第9話
長机の並ぶ部屋の中に、光属性魔法の照明が灯る。エーデの母、アグネスの宿の食堂の奥に、小さな少年は座っていた。その少年は、三冊ほど山積みされた魔道書の脇に別の魔道書のを広げており、その様子はまさに魔法の勉強に励む優秀な少年そのものだった。
ただし、彼がブツブツ言いながら物騒なモノ、詰まるところの「魔法銃」を触っていなければ、ではあるが。
彼、アルザは、目を細めつつ、右手の指で魔法銃(普段左側に下げている方)の持ち手部分に埋め込まれた魔法石をなぞる。そのまま指に力を込めて魔法石を光らせてから、もう一度その部分をなぞり直した。そして、はた、と手を止め、思い出したかのように昨日貰った飴玉を取り出して口の中に放り込み、再び魔法銃を
彼は心理的に疲れていたのだろう、明日の出発の準備を忘れて没頭するくらいには。
彼が魔法銃を弄っている間に、壁についていた光属性魔法照明が、アグネスによって、いつのまにか松明の先についた炎に置き換えられる。赤々と燃える炎は、これから来る夜を淡々と照らしているようにも見える。
彼は、昨日も一番奥に座っていた酒飲みの冒険者に席を譲り、隣の長机に移って魔法銃弄りを続けた。
客が一人、また一人と入るにつれて、食堂は賑やかさを増していく。しかし、彼の手は、だんだんと止まりがちになっていった。
──食事をしてから、残りは部屋でやろうか。
彼は魔道書を閉じて、一冊づつしまい出した。
「おや、食事はどうするんだい?」
彼が振り向くと、アグネスが見下ろすようにして彼の手元を覗き込んでいた。
「部屋で食べるのかい?なんならうちのエーデに運ばせようか?」
「いえ、今日もここで頂きます」
「そうかい、それじゃ何にするかい?」
「昨日と同じで」
「はい、はい。ちょっと待っててね」
彼は、近くの窓から外を見た。夕日の代わりに、黒い雲が空を覆っていた。
「明日には幾分か良くなっているといいのだけれど」
少し伸びをしてから机に突っ伏す。それから寝てしまうまでには、時間はさほどかからなかった。
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「すみません、ギルド職員です、緊急依頼が入りました、冒険者の皆さんはすぐに冒険者ギルド会館へ!」
突然の甲高くて大きな声に、彼は目が覚める。辺りを見回すと、食事を切り上げて食堂を後にしようとする人や、とりあえず食事を掻き込む人、なんとか断れないかと交渉している人などで混乱の中にあった。
「しかしまあ、ポーターは無関係なんだよね」
慣例的には、ね。
少し寂しく思いながらも、こうして眠ってられるのはありがたい。
「あのう、すみません、アルザさん、ですよね?」
先程とは別の声が彼の後頭部の方から聞こえてきた。
「はい、そうですけど」
彼は顔を起こさずに答えた。
「依頼です、すぐに来てください」
「僕はポーターで、冒険者ではありませんよ、慣例的にも」
「今回は戦闘能力のある人にはお集まり頂いているので」
軽く伸びをしてから、彼は職員の方を向いた。
「僕みたいなポーターに戦闘力を期待するのは間違っていますよ」
「いえ、バーンウルフを狩れる程度で十分です」
「ああ、あの時の、あれは群れからはぐれていた一匹を狩っただけです、群れは無理ですよ」
「いえ、経験者とパーティを組んでいただくので問題ありません。それより、これは強制依頼ですので」
「……てことは、依頼を受けずにさっさと出国、という訳にはいかない、と」
「ええ、何せこの街の刑務を司るザール家からの依頼ですから、二度と入国できなくなるおそ……」
「それは、救援依頼ですか?」
頭の中に、昼に会った三人の姿が思い浮かぶ。最悪の事態が思い浮かんだ彼は、職員の話を遮るように聞いた。
「あ、ええと、一応名目上は討伐です、恐らく、は」
職員は、今さっきまで寝ぼけ気味で返答していた彼からは考えられないような真剣な目つきに圧倒されながら答えた。
「詳しいことを……、いえ、無理そうですね。わかりました、それではこれだけ伺います。今回の救援対象は、3人組ですか?」
職員は少し考えてから、首を横に振った。
「多分一人だと思いますが」
「……そうですか、ありがとうございます」
彼はショルダーバッグを掛け直す。コートの端をめくるようにして両脇の魔法銃の持ち手に軽く触れると、席を立った。
「やるしかない、と」
自分に言い聞かせるように呟いて、扉の方へと歩いて行った。
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大人数が集まれるようにするためか、机や椅子の取り払われたギルド会館のロビーは、冒険者らでごった返していた。入口の扉を開けた彼は、そのことに溜め息を漏らしながら受付よりの壁に寄りかかった。
「注目!我はザール家の遣いの者である、これより依頼内容を伝達する!」
ホール内が、それまでとは違った意味でざわついた。彼は何が起こったのか見ようと背伸びしたり、ジャンプしてみたりしたが、周りの冒険者、特に男性冒険者の背丈を越して、反対側の壁にいるであろう人を見ることはできなかった。
もう少し背が高ければ。この時ばかりは少しだけ、肩を落とした。
「静粛にっ、静粛に!」
しかし、場の雰囲気は、そのようなことさえも悩むことを許さない方向へと動き出していた。
「これから、お前らにはバーンウルフの討伐を行なってもらう!」
「おいおい、嘘だろ!」
「こんな暗いのに、無茶よ!」
「外を見てみろ、そもそも天候が悪くなりそうだったから切り上げて帰って来たんだぞ!」
冒険者らは、口々に不平や不満を
「ええい、黙れ、静粛にっつってんだろ!」
霧の中から突き刺すように、遣いの男の声が響いた。
「これからお前らには、4人前後のパーティに分かれてバーンウルフの討伐を行ってもらう。ただし、各パーティには必ず一人医術師が入ることとする」
遣いの男は再び騒がしくなる前に、深呼吸をしてから話を続けた。
「それから、現在ザール家の長男、エストワール次期伯爵が森の中にいる、見つけ次第連れて帰還するように、以上!」
その場は、しばらくの間沈黙が支配した。
「……てことは、あれか、つまり討伐プラス救援、ってことかよ」
「つうか討伐ってことは、バーンウルフ全滅させて来いってことだろう?」
「そもそも刑務担当の貴族なのだろう?自分達で行けばいいのでは?」
「……所詮汚れ仕事は俺らの担当、と言ったところだろうな」
「さっき受付にいた可愛い子に聞いたけど、断ったらやばいらしいぞ」
「……こんな時でもふざけてられるお前って最強だわ」
ロビー内の空気は、肌を刺すようなチクチクしたものから、諦めを含んだ思いものへと変わっていった。彼も含めた冒険者らは皆、現実をなんとか受け入れようとしていた。
「んで、どっちが優先なんだい?」
「具体的には、討伐と救援っすね」
前の方で、冒険者と思われる二人の男の声が聞こえた。こういうことに慣れているのか、それとも度胸があるからか。男らは使いの男に詰め寄っているように聞こえた。
「さっすがに両方一気には無理だろう?」
「そうっすね」
「んで、どっちなんだい?」
「両方だ、両方!」
遣いの男の声が、問答無用と言わんばかりに言い切った。
「だけどよ、簡単な話じゃないんだ。もし、どっちか捨てなくちゃならないんだったら、どっちを捨てる?」
「多分口止めされているんだと思うっすけど、あえて言うならでいいっすから」
「……討伐の方を」
諦めたような溜め息とともに、遣いの男が言ったのが聞こえた。
「うんじゃぁ、決まりだな。救援依頼だ。あとはどこに誰を配置するか、か。長男坊とやらがどこにいるのかわかればいいが」
冒険者らは、再び顔をしかめた。できれば危険なところに配置されたくはない。かといって、救援に失敗したら面倒事が待っているのは目に見えていた。
何かいい解決策はないか悩んでいるところに、職員も何も言えずにいた。
「あの!」
彼は、勇気を出して声を上げた。
「あの、もしかして、ですが、上位種を狩りに行ったのではないのでしょうか?」
その場にいた全員が、顔を顰めた。
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