を出た。

 少女は出迎えに来なかったが、代わりに白い髭を顎にたくわえた村長が来てくれた。

 

 「ありがとうございました」


 「いえいえ。私どもも、客人を迎えるなど何年も無かったものですから。粗相はございませんでしたか?」


 「ありませんよ。とても有意義でした」 


 「それはようございました」


 「また訪れても、良いですか?」


 地面に置いていた鞄を持ち上げたとき、尋ねてみた。

 村長は、気前の良い人物だった。


 「勿論ですとも!いつでもお越しください。····しかし、このような何もない村のどこが宜しかったので?」


 「······書き物を、頼まれまして。それを書き上げたら見せに来るよう言われたんです」


 「ほう····もしや、『彼女』ですかな?」


 「····はい、その通りです」


 あの後、彼女は「宜しく!」とだけ言い残して滑るように、草ふ踏む音一つたてずに村に走り去った。

 彼女の執り行った儀式は、彼女を『天の欠片』と言わしめるだけの力と、生命力に満ちていた。

 神々しい───とは、あの姿を指すのだろう。

 脳裏に描いた昨日の荘厳な儀式の情景は、しかし村長の言葉にかき消される。


 「そうですか·····それならば、急いだほうが宜しいかと思います」


 「何故です?」


 あとから思えば、客人のいっそ無遠慮とも言える質問に、よく答えてくれたものだと思う。それほどまでに、村長の言葉は重かった。


 「····『天の欠片』は、あと一年の命です。恐らく来年の『祭儀』を以て、その生を全うする。あの御力は、命と引き換えなのです」


 「命と?」


 「はい。故に『天の欠片』は短命です。『天の欠片』に選ばれた時から、これは定めなのです」


 あの元気そうな少女が、来年で人生を終える。

 私の『全て』を視たのなら、私の旅に分かりやすいゴールが無いことなど解っていたはずだ。

 

 「······なら、何故彼女は私に『書け』と言ったんだ?」


 それは、村長に向けた問いではなかった。

 しかし、村長は問われた主の意思を代弁した。


 「·····彼女は、村の『外』を見たことがありません。10歳のとき、天に『欠片』としての巫女に選ばれた時から、ずっと神殿内で世話されてきました。そして今まで8年間、神殿外の人間と話したことはありませんでした。両親、幼馴染みでさえも、彼女を『神』として崇め、直接話そうとはしなかった。

 ······皆、『天の欠片』の御力は知っています。礼し、敬い、そして畏れる。····あの神殿に無遠慮に立ち寄り、扉を開けたのはあなた様が初めてでした。そして彼女が、『天の欠片』となって以来神殿外の人間と言葉を交わしたのも、あの夜が初めてだったのです」


 とてもそうは見えなかった。

 だが同時に、腑に落ちていた。

 確かに私は、あの力を『怖い』と思った。恐れたのだ。

 故に──彼女に当たった。


 「····なるほど、であれば私は、なんとも酷い事を言ったのですね」


 「いいえ、彼女は『とても楽しかった』と、そう仰ってましたよ」


 「え?」


 「『初めて、私を覗こうとしてくれた』──と。」


 「覗こうと、した?」


 「はい。『私の欠片を、ちゃんと見てくれた』と」


 彼女の、欠片。

 その表現の意味を、私は推し量る事が出来ない。

 私の欠片。彼女の欠片。天の欠片。

 『欠片』とは──なんだ?


 「村長」


 「はい」


 「一つ、教えてもらっても良いですか?」


 「なんでしょう」


 これは本来、彼女に聞くべき質問だった。

 だが、きっと彼女なら。私の全てを見通した彼女なら。

 この質問への答えを、用意しているはずだ。

 不思議とそんな確信があったし、なによりそうあってほしかった。


 「『天の欠片』とは、なんですか?」


 村長は、驚いたように目を見開き、神殿を振り返った。

 やはり、『彼女』は全てを知っていたらしい。


 「──彼女からの伝言でよろしいですか?」


 「勿論です」


 驚きつつも、同時に納得したように頷いた村長は、まるで餞別の言葉を贈るように姿勢を正した。


 「『天の欠片とは、命だよ』──と、『天の欠片』は仰いました」

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