4-3 想いは託される

「騒いでないで、小宮は確認しろ。お前の猫いんのか?」


 百合先生の言葉に小宮先輩はハッとして寝転がっている猫たちに視線を向けた。

 遠目に見て白い猫は何匹かいる。やけに体格がいい、このあたりのボスですといった風格の猫以外、私には差が分からない。


 猫は嫌いではないが、特別好きというわけでもない。ペットを飼った経験もない私に色や形以外で動物を見分ける技術はない。


 小宮先輩に任せようと黙って見守ることにした。小宮先輩は驚かせないよう慎重に近づていく。猫たちは小宮先輩が近づくとチラリと視線を向けるものの、やはり動かない。

 何だろうこの威厳と風格。野良猫だよね? と聞きたくなる。血統書付きにはない野生のすごみを感じる。


「小宮が悪いやつじゃないって分かってんだろうな」

「そういうのって分かるものなんですか」


 動かずに様子を見ている百合先生に問いかける。香奈も興味津々のようで、百合先生の顔をじっと見ている。


 香奈は猫よりもお地蔵さまに興味があるようだが、小宮先輩のことを気遣って我慢しているようだ。オカルトに関しては猪突猛進の香奈が我慢を覚えた事実に感動する。彰と会って痛い目を見た結果だと思うと、微妙な気持ちになるのは置いておこう。


「野生動物っていうのは人間よりよっぽど敏感だぞ。悪い人間ってのはすぐわかる。あそこで寝てるやつらは年いってるやつらが多いしな」


 人間の存在など気にせず寝ている猫たちを見ると、確かに若造という年齢は越しているように見える。それでも猫に詳しくない私には差など分からない。子猫かそうでないかくらいしか分からない残念具合だ。


「やっぱり百合先生、猫好きなんじゃないですか」

「いっただろ。好きなのは俺じゃねえ」


 黙って認めた方が早いと思うのだが、百合先生はあくまで否定する。香奈が不思議そうな顔で百合先生を見上げているがその視線も無視だ。

 彰の叔父だけあってスルースキルが高い。


「妹が好きだったから、猫が集まるとこ探す癖がついてるだけだ。妹にケガさせるような狂暴な猫だと困るから、手出さないやつの見分けられるようになった」


 真顔でいう百合先生に私は百合先生が嘘をついていたわけではないと気づいた。

 猫好きではない。猫が好きな妹が好きなシスコンだったのだ。


「妹さん想いなんですねえ」


 引く私とは対称的に、和やかな空気で香奈が笑う。あっさり受け入れた香奈の器の大きさに感動する。


 失礼なことを思う私を無視して、百合先生は香奈に視線を向けると目を細めた。

 香奈を見ているというよりは、香奈を通して別の誰かを見ているような気がする。

 妹さんを見ているのかもしれない。小さな変化ではあるが、香奈を見る百合先生の表情が柔らかい。妹さんは香奈と同じような雰囲気の人なのか。


「ああ。世界で一番愛してるな」


 だから、真顔で言われた言葉に私は固まった。さっきまでほわほわした空気をまとっていた香奈まで固まった。

 真顔で何言ってんだ!? 百合先生ってそんな冗談いう人だったっけ!? と言葉が脳に浸透するにつれて混乱が増すが、百合先生はあくまで真顔。自分がおかしなことをいったとは微塵も思っていない態度だ。


「妹さん大好きなんですね」

 衝撃から立ち直った香奈がなぜか目を輝かせた。目を輝かせる要素がどこにあったのか問いたい。


「めちゃくちゃ可愛いくて、優しくて、まさに天使だった……」


 噛みしめるようにつぶやく百合先生に私は距離をとる。見た目は怖いが中身は常識人だと思っていたのに、騙された気分だ。

 やっぱり彰の関係者にまともな人はいないんだと私は絶望するが、香奈は益々興味をそそられたらしい。何でだ。今の返答に引く以外の反応する要素あったか!?


「そんなに可愛い人なんですか? 百合先生の妹さんってなると、彰君のお母さんですよね? 彰君に似てるんですか」


 目を輝かせた香奈は私が地雷だと思った問いをあっさり口にする。

 百合先生と私の会話を小宮先輩と話していた香奈は聞いていない。だから仕方ない。仕方ないけど、いつ地雷が爆発するかと私は嫌な汗が流れるのを感じた。


「顔はそっくりだな。性格は……元の方が似てたな」


 元という言葉に私は違和感を覚える。どういう意味だろうと私は勘繰るが香奈は気にならなかったらしく、無邪気な笑みを浮かべた。


「彰君に似てるなら本当に可愛い人なんでしょうね。写真とかないんですか」


 彰似の美人なら確かに気になる。男だというのに美少女の彰だ。正真正銘の女性であればどれほどだろうと気になるのは同性であっても一緒。

 

 百合先生は大好きな妹の話題になったのが嬉しいのか、いつもより浮かれた様子でいそいそとポケットから手帳を取り出した。浮かれきった様子は鬼だ、ヤクザだと騒がれている姿とは別人。ああ、こっちが素なのかと私は知りたくもない事実を知って半眼になる。


「これが妹だ」


 手帳から大切そうに一枚の写真を取り出して百合先生は香奈に手渡す。

 横からのぞき込むと写真には若い百合先生と、その隣でほほ笑む女性が映っていた。


 百合先生と女性はびっくりするぐらい似ていなかった。

 柔和な顔立ちの女性と、険しい顔の百合先生は兄妹というよりは恋人同士の方が納得だ。顔立ちもそうだが、雰囲気も真逆。百合先生と女性に共通点があるとしたら髪質がくせっ毛なことぐらい。


 それでも写真の中の百合先生は、見たことがないやさしい顔をしていた。妹と並んで写真を撮ってもらえることが嬉しいと恥ずかしげもなく語る表情に、見ている私が照れるほど。


 隣に並ぶ妹さん、彰の母親は確かに彰にそっくりだ。私よりも年上だろうに写真越しでも分かる色白できめ細かい肌に、小さな顔。とんでもなく整った容姿だというのに、雰囲気が柔らかいので美人というよりは可愛らしく見える。


 顔立ちだけ見れば彰にそっくりだけど雰囲気は別物。何でこんな優し気な母親から、彰のような性悪な子供が生まれてしまったのかと嘆くほど。性格は百合先生に似てしまったんだろうかと失礼なことを思う。


「百合先生若いですね。何年前のですか?」

「八年前な」

「最近のってないんですか?」


 香奈の目がこれ以上ないってくらい輝いている。オカルトの話題じゃないのに香奈の表情が輝いているのは珍しい。百合先生の妹。彰の母親。とんでもない美人。という要素が重なっているせいか。止めるべきなのかもしれないが、私も今の彰のお母さんがどういう感じなのか気になった。

 八年の月日を重ねたとしても写真の中の美貌が衰える想像ができない。

 月日を重ねたことによって磨きがかかっているのではと、ついつい期待してしまう。


「ごめんなあ。それが一番新しい写真なんだよ」


 だから、期待を裏切る悲し気な様子の百合先生に私と香奈は戸惑った。

 目の前にある写真は八年前のもの。それが一番新しい写真とはいったい……。


 そう考えたところで、私は嫌な答えにたどり着く。

 妹さんを語った後に苦々しい顔をしていた百合先生。猫好きでもないのに、妹さんが好きだという理由だけで猫が集まる場所を探してしまう百合先生。愛してると恥ずかしげもなく語り、写真を持ち歩いているのは、もしかして……もしかすると。


「俺の妹。でもって彰の母親はな、彰が八歳の時にこの世を去った」


 私の疑問に答えるように百合先生はいった。あまりにも静かで、感情の乗らない声が聞いていてつらかった。こみあげてくる激情を無理やり押し殺したのだと分かってしまう。


「………す、すみません……」


 香奈が泣きそうな顔で下を向く。手に持った写真を握り締めそうになって、慌てて力を抜く香奈を見て百合先生は笑う。

 どうしようもなく優しい笑顔だけに、私まで泣きそうになった。


「気にすんな。八年も前の話だしな」


 写真を香奈から受け取ると、百合先生は懐かしそうに微笑んだ。強面だなんていわれているのが嘘みたいに柔らかい笑みを見て、本当に妹さんが好きだったんだと分かってしまう。


「昔から体弱かったし、俺より先にいっちまうのはどっかで覚悟してたんだ。子供も難しいかもしれねえって思ってたのに、彰残してくれたんだから感謝しねぇとなあ」


 愛おしそうに写真をなでる百合先生の表情は穏やかだ。口調は荒っぽいのに、声がどこまでも優しい。何だかそれが無性に悲しくて鼻がつんとする。


「だからさ、彰のこと頼むぞ。我儘で、意地っ張りで、面倒くさいやつだけどな」


 そういって笑う百合先生に私と香奈はうなずいた。声を出して返事をすることはできなかった。言葉に出来ない感情で胸がいっぱいで、声を出すことすらできなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る