4-6 逃走

「逃げるって。だって百合さんが!」

「私たちを逃がすために犠牲になってくれてる! だから早く!」


 押し問答している時間はないと吉森少年の手を掴んで無理やり引っ張る。

 が、体は小柄でも男だ。全く動かない。意外と体引き締まっているし、元ヤンというのも鍛えているというのも誇張じゃなかったらしい。

 今の状況では残念なお知らせだ。


「俺も加勢します! 百合さんを置いて逃げるなんて俺にはできません」


 目じりを上げて、真剣な表情で宣言する姿はカッコいい。

 カッコいいけど、分かってる? 百合先生が犠牲にならなくちゃいけなくなったの、君が空気をよまずに大声で声かけたからだよ?


 私は舌打ちすると再び強引に吉森少年を引っ張った。口でいっても聞かないだろうし、実力行使に出た方が手っ取り早いと判断したのだ。

 したんだが、相変わらず吉森少年は動かない。いやですーと駄々っ子みたいに頭を振って踏ん張る。


「意地見せるところじゃないから!」

「敵に背を向けるのも、恩人を見捨てるのも男らしくありません!」

「男らしさとか今誰も求めてないんだってば!」


 もーこれどうすればいいの! と吉森少年を引っ張りつつ、百合先生の方を見ると男二人と百合先生はこちらを見て硬直していた。百合先生が「何してんだお前ら」って顔をしているのはともかく、男たちも「え? どういうこと?」って顔をしている。


 逃げようとした相手がこっちそっちのけで、仲間われ始めたらそうなるよね。分かる! でも私だって、好きでこんなことしてるんじゃないから!

 そう内心で叫びながら、力いっぱい吉森少年を引っ張るが動かない。本当に無駄に鍛えてる! お前の鍛えるべきところは、体じゃなくて空気をよむ力だ!


「もー! 百合先生何とかいってください!」

「百合さん! このバカ力女どうにかしてください!」


 誰がバカ力女だ! このクソガキ!

 そう私が叫ぼうとした瞬間、百合先生が心底呆れた顔をしてため息をつき、唖然と事態を見守っていた男たちの足を払った。

 意識を私たちに持っていかれていたところで足を払われ、受け身も取れずに倒れ込んだ男たち。身体をぶつける鈍い音と、うめき声が聞こえるがお構いなしに百合先生は走ってくる。


 いざって時の容赦のなさは彰直伝……いや、彰が百合先生に似たのか……。


 そのまま百合先生は私たちのところまで走ってくると、私がいくら引っ張っても動かなかった吉森少年をひょいっと脇に抱えた。さすが大人の男の人と私が感動している間も与えずに、そのまま走り出す。


「えぇ!?」


 まさかの私を放置か!

 慌てて私は後を追いかけて走り出す。百合先生に本気で走られたらあっという間に置いて行かれる。


「ちょっと、百合先生!」

「先生、先生、連呼すんな! 変な噂たったらどうしてくれる!」


 そんな細かいこと今更気にしなくても、赴任した日には噂になってますよ。顔怖すぎるとか、教師に見えないとかそんなんで。


「すげえ! 百合さん!」


 吉森少年は小脇にかかえられたまま、キラキラした目で百合先生を見上げている。真っ暗だというのに輝いて見えるから、その輝きは相当なものだ。それでも百合先生は無視。

 それどころか、走りながら器用に吉森少年の頭を殴る。「いってぇ!」と悲鳴が上がったが、自業自得である。スカッとした。百合先生ありがとう。


「待て、お前ら!」


 復活した男たちの怒鳴り声と、追いかけてくる足音が聞こえる。百合先生はさらにスピードを上げた。子供とはいえ男一人を脇に抱えているとは思えないスピードだ。それでも一度見たことがある全力疾走に比べれば遅い。


「百合さん! おろしてください! 俺は戦えます!」

「戦ったら困るから、抱えてんだろうが!」


 走りながら怒鳴る百合先生に私は同意する。声に出さなかったのは声を出す余裕がなかったからだ。走りながら怒鳴れる百合先生の体力はすごい。これで体育教師ではなく数学教師なのだから、いろいろと間違っている。相変わらずサングラスにあいすぎだし。っていうかもう暗いだからとりましょうよ。見えてるんですか。


「逃げることないですよ! 百合さんだったら簡単にのせますって」


 抱えられた状態でファイチングポーズをとる吉森少年。抱えられて、自分の足で走っていないからずいぶん余裕だ。

 さっきから全力疾走の私は辛いものがある。

 体を動かすのは好きだから、ランニングくらいはしていたがあくまで趣味の範疇だ。全力疾走をし続けられるほどの体力はない。


 背後からは相変わらず男たちが追いかけてくる気配がする。さっさと諦めればいいのに、追いかけてくる男たちはずいぶんしつこい。一定の距離を保っている。 

 息が上がってきているのを自覚しながら舌打ちをした。

 前を走っていた百合先生がこちらを振り返って、眉を寄せる。私の体力が長時間持たないと察したのだろう。直線を走るのをやめて、目の前の角を曲がり、脇道へとそれる。

 

 無理やり脇道に入ったことで吉森少年が体をぶつけたらしい。悲鳴を上げるがお構いなしだ。私も気にしない。もう少し痛い目見てもいいだろう。


 脇道からさらに脇道へ、複雑な場所を選んで迷わず進んでいく。元々初めて来た場所だが、めちゃくちゃに走っているせいで方向感覚が分からない。

 それでも後ろから追ってくる足音は聞こえ続けている。向こうの方は土地勘があるのかもしれない。厄介だなと思うものの足を止めるわけにはいかない。必死に走る。


「……行き止まりか……」


 どのくらい角を曲がったのか、幾つ道を抜けてきたのか分からないが、百合先生の背中を追いかけて飛び込んだのは行き止まりだった。膝に手を置き、胸を押さえ、何とか息を整てながら私は舌打ちする百合先生を見上げる。


「観念したらどうだ」


 すぐ後ろから聞こえた声に私は心臓が跳ねあがった。振り返れば、いつの間にか追いついた男が二人、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。それなりに鍛えているのか息が上がっている様子もない。


 この場で息が乱れているのが自分だけという状況に苛立つ。男女差なんて言われても、悔しいものは悔しいのだ。あとでランニング量増やしてやると決意しつつ、私は男たちから距離をとるため後ずさる。


 百合先生の背後にまわりこむと、まだあきらめていなかったのか男たちに飛び掛かろうと暴れる吉森少年がいた。百合先生に抱えられたままだというのに元気なことだ。腹が立つし、八つ当たりついでに殴ってやろうかと思ったが、その前に百合先生が無言で後頭部にゲンコツを落とした。

 保護者の皆さま。これは暴力ではありません。正当なる罰です。ざまあみろ。


「お前ら、何の目的であそこにいた」


 男の一人がすごみながら、胸元からナイフを取り出した。料理ではなく、人を傷つけるという目的で出てきた刃物に私はひるむ。暴れ続けていた吉森少年もやっと状況を理解したのか動きを止めた。


「それはこっちのセリフだな」


 百合先生がすごむと男たちは一瞬ひるむ。が、すぐにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。いくらグラサンつけた強面男性だろうと、背後に女子高生をかばって、脇には男子中学生を抱えているのだ。迫力も半減どころの話じゃない。


「大したことじゃねえよ。少なくとも子守りしながら見に来るようなことはしてねえな」

「ああ」


 ナイフを見せつけながら男たちは意地の悪い笑みを浮かべている。

 おそらくだが百合先生一人であればナイフを持っていようと、二対一だろうと勝てる。百合先生がナイフを見ても全く動じなかったし、過大評価ではないだろう。

 問題は、私と吉森少年がいることだ。百合先生は私たちを庇わなければいけないから動きが制限される。それに比べて男たちは私たちのどっちかを人質にとればいい。

 

 圧倒的にこちらが不利だ。百合先生はこういった事態を予想してたからこそ、私に吉森少年を連れて逃げろといったんだ。今更それが分かったところで事態は変わらない。私はこの状況をどうやって乗り切ればいいのか、必死に頭を回す。


「ねー、そこで何してるの?」


 その時だ、場違いな声が再び周囲に響いたのは。

 私はとっさに吉森少年を見た。未だに百合先生に抱えられたままの吉森少年はきょとんとした顔で、ある一点を見ている。

 私がその方向へと視線を向けると、男たちのさらに奥に少女が一人立っていた。


 大きめのパーカーを身にまとい、フードを深々と被っているため顔は見えない。それでも小柄な体形とホットパンツから惜しげもなくさらされた白くきれいな脚、フードの隙間から流れる長い綺麗な髪から女の子だろうと推測ができる。

 顔は鼻筋と口元しか見えないが、それだけでずいぶんと整っているのがうかがえた。


 何だか私はその少女をどこかで見たことがあるような気がした。

 どこだっけ? と記憶を探ろうとしていると、少女の形の良い唇が動く。

 まだ幼い声色だというのに、妙に落ち着いた大人っぽい声は高く、甘く周囲を震わして、それだけ少女にその場の視線が釘付けになった。


「おにーさんたち、何してるの?」

 

 少女が一歩男たちに近づいた。男たちは何も言えず、唖然と近づいてくる少女を見返している。

 男たちもそうだが、私たちも手足一本動かせない。それほどまでの圧倒的な存在感。動いてはいけない、逆らってはいけないという生物としての本能。

 前にもこの感覚を味わったことがある気がすると私は少女の動向を見守るだけになってしまった眼球を動かしながら思う。


 手に持ったナイフを意にも返さず、まるで日常の延長のような自然な動きで少女は男たちにさらに近づいた。暗い、静まり返った人気のない路地裏に、ナイフを持った男が二人。三人の人間を追い詰めている。そんな状況など存在しないかのように。


「ダメなんだよ。悪い事したら」


 ゼロ距離まで男に近づいた少女はそういうと、あっさりとナイフをもった男の手をとった。それは掴みあげるという暴力的なものではなく、どこか妖艶さのある艶めいた動きで、男たちは反応できずに硬直する。心なしか顔が赤い。初心な反応に、お前らは思春期の中高生かと突っ込みたくなった。


 それに気をよくした少女の口元が弧を描く。

 それを見て私は、既視感の正体に気が付いた。


「悪い事したらね、罰が下るんだよ」


 今までの高く甘い声が瞬時に低いものへと変わる。男たちが反応するよりも早く、白い脚が綺麗な動線を描いて男の股間を蹴り上げた。蹴り上げられた男が言葉にしがたい絶叫をあげ、うずくまって悶絶する。

 自分が蹴られたわけでもないのに吉森少年も悲鳴を上げ、急所部分に手を当てた。百合先生も青い顔で頬を引きつらせている。

 同性故に想像してしまったらしい。ご愁傷様である。


「て、てめえ!」


 もう一人の男がはじかれたようにナイフを少女に向けた。少女はそれを見て不敵に笑うと、あっさりとナイフを持った男の手を取り、そのまま放り投げる。自分よりも大きな体格の男を、華麗に投げ飛ばす姿がやけに綺麗で、現実味がなく、私にはスローモーションのように見えた。


 地面にたたきつけられた男をすかさず踏みつぶし、今度はナイフを持った腕をひねり上げる。痛みに耐えかねて声を上げても容赦なく、男の手から滑り落ちたナイフも確保。男の動きを完全にふさいだと確信した少女は私たちに向かって微笑んだ。


「間抜け面並べてみてないで、手伝ってくんないかな。どんくさすぎ」


 不機嫌な低い声と不釣り合いな口元の笑み、容赦のないやり口。小柄な体からは想像できない力技の数々。 どっかで見た事あるなと思ったけど、そりゃ見た事あるよねと私は息を吐き出す。


「何してんの、彰」


 そう問いかけると、未だに男を足げにしたまま彰は目深にかぶったフードをとる。

 そこにいたのは華奢な少女ではなく、佐藤彰その人だった。

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