第5話

「おい、起きろ、朝だぞ!」


──もう少し、もう少しだけ、


「この、ねぼすけめ、早く起きろ!」


──あと少しで起きるから……


「まったく、今日は銃の扱いを教えてやるって言ってあったのに」


──うぅ、眠い……






 ガバッ、と、彼は布団から飛び起きた。

 起きるとすぐに、左の方に顔を向けた。コートが掛かった椅子が、カーテンの隙間から差し込んだ光に照らされていた。部屋を見回すようにして、右を向いた。テーブルの上に、ガンベルトが置かれているだけだった。


「夢、か」


 ベットの脇に脱ぎ捨てた靴を履いて、彼は少し伸びをした。

 朝食にしようかと呟くと、彼は食堂へと降りていった。



─────────────────



「……んで、今日は何をするつもりだい?」


 少し遅く起きたこともあってか、食堂は彼一人しかいなかった。昼まで客は来ないだろう、と考えたのだろうか、エーデの母のアグネスは、食事する彼と机を挟むように座って、足組みをしながら新聞を広げていた。


「そうですね、本屋に行こうかと」

「……何か探し物かい?」

「いえ、魔法関係の本を読みたくて」

「ほう、確か大通り沿いに1軒あったような。まぁ、最近は行ってないからね。保証はできないが」


 パンを頬張る彼をちらりと見て、アグネスは新聞へと戻っていった。



 少ししたあとで、アグネスは再び新聞から目を離した。


「そういえば、次の依頼は受けたのかい?」

「突然ですね……。荷物の配達依頼のことですか?」

「一応、うちのエーデが聞いていたからね」

「多分、午後に取りに行けるかと」


 ごちそうさまでした、と手を合わせて彼は席を立った。そして、扉を押し開けて、ドカドカと音を立てながら階段を駆け上がっていった。


「うるさい子が一人増えたねぇ」


 そう言いながらも、アグネスはどこか嬉しそうだった。



─────────────────



 身支度を整え、ショルダーバックを持ち、ガンベルトをつけて、彼は宿を出た。春の風に少し大きなコートの端をなびかせながら、大通りへ向けて歩き出す。


──今日はここを曲がってみようか。


 昨日来た道の一本手前で小道に入る。時折、建物の陰に吹く肌寒い風に震えながら歩くと、昨日歩いた大通りに出た。

 右へ曲がるか、左へ進むか。


「とりあえず、右に曲がってみようかな」


 値切り交渉をする店の人とのやりとりを見かけては、追いかけっこをしている子供をよけて、賑わいのある大通りを歩く。早くも昼に出す食事の仕込みをしているのか、どこからともなく漂ってくる美味しそうな香りに、一瞬、思わず目的を忘れそうになった。

 一際立派なギルド会館街を眺めながら、彼は中央の広場を抜ける。


「反対だったかな」


 そう言いながらも、彼の声はどこか弾んでいた。


 広場を抜けて少ししたところで、彼は一際古びた店を見かけた。興味を持った彼は、店のなかに入ってみた。

 木組みの建物のなかに漂う、紙とインクの香り。


「本屋、だね……」


 本棚の林を抜けながら、彼は店内を見渡す。天窓から差し込む光は、薄暗い中にほのかな暖かみを与えているようだった。

 彼は踊るように店の奥に入って行く。流行りの英雄物の小説を越したところには、歴史書が厳めしそうな顔をして座っている。突き当たりを左に抜けて、……


「いらっしゃいませ」


 ひっ、と彼は甲高いこえを上げて、飛び上がる。バランスを崩して尻餅をついた彼を見ても、声をかけた、店の主と思わしき男は無表情なままだった。


「どういった本をお探しで?」


 息を整えるように深呼吸をして、彼は立ち上がった。


「魔法書はどこにあるのでしょうか?」


 その男は、彼をじっと見てからため息をついて、こちらです、とだけ言って彼の脇を横切っていった。呆気にとられていた彼は、男が先へ行ってしまうのを見て、慌てて後を追った。


「こちらになります」

「……これ、ですか?」


 男が指差す先を見ると、確かに魔法関連の本が並んでた。だが、背表紙に『初めての』『入門』『誰でもできる』といった言葉が踊っているのを見ると、馬鹿にされたような気がした彼は、お礼も言わずに奥の棚へと進んでいった。


「……お気に召しませんでしたか?」


 後から追ってくる男を無視して、彼は本の背表紙を追いかける。


「……確か、こういった本は手前の棚に置かれることが多かったから。あった、これだ」


 彼の指差す、古めかしい本を見て、その男は殊更嫌そうな顔をした。


「ええと、専門書をお求めでしたか」


 彼は、ショルダーバッグの 中から丸椅子を取りだし、よじ登って高い所の本へと手を伸ばす。


梯子はしごなら裏に……」


 危なげながらも目当ての本を取った彼は、そのまま椅子に腰掛けた。


「はぁ、これだから……」


 店員のぼやきも何のその、とでも言いたげに、彼の意識は本の世界へと溶け込んでいった。



─────────────────



「……ところで、もう30分は経ちましたが?」


 彼の両脇には、二つの本の山ができていた。それもご丁寧なことに、二つの本の山の下には、汚れがつかないよう布が敷かれていたのだ。そして彼は、両脇に積み上げられた山を倒さないようにして、器用に本を読みふけっていた。


「ところで、もうそろそろ、お会計を……」


 言われて初めて、既に長い時間が経っていたことに気がついた。


「おや、かなり経っていましたか。ええと、今読んでいるのと、左の5冊が購入で、右の4冊が持っている本なので後で戻します」

「はぁ、ありがとうございます。……ところで、もうそろそろ読むのをやめてくれませんか?先程の失礼は謝りますので」


 彼は本を左の山に積んでから、首を傾げる。


「……ああ、入門書の方に案内されたことですか、気にしていませんよ」

「いえ、それならいいのですが……。実は魔法書を買いに来るのは、貴族の御坊ちゃまか、あなたのような魔導師くらいでして……」

「僕はどちらでもありませんよ」


 そう言うと、彼はショルダーバッグを指差した。

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