5-4 別視界

 日下先輩は遅くまで学校に残る場合、寮の食堂を利用せずに購買部で事前に勝ったもので夕飯を済ませてしまうらしい。食堂の利用時間に縛られず、ギリギリまで学校で仕事をしたり、自室にこもって仕事をするためだという。

 高校生だというのに、すでに立派なワーカーホリックだ。寮母さんが心配するのも分かる。


 昨日も遅くまで生徒会室で仕事をし、私と香奈が夕飯を食べている間に自室に戻ってしまった。

 あのフラフラの状態から、遅くまで仕事をしていたという事実を知っているだけに、自室に訪問するなんて出来ず、私たちは今日、学校で話を聞こうとあきらめたのだが……。


「日下先輩、休みらしいね」

「彰君も聞いた?」


 考えることは彰も一緒だったらしい。私と香奈は朝一で三年生の教室にいったが、日下先輩の姿はなかった。代わりにいたのは小宮先輩で「美幸ちゃんなら休みだよ

」とのんびりした笑顔で告げられた。

 二人がクラスメイトなのも新事実だが、真面目な日下先輩が学校を休んだという事実に驚き、ますます心配になった。


「日下先輩……大丈夫かな……」

「うーん、大丈夫かどうかは分からないけど、とりあえず今日は地元に帰ったみたいだよ」

「え? 地元?」


 何でそんなことを彰が知っているんだと、私と香奈はじっと彰を見つめる。私たちとは入れ違いに彰も三年教室に日下先輩を尋ねにいったんだろうか。


「安否確認のついでに、何か情報もらえないかなーと思って生徒会室いったんだよね」

「生徒会室いったの!?」


 三年教室どころか、まさかの生徒会室。さすが彰。行動が斜め上だ。


「敵陣に乗り込むようなものじゃ……」

「敵対してるつもりはないんだけどなあ……。まあ、敵対してるって錯覚しそうなくらい、睨まれたけど。日下先輩、僕のこと何ていったんだろ」


 初対面で彰相手に討論したのとほぼ変わらない内容を、生徒会室でも役員に向かっていっていたのではないかと私は予想を立てる。おそらく外れていないだろう。いくら耳が早いといっても、ここ数日で寮母さんにまで話が広まっているくらいだ。もしかしたら、行動を起こしたのが最近なだけで、もっと前からマークしていたのかもしれない。


 小宮先輩と同じクラスということは、小宮先輩を呼び出したあの時、日下先輩が教室にいた可能性もあるのだ。あの時の彰は見る人が見れば十二分に胡散臭かったし、小宮先輩が毒牙にかけられたと思うのも納得だ。


「とにかく、君たちと一緒で、遠方から来た生徒なんだって。いつもは平日じゃなくて休日なんだけど、今回は急に休んだから、お前が何かしたんじゃないかって、すごい疑われた」


 生徒会室でのやり取りを思い出したのか、彰が顔をしかめた。

 昨日、日下先輩が彰と待ち合わせしたことを生徒会役員は知っていたのだろう。業務連絡はキッチリするタイプだろう。あのフラフラの状態から、生徒会室に戻ったのも間違いない。寮に帰らず、別の場所で時間をつぶすような性格でもないし、理由もない。一人で考え事をするなら、それこそ寮に戻った方が早いのだ。


 生徒会室に戻った日下先輩が、弱った状態を上手いことを隠し通せたとも思えない。きっと、心配する役員を大丈夫でごり押し仕事をしたのだろう。

 その次の日に日下先輩らしくない休みとなれば、生徒会役員が彰を疑うのはもう自然の流れだ。彼らからすれば他の原因は思いつかない。その予想は的外れとも言い難い。直接的ではないとはいえ、彰が関わっているのは事実だ。


「日下先輩が地元から離れてるって意外……」

「私たちも地元から離れてきてるし、普通じゃない?」


 私の言葉に香奈は真剣な顔のまま、首を左右に振った。


「私たちは地元から離れたかったし、この学校の立地とか雰囲気を気に入って入学したけど、日下先輩ってそういうタイプに見えない」


 たしかに、言われてみればそうだ。

 うちの学校は隠れ家的な雰囲気に惹かれて入学する、どこか夢見がちな生徒が多い。日下先輩はそういうタイプではないだろう。


「学力だって低くはないけど、高くはないし。日下先輩だったら地元で、偏差値がもっと高い学校いくらでも入れたんじゃないかな。先輩ずっと学年トップ維持してるんだよ」


 生徒会長というと頭がいいイメージがあるが、日下先輩はそのイメージを損なわない人らしい。真面目で責任感が強く、成績は学年トップ。生徒会長を絵に描いたような人物像だ。そう思うと、少しだけ怖くなる。


 昨日の寮母さんの話を聞いたせいだろうか。前だったら特に気にせず、すごいなで済んだ話が、それすらも他人に尽くさなければいけないという日下先輩の異質さによるもののような気がしてくる。


「昨日のことがショックで、気持ちを落ち着かせるために地元に帰ったんだとしたら、地元にいたくないって理由で出たんじゃないと思うの。このあたりだって、もっと日下先輩にあった学校あるのに……、なんでうちの学校だったんだろう」


 香奈の言葉に私も考える。日下先輩は何にひかれて、わざわざ遠方からうちの学校を選んだのだろう。


「そう言われると変だよね。日下先輩、地元に帰るのって月一らしいし」

「月一?」


 遠方というからには離れているだろうに、月一で地元に帰る。それならば、黙って地元で進学した方が早い。何でわざわざという気持ちが強くなる。


「生徒会の人に聞いた話じゃ、誰かのお見舞いにいってるんだって」

「……彰君、睨まれたっていうわりには話聞きだしてるね……」

「ほら、僕って美少年だからさ」


 答えになってないことを笑顔で彰はいう。呆れる言動だが、不機嫌よりはいつもの彰らしい。


「お見舞いって誰の?」

「それは分からないけど。前に日下先輩が、精神科のパンフレッド持ってるの見たんだって」

「精神科?」


 日下先輩とはずいぶんイメージがかけ離れた言葉だ。


「持ってる理由を聞いたら、知り合いが入院してて、お見舞いにいってるって言ったらしいよ」

「精神科に入院してる知り合い……」


 訳ありな雰囲気しかないが、それならば余計に地元を離れた理由が分からない。月一で会いに行くのならば大事な人だろう。だったら近くにいたいと思うのが普通ではないか。

 うちの学校に突出するような部活も学科もない。特徴といったら山の上という立地と、やけに整った校舎や寮くらい。日下先輩が魅力を感じるものがあるとは思えない。


「日下先輩もさ、叩けばホコリ出てきそうだよねえ」


 にやぁと意地の悪い顔で彰は笑う。日下先輩には色々と振り回されているし、初対面から散々に言われているから、やり返したいという気持ちがあるのは分かる。

 分かるが、今はタイミングが悪い。


「止めなよ。弱ってる人間にとどめ刺すようなこと」

「さすがに今はしないよ。日下先輩の弱み握るよりも、まずは日下先輩に頼まれた仕事をきっちりやり切って、僕の正当性を主張しないと」


 弱みはその後と続きそうな笑顔に、私は顔をしかめた。今はしないだけで、機会があったらやるという顔だ。本当に性格が悪い。


「そのためにも、さっさと解決しないといけないんだけど、日下先輩に後輩について問いただすのは帰ってきてからとして……。できたら、他の手がかりほしいなあ……」


 彰はそういって、うーんと唸る。

 他の手がかりがあるのならば欲しい所だが、やることはやった気がする。ほかに見落としはないかと考え直しても、なかなか良い案が思いつかない。

 香奈はどうかと顔を見れば、彰と同じく真剣な顔で考えていた。表情が険しい所を見ると、私と同じく何も思いつかないらしい。


「とりあえず、もう一回現場見てみるかあ……」

 彰がつぶやく。私たちにいったというよりは、完全な独り言のようだ。


「現場……?」

「昨日とは様子が変わってるかもしれないし、もうちょっと観察したら何か分かるかもしれない」


 彰はそういうと、よっという掛け声とともに、身軽な動作で立ち上がる。


「それって、幽霊をもう一回見に行くってこと?」

「それ意外に何があるの?」


 きょとんと首をかしげる彰。顔としぐさだけ見れば文句なしに可愛いが、私の顔は徐々に青ざめる。だって、幽霊をもう一度見るということは、あの悲惨な姿を見るということだ。


「別に、ナナちゃんたちは無理しなくていいよ。図書館とかで事件について調べるって手もあるし」

「いや、でも、彰君は平気なの!?」


 あんな悲惨なものを一度ならずも何度も。しかも今回は観察だ。前よりも凝視するということだ。思い出すだけでも胃液が逆流しそうになる、幽霊の惨状を。


「慣れたよ」


 あっさり答えて歩きだす彰を、私はぼう然と見送る。

 もうすぐ午後の授業が始まる。このまま教室に戻るつもりなのだろうと、冷静な部分で考えた。


 こういう時に実感する。佐藤彰と私は見ている世界が違うと。

 きっと彰が見てきた世界は、私が日常だと思っていた世界よりも恐ろしく、血なまぐさく、悲しみに満ちている。それに慣れ切ってしまうほど、彰は何度も、それこそ日常になるほどにそんな光景を見てきたのだろう。


 全く別の視点を持った、まったく別の人生を生きてきた人間。それが佐藤彰であり、私が彰を理解できないのは、仕方のないことなのかもしれない。


「……香奈はどうする?」

 私は腰を浮かせつつ、座ったままの香奈に問いかける。


「七海ちゃん?」

「私は彰についてくけど、香奈はどうする?」


 私の言葉に香奈は驚いた顔をした。

 私たちは幽霊は見えないが、昨日、今日だ。一日ぐらいでは忘れられない衝撃を私は受けた。見えないと分かっていても、昨日の光景を思い出して平静ではいられないだろう。怖がりな香奈ならば尚更だ。


「無理しなくていいよ。何かあったら、ちゃんと伝えるし」

「……でも、七海ちゃんは行くんでしょ?」


 香奈の言葉に私は少しだけ迷って、それから深く頷いた。


 彰は言った。慣れた。と。

 それは裏を返せば、慣れる前は私と同じように悲しんだり、苦しんだり、辛い思いをしたということだ。最初から何も感じていない人間は「慣れる」なんて言葉を使わない。

 それに気づいてしまったら、いくら慣れたといっても、一人で生行かせるわけにはいかない。きっと彰には、余計なお世話と言われてしまうだろうけど。


「じゃあ、私も行く」

 香奈はパンパンとスカートのホコリを払って立ち上がる。


「怖いけど、七海ちゃんが彰君を一人にできないように、私も二人を一人にできないから」


 にっこり笑った香奈に、勝てないなと思う。私の意図も、彰のこともちゃんと分かって、そのうえで笑うのだから。


「香奈って、怖がりなのか強いのか、たまに分からなくなる」

「七海ちゃんも面倒見いいのか、面倒くさがりなのか分からないところあるから、似たようなものだよ」

「あー確かに……」


 香奈の言葉には私は納得した。

 人間ってものは、矛盾を抱える面倒な生き物なのかもしれない。

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