第9話

「……んで、どうだい、進捗は」


 夕食が片付けられた後で、男は彼に聞いた。


「まず問題はないかと。取り敢えず魔法陣の書き換えはすぐに出来るようになりました。それが出来れば、国王を拘束できます。あとは銃を調整するだけです」


 楽しそうに話す彼に、男は欠伸で返事をした。


「ふぅん。んで、ここからどうやって脱出するんだい?」

「どうやって……といいますと?」

「何をするにも取り敢えずここから脱出しないと駄目だろ。……あれか、取り敢えず向かってきた奴は銃で殺せば良い。それも合理的だな」

「……いえ、それはしません」


 彼の声は、震えていた。


「もう、人が死ぬのは見たくないので」

「……ふぅん。んじゃ、どうするのか?」


 男の声が聞こえていないかのように、彼の目はどこか遠く、何もない一点を見つめながら震えていた。


「聞いているのか?」


 男に問い詰められているかのような感覚に、彼は囚われた。しかし、脱出法を聞かれているだけであるを思い出して、彼は何とか落ち着こうとした。


「いえ……、そうでした、そうでした。一つだけ案が」

「大丈夫か、お前」


 男は声が震えたままの彼を心配そうに見つめた。


「……いえ、大丈夫、きっと大丈夫です」

「無理はするなよ」


 男の心配を振り切ろうとするかのように、彼は乾いたような元気な声で話し出した。


「この国の兵士は必ず雷鳥の毛皮から作った服を着ています。基本スタンは効かないですが、肌が露出している部分を狙えば、二つの条件を満たすと気絶させる事ができます。一つは高火力、もう一つは至近距離です。もう片一方の銃に比べたら火力は劣りますが、こうすれば絶対効きます」


 そう言って、彼は銃口に手をくっつけた。


「顔面は出ているので、気絶させるのには十分だと思いますが、いかがでしょうか」

「まぁ……、いいんじゃないか、その背で届くなら」

「……また、チビって言いましたよね、暗に」


 頬を膨らませる彼を、男は鼻で笑った。


「んじゃ、俺は寝るから、後は頑張り──」


 突然、扉を叩くような音が聞こえた。部屋全体が凍りついていくのを彼らは感じた。


「急げ、急いでしまえっ、来るぞ!」

「わっ、分かってます!」

「チッ、……夕食後に来るなんて、聞いてねぇ!」


 彼は急いで銃と散らかしていた魔法書をしまおうとするが、しまい切るよりも先に扉が開いた。


「久しぶりだな」


 一人の看守が、部屋の中へと入ってきた。彼はその声を聞いた記憶はあったが、それがいつ、どこでだったかを思い出すことはできなかった。


「……知り合いか?」

「いえ。……どこかで会いましたっけ」


 器用に残りの魔法書を膝の下に隠しながら、彼はその看守を隅々まで見た。ぼんやりとではあるが、その姿には見覚えがあった。


「別に覚えてなくて構わん。ただ、礼を言いに来た」

「礼……と言いますと?」


 彼は首を傾げなから、続きを待った。


「妻……、いや、アルマを保護してくれた事、感謝する」


 看守は、深々と頭を下げた。しかし彼は、目の前の事が飲み込めておらず、むしろ看守が急に頭を下げてきた事が彼の混乱に拍車を掛けていた。


「何があったんだ、取り敢えず」


 男が、彼の耳元で囁いた。


「いえ、さっぱり。人違いじゃないですかね、取り敢えず」

「ただ、利用できるものは利用した方がいい、非常事態だしな」


 彼と男がヒソヒソ話を始めたのを見て、その看守兵は無表情のまま頭を掻いた。


「やっぱり、俺の読みは当たってたか」


 読み、という言葉に、彼と男は一瞬だけ固まった。


「脱獄願望の強そうな奴に隠し球を持っていそうな奴、混ぜたらどうなるか。……まぁ、そうなるか」


 彼らは、思わず目を見合わせた。

 これまでの何もかもが外に聞かれているのでは無いか。幸運にもそうでないとしたら、無理矢理隠すしかない。

 盗賊の寝ぐらにうっかり立ち入ってしまった時のような、もしくは魔獣の尻尾をうっかり踏んでしまった時のような。凍えるような寒気に、彼らは震えることさえも出来なかった。


「……間違っていたか?」

「ええ、そんな滅相も無い。ただの更迭された役人とポーターですよ、何が出来ると言いますか!」


 身の危険を感じてすっかり役人の口調に戻った男の言う事に、彼は大きく頷いた。


「……俺はまだ、何も言っていないぞ」


──しかし、その動作は、かえって仇となった。


 看守は彼の方に近づきながら、膝の下に隠された魔法書を一瞥する。

 そして、腕を伸ばせば届くような間合いで、その看守は彼の脇に腰かけた。


「安心しろ。ただ、頼み事に来ただけだ。聞いてくれるだけでいい」


 その看守は、彼らだけに聞こえるように囁いた。



─────────────────



「……んで、どうする、信用するか、アイツの言う事」

「正直、悩んでます」


 看守が出て行った後で、彼らは看守の頼みを聞くかどうかで悩んでいた。


「……余計に断りにくいですからね」


 看守の男の頼み事とは、地下牢に閉じ込められている妻を助けて欲しい、という事だった。


──首輪に縛られなくても済むような、どこか遠くに妻を連れて行って欲しい。


「国外に妻を逃してくれ、という事でしょうかね」

「まぁ、そうだろうな」


 ただ、それだけならまだ断りようもあったかもしれない。しかし、


「……まさか、この国に来る前に助けたのがアルマさんだったなんて」


──詳しいことは、別の看守経由で聞いた。この国に連れ戻して来た事には、俺は何の恨みも持っていない。というより、あのまま放置された方が危なかっただろうからな。お前には感謝している。


「……取り敢えず話を信じるのであれば、アルマさんは今、無事だそうですね」

「だろうな、多分」


──俺の妻は、魔導師であるアイツの父が反逆罪で捕まってから、実質奴隷のような扱いを受けている。当時兵士だった俺も、その時に地下に回された。

俺が聞いた所だと、あの時妻は薬草を取りに行かされていたらしい。ここら辺じゃ栽培されていない薬草だったらしく、崖から体を乗り出して取ろうとしていた所で落ちた、と仲のいい同僚から聞いた。

……んで、だ。取り敢えず、お前らと協力したい。明日、俺はここの配膳担当だ。そして、お前の銃は、俺が預かっている。


 俺を殺して、この銃を奪え。


「……確かに、あの時に見せられた銃は、僕のでした」

「……マジか」


──妻さえ逃してくれれば、俺はどうでもいい。


 彼は、最後のその言葉を反芻していた。

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