5-6 理想の結末
重里。その名前を私は確かに彰の口からきいた。白い猫を廃ビルに集めるように指示したストーカーの名前。
「えっと……何か?」
反応しない私たちに玲菜さん小首をかしげた。その表情は美しく、それだけに鳥肌が立つ。その瞬間、所作も姿も全てが完璧に整っている玲菜さんの目が冷え切っていることに私は気づいてしまった。
「いえ、知り合いに似ていたものですから、気になっただけです。勘違いでした。申し訳ありません」
彰がよそ行きの笑顔で答える。玲菜さんは相変わらず全く感情をのぞかせない目で彰を見て「そうでしたか。気にしないで下さい」と答えた。
冷たい目にさえ気づかなければ完璧だ。
数秒、彰と玲菜さんが見つめ合う。お互いに腹の内を探るような攻防は、友里恵ちゃんをなでることに夢中な小宮先輩が気付く前に終わる。
小宮先輩が玲菜さんに視線を向けると、玲菜さんは綺麗にほほ笑んだ。その途端に玲菜さんの目が柔らかくなる。先ほどまでの凍った目とは思えないほど、甘く柔らかいその目を見て、私は悟る。
この人が先ほど甘い目で見ていたのは友里恵ちゃんではない。小宮先輩だ。
「僕のことはいいので、ほかの方と話してください。皆さん心配していたんでしょう」
彰がにこりと笑って、輪の中に戻るようにとうながした。これ以上、ここで玲菜さんと腹の探り合いをしても意味がないと思ったのかもしれない。
正直、ぞわぞわとした悪寒が消えない身としては有り難い。すぐにでも目の前の得体のしれない女から離れたかった。
「佐藤君、今回のことは本当にありがとうね」
「いえ、結局、僕は何もしていません。小宮先輩を不安にさせるようなことばかり言ってしまいましたし」
「でも、それは俺と友里恵のことを本気で心配してくれたからでしょう」
小宮先輩は愛おし気に友里恵ちゃんを見て、頭をなでる。
「それに、佐藤君が公園に行こうって言ってくれたおかげで、また友里恵と再会できたし玲菜さんとも会えたし」
小宮先輩は少し照れた様子で玲菜さんの顔を見る。そんな小宮先輩の態度に玲菜さんは本当に嬉しそうに微笑んだ。
ここだけ見たらとても初々しく、美しい光景だろう。顔立ちの整った男女二人。猫をきっかけに出会い、ひかれあう。恋愛ものとしてはベタかもしれないが、王道といえる展開だ。
だというのに、先ほどから鳥肌が止まらない。
「今度、お礼させてね」
小宮先輩は笑顔で、輪の中に戻っていった。玲菜さんは当然のようにその後ろに続く。今日会ったばかりだというのに、そこにいるのは当然だというように自然に、堂々と付きそう姿がどうしようもなく気持ち悪い。
「ねえ、重里って……」
「ストーカーの苗字。っていうか、重里玲菜っていうのがストーカーの名前」
さらりと彰は答えた。顔を見ると、彰らしからぬ忌々し気な顔で、しまいには堂々と舌打ちをする。小宮先輩がいなくなるまで我慢していたらしい。
「ってことは、あの人……」
「間違いなく、小宮先輩をストーカーした犯人だよ」
小宮先輩の隣にたつ、小宮先輩の理想を体現した女性――玲菜さんを見る。その姿とストーカーという言葉が全く結びつかなくて眩暈がした。
「冗談じゃ……」
「こんなところで冗談いってどうするの。いうんだったらもっと面白いこというし」
彰はそういって、さらに舌打ちした。
「僕はさあ、ストーカーが姿を消したのって油断させて、好機を狙うつもりだと思ってたんだよ。友里恵ちゃん誘拐だって、小宮先輩の精神を不安定にさせて、自分を受け入れてもらいやすくするためだって」
それに関しては私も同じことを思っていたので、黙って頷く。
「でも違ったんだよ。小宮先輩、ファミレスでいってたこと覚えてる?」
「ファミレス?」
今朝、作戦会議した時のことを思い出す。そんなに時間がたっていないのに、今までの時間が濃すぎて上手く思い出せない。小宮先輩は何を言っていたんだっけ?
「吉森君にさ、理想の彼女像語ってるところを誰かに見られてたんじゃない? って言われたとき、小宮先輩いったでしょ。聞いたとしたらストーカーだけだって」
「そういえば、言ってたね」
「ナナちゃんそれ聞いてどう思った?」
彰がじっと私の目を見上げて問いかけてくる。私は彰の眼力に戸惑いつつ、必死に記憶を探り寄せた。
「小宮先輩の理想像と自分が違いすぎるって気づいて諦めたとしたら、素直すぎ。って思ったかな」
そう言ったところで、私は彰の言わんとしていることに気づいて、いやでも、まさかと自分の思考を否定するために彰を見た。
「わかる。まさかって思うよね。でもさ、そのまさかが当たってたんだよ」
彰は皮肉気に口元をゆがめた。
「ストーカーの重里玲菜さんがね、姿をくらましたのは小宮先輩を油断させるためじゃない。小宮先輩がつぶやいた理想の彼女になるためだったんだよ」
私は人の輪の中で笑いあう小宮先輩と、その隣に寄り添う玲菜さんを見た。
「ストーカーしてた時の写真見たけどさ、もう別人も別人。当時の彼女知ってる人にあったって、同姓同名の別人だと思うだろうね」
それは当然、小宮先輩も含まれる。
小宮先輩の場合、ストーカーとしての彼女しか知らないから、余計に今の玲菜さんとは結び付かないだろう。今の玲菜さんは女性が苦手になった小宮先輩が救いを求めた、理想の女性なのだから。そんな理想の存在が、女性が苦手になった原因なんて考えもしない。
「じゃあ、友里恵ちゃんを誘拐したのは?」
「小宮先輩に自然と近づく口実を作るためだろうね。溺愛している猫を助けてくれた恩人を小宮瀬先輩が邪見にするはずないし、友里恵ちゃんが懐いたなら尚更」
小宮先輩の腕から離れ、玲菜さんにだっこされている友里恵ちゃんを見る。小宮先輩にだっこされていたときと同じく安心しきった様子を見るに、嘘ではなく本当にかわいがったのだろう。
小宮先輩に好かれるために。
「他の白い猫を集めたのは……」
「小宮先輩に限ってないとは思うけど、別の猫に執着して友里恵ちゃんへの興味がなくなったら意味がないから、保険ってところじゃないかな」
彰の口調がだんだんと投げやりになっていく。
「でも、小宮先輩を見張ってた男の人いたでしょ。あれは!?」
「重里さん家が雇った人間だって。小宮先輩の動向探ってたんだろうね。友里恵ちゃんになつかれる前に小宮先輩に何かあったら、計画も何もないし。友里恵ちゃん餌付けして誘拐したのも、雇われた人だと思うよ。いざって時に言い逃れしやすいように、わざと柄悪い奴らばっかり雇ったみたいだね」
「それ、全部、彰の妄想っていうことは……?」
最後の望みをかけて私は彰に問いかける。彰にどんな罵倒をされたとしても、この問いかけを肯定してくれるなら、今ならすべて受け入れられるだろう。
そう思って、一縷の望みをかけて問いかけたが、彰は私の目を見てハッキリ告げた。
「妄想だったら、よかったのにね」
その言葉を聞いた瞬間、私は両手で顔を煽って天を仰ぎ、言葉にならないうめき声をあげた。指の隙間から見えた空が、やけに晴れ渡っているのが恨めしい。何だか、小宮先輩――いや、全てを手に入れた玲菜さんを祝福しているようで、何ともいえない気持ちになる。
「小宮先輩もさー、人を疑うってこと知らな過ぎるよね。猫を拾って手当するまではよいとしてさ、猫にアイスなんてあげないでしょ。しかも、あんな高いやつ」
彰の言葉には私は内心、激しく同意した。態度に示す元気は残っていなかったが、心の中は大荒れだ。
「恋は盲目ってやつなのかなあ……」
彰はそういって大きなため息をついた。
空から視線を下ろして、小宮先輩と玲菜さんを見る。小宮先輩は友里恵ちゃんを抱き上げる玲菜さんを、頬を赤くしながら見つめていた。その姿はどこからどう見ても、恋をしている人の姿で……。
「愛って怖いねえ……」
しみじみと呟く彰に、私は力なく頷くことしかできなかった。
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