4-7 支配者は暗闇で笑う

 日が落ちて、暗く、人の気配のない、静まり返った住宅街。

 そこに男のうめき声が響く。偶然通りかかったら即通報、逃走されるような状況だが、それを作りだした彰は忌々し気に、うめく男の脇腹を蹴飛ばした。


 潰れたカエルみたいな悲痛な悲鳴が上がるが、彰は意にも返さず「うざい。黙れ」と冷たい声を出す。今度は恐怖で息をのむ音が複数聞こえた。脇腹をけられた男と、股間をけられた男と、百合先生の後ろに隠れている吉森少年からである。

 男たちはともかく、吉森少年。さっきまでの威勢はどこいった。


「ロープか何か持ってない?」


 彰は男たちからは視線をそらさないまま、私に問いかける。妙に慣れている姿に戸惑いつつ、私は一応制服のポケットを探ってみる。が、そう都合よく持っているはずもない。


「持ってないな」


 同じく一応ポケットを探っていた百合先生が答えると、彰は舌打ちする。それだけで、男たち。ついでに吉森少年がビクリと肩を震わせた。完全に彰がこの場を支配しているのでいらないような気もするが、念には念ってことだろう。


「教師なのに、ネクタイもないの……。てか、何でサングラス。暗いのに必要ないでしょ」


 彰が百合先生の顔をみて顔をしかめた。

 それはその通りだ。夜にサングラスなんて視界が狭まるだけ。どうして外さずにいたのだろうと百合先生を見る。先生は腕を組み堂々と言い放った。


「身バレ防止だ」


 彰は顔をしかめた。私もえぇーという顔で百合先生を見上げる。

 サングラス程度で威圧感やら、存在感やらが隠せると本気で思っていたのか。


 彰は一瞬、とてつもなく残念なものを見る目を百合先生に向けて、あきらめたように首をふる。それからは何も言わずに、踏みつけている男の上にしゃがみ込んだ。

 隣ではない。上だ。踏みつける足は一切どかすことなく、そのまま全体重をかけるようにしゃがみ込む。男から痛みによる悲鳴があがったが、お構いなし。鬼か。

 そのまま寝転がっている男の服をめくりあげ、ズボンのベルトを器用に引き抜く。どうやら、それをロープ代わりにするようだ。


「黙ってみてないで、おじさん手伝ってよ」


 作業をしながらギロリと彰が百合先生をにらみつけた。百合先生の背後に未だ隠れている吉森少年がひぃっと悲鳴を上げる。それに不快そうな顔をしつつも、彰はふれない。百合先生はのんびりした動作で、未だ痛みでうずくまっている男に向かっていった。


 おいて行かれた吉森少年は、一瞬ついていこうか迷ったようだが、ついていくイコール彰に近づくだと気付いたらしく、中途半端に一歩踏み出した状態から即Uターンしてきた。

 完全に怖気づいている。あんなに血気盛んに、私たちを振り回した姿はみじんもない。ナイフを持った男より、彰の方が怖いってことか。なかなか勘がいい。


 彰はベルトで男の腕を無理やり縛り上げ、ナイフを回収して百合先生に渡した。「逃げようとしたら、分かるよね?」とナイフ付きで散々脅し、その後、見事な首筋への手刀で男たちを気絶させる。

 最初から気絶させるつもりだったなら、脅さなくてよかったんじゃ……とは口に出さない。理由はなく、ただやりたかっただけだろう。


「それで、彰は何でこんなところにいるの?」


 一連の流れを見守ってから質問すると、彰は盛大に顔をしかめた。それを見た吉森少年が私の制服をギュッとつかむ。

 お前、本当にさっきまでの威勢はどこいった。


「わざわざ、助けに来てあげたのに、その言い草。まずは、助けてくれてありがとうでしょ」

「……助けてくれて、ありがとうございます」


 言い方は腹立つが、言っていることはその通り。私は不満げな態度をとりつつ、お礼を言う。彰は私のお礼を鼻で笑った。やっぱり腹立つ。


「帰ったらカナちゃんにもお礼いってねー。ナナちゃんが心配だから様子見に言ってほしいって僕に電話してきたんだよ」

「香奈が……」


 香奈と別れるとき、とても不安そうな顔をしていた。あれは小宮先輩、吉森少年と帰るという不安以外に、私への心配があったのだと今更気付く。今ここに彰がいるということは、すぐに彰に電話してくれたのだろう。香奈のやさしさに私は心が温かくなる。


「様子見てくるだけだろうし、大丈夫っていったんだけど、どうしてもっていうから見にきたら、追いかけられてるしさ。ナナちゃんトラブル体質なの?」


 たしかに、祠の件から始まって、最近の私はいろんなトラブルに巻き込まれている。だが、全てのきっかけは目の前にいる彰だ。そう考えれば、私がトラブル体質というよりは彰が巻き込み体質なのだ。よって、私は悪くない。


「開き直ってない?」


 口には出していないはずだが、いつもの勘の良さを発揮して微妙な顔をする彰。ここまで来たら、いっそのこと心読めますっていわれたほうがスッキリするんだけど、そんなことはないから怖い。


「おじさんもさあ、大人の癖に子供を危険な目に合わせるとかどういうこと」


 彰の言葉に百合先生はばつの悪そうな顔をする。言い訳もしないあたりが男らしいが、私は慌ててフォローに入った。今回の事は百合先生は悪くない。むしろ百合先生がいなかったら、私たちはとっくにつかまっていた。


「百合先生は悪くないから! 悪いのは吉森少年!」


 私の背後からいつの間にか百合先生の背後に移動していた吉森少年をビシリと指さす。人を指さしちゃいけませんなんて祖母からの教えはこの際気にしない。


「……誰?」


 彰は吉森少年をじっとみて、それから首を傾げた。その動作だけ見ると容姿も合わさって可愛らしいのだが、先ほどの容赦ない暴行を見ている吉森少年にはなんでも怖いらしい。可哀想なくらい硬直して百合先生の服を掴む手に力をいれた。


「前にいっただろ、猫友達の……」

「あー中途半端な元ヤンね」


 百合先生は吉森少年の話をしていたらしく、あっさり彰は理解する。同時に興味を失い、視線は吉森少年から男たちの方へと移された。

 腕をベルトで縛られた上に、うるさいという理由で彰に気絶させられた男たちは壁に寄りかかっている。寝ているというのに眉間にしわがよっているので、うなされているのかもしれない。きっと夢に出ているのは彰だ。

 ここまでくると、追いかけられた事実なんてどうでもよくなるくらい可哀想。


「百合さん……、あいつって」


 硬直から回復した吉森少年が、控えめに百合先生の服の裾を引っ張った。可愛い女子だったらときめく動作だが、やっているのは元ヤン少年。いまいち絵にならない。


「前に話したことあるだろ。俺の甥っ子」


 百合先生の言葉に吉森少年は目を見開いて、彰を見て、それから百合先生を見て、再び彰を見る。

 二度見しちゃう気持ちは分かる。


「甥って……男!?」

「ああ、男だぞ」


 あっさり肯定する百合先生に吉森少年は信じられないという顔をした。

 たしかに、私服の彰は制服時以上に女に見える。パーカーにホットパンツという男子高校生としてはどうなんだって服装だし。

 それでも似合っているのが腹正しい。


「じ、じゃあ! そっちも男!?」


 混乱した吉森少年は何故か私を指さして叫んだ。

 一瞬空気が固まる。男たちを見ていた彰は唖然と私たちを見て、百合先生も固まって。次の瞬間、彰がはじかれたように笑いだした。


「た、たしかにナナちゃん、男前だよねえ。女の子なのが勿体ないくらい! もーやだ、笑える」


 体を折り曲げ腹を抑え、目じりに涙まで浮かべて、夜の住宅街で大笑いする彰。

 私は何から文句を言えばいいのか分からず、とりあえず拳を握り締めた。


「失礼なこというな! 香月は女だ!」

「えぇ!?」

 吉森少年は目を見開いて、何度も私と彰を見比べている。

 

「……俺、性別の定義が分からなくなってきました……」


 肩を落としてつぶやく吉森少年を見て彰がさらに笑い、百合先生が微妙な顔をしながら吉森少年の背をたたく。私はひさすら拳を握り締める。

 とりあえず、大笑いしている彰にはいつかやり返してやる……。いつか!


「あー笑った。君面白いねー」


 彰はひとしきり笑うと、笑いすぎてにじんだ涙をぬぐって吉森少年へ笑いかける。彰の中で吉森少年への評価が上がったようだ。

 代わりに私の評価は大暴落だ。彰にやり返すまえに、機会があったら吉森少年をどつこう。今日振り回された恨みも込めて。


「そういえば彰、ストーカー犯人の目星はついたのか?」


 百合先生の言葉を聞いて、吉森少年が顔をしかめた。事情を知らなくても、いい話ではないのは想像がつくのだろう。


「目星はついたよ。今その人物の証拠も踏まえて調査してもらってるから、明日にはわかると思う。色々あったけど、最終的には丸く収まるんじゃないかな」


 彰はそういってにっこり笑う。

 人を振り回す天才みたいな男だが、今は自信満々な笑顔にホッとした。入り組んだ迷路の抜け方がやっとわかってきた。そんな気分だ。


「そう、簡単にいくか?」

「大丈夫、大丈夫。ストーカーの個人情報と弱みを握ったら、あとはどうにでもできるし。友里恵ちゃんだって、明日救出に行けばいいよ」

「えっ、救出?」


 彰の言葉に私は目を丸くした。

 そんな私を見て、彰が不思議そうな顔をする。


「まさか、ナナちゃん。友里恵ちゃんの居場所の目星がついたら、警察にでも頼もうと思ってた?」


 私は何も言わない。言わないが、それはその通りだといっているようなもので、彰は呆れた顔をした。


「そんなので警察動くわけないでしょ。カナちゃんに聞いたけどさらわれたのは野良猫でしょ。猫を虐待してるって事実がなければ、表面的には野良猫を保護してる慈善集団だよ?」


 彰に言われて気が付いた。

 私たちは誘拐だと思っているが、世間一般から評価は真逆。私たちの方が悪者にされるかもしれない。


「廃ビル占拠してるっていうのは問題じゃねえか?」

「そこも問題にならないんだよね」

 彰の言葉に私は目を見開いた。不法侵入にあたるんじゃないのか?


「まだ証拠掴んでないから、名前は伏せるけど、小宮先輩ストーカーしてたの結構いいとこのお嬢様みたいなんだよね」

「丸太が!?」


 私が思わず叫ぶと、彰は楽し気に笑った。

 百合先生が、流石にひどいだろって視線で訴えかけてくるが、それよりも彰に丸太と評される女がお嬢様という衝撃の方がでかい。

 お嬢様という人種は美人で可憐という私のイメージが音を立てて崩れ去る。


「夢見てるとこ悪いけど、丸太でもブスでも、親が金持ちならお嬢様なんだよ」


 さらりと彰が一番酷い事を言った。自分の容姿が整っているからって散々だ。

 百合先生が顔をしかめ、吉森少年は目を瞬かせている。彰の外見と性格に慣れず戸惑っているようだ。


「カナちゃんに廃ビルの話聞いてさ、もしかしてって思って調べてみたんだけど、そこの廃ビル最近持ち主変わったみたいなんだよ」

「まさか!」


 百合先生が叫ぶと彰は困った顔で頷いた。


「そー。そのお嬢様の家のものになっての。びっくりだよねー」

「もうそれ、黒でしょ!」


 私は叫ぶが彰は首を左右に振る。


「残念ながら、証拠がないんだよ。小宮先輩を精神的に追い詰めるために友里恵ちゃんをさらったっていうね。さっきもいったけど、表向きは野良猫を保護してる慈善組織。廃ビル使ったのだって、場所の確保が間に合わなかったから代用で。とかいわれたら言い返せないでしょ」

「白猫だけ保護してるのは」

「それだけじゃ僕らがこじつけっていわれるだけ。お金持ちって言うのはコネがある。社会的に地位が一般庶民より上。多少の不自然さくらい、どうとでもなる。後から白猫以外保護して、ほかの猫もいるでしょ? って言われたら、それでおしまい」


 彰の言葉に私は押し黙る。友里恵ちゃんをさらったのはストーカーだということが分かっているのに、何もできない歯がゆさにどうにかなりそうだ。


「彰、ほかに手はないのか?」


 百合先生が真剣な表情で彰を見る。私も百合先生に続いて彰に視線を向けた。視線の先の彰は、自信満々の顔で不敵な笑みを浮かべていた。


「さっき僕、友里恵ちゃんを救出に行くっていったでしょ」


 それがどうしたと聞こうとして私は彰の言わんとしていることが分かった。私が理解したことを彰は感じ取って、頷く。


「証拠がないならさ、証拠を見つければいいんだよ。友里恵ちゃんが廃ビルで見つかれば、ストーカーしていた証拠と合わせて、いくらでも問い詰められる」

「でも、白い猫なんていっぱいいるし、誤魔化されるんじゃ……」


 黙って話を聞いていた吉森少年が初めて口をはさんだ。彰は目を細めて吉森少年を数秒みつめ、それから笑う。


「そんなの、僕がさせるわけないでしょ」


 瞬時に百合先生の背後に隠れた吉森少年は青い顔をしていた。やはり勘がいい。逆らってはいけない人間というものをよく理解している。


 そう考えると、不憫に思えてきた。

 もちろん、吉森少年でもなければ、小宮先輩でもない。彰という人間と知らず知らずのうちに敵対することになってしまったストーカーがだ。


「明日が楽しみだねー」


 楽し気にそういって彰は両手を広げると、くるくるとその場で回りだす。浮かれた様子は本当に楽しそうで、夜だというのに彰の周りだけ輝いて見えて、私は小さくため息をついた。


 世界が彰のためにある。そんな錯覚を覚えてしまいそうな夜だった。

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