7-4 半端者

 彰はまず少女へと話かけた。


「ねーねー、僕も混ぜてくれない?」


 相変わらず緊張感のない声だ。状況がまるで見えていないような笑顔と軽い口調に尾谷先輩は目を見開き、少女は眉間の皺を深くした。それでも彰の余裕は崩れない。


 見るたびに苛ついたその態度が、今は頼もしく見える。不思議なものだと思いながら私は彰を見守った。それしか私にできることはない。


「なんのつもりですか」


 少女の声は冷たい。初めて会ったときと同じ無表情。座布団に座って一緒にお茶を飲んだ姿とはまるで違って見えた。

 それだけで私は怯みそうになるが彰は一切動じない。むしろ楽しげに笑みを深める。


「そっちこそなんのつもり? 君は人を傷つけるのが趣味な神ではないでしょ。いや、むしろ神ですらない」


 彰の言葉に少女の表情が凍り付いた。声は聞こえないが「なぜ」そうつぶやいたように見えた。


「噂が出た後ここら辺の伝承については調べたから知ってるよ。君はお狐様の娘。当時の人間には子狐様って呼ばれてた」


 そういいながら彰は、ちらりと動けずにいる尾谷先輩に視線を向けた。

 突然の乱入者を唖然と見上げていた尾谷先輩は、彰の視線でハッとし慌てて走り出す。一切こちらを振り返らず、足と腕をがむしゃらに動かして逃げる姿は滑稽だが、今の状況なら逃げる度胸があっただけ上出来かもしれない。

 

 尾谷先輩が横を通り過ぎても影の獣は一切動かなかった。尾谷先輩への興味は消え、ただ彰を見つめている。それは少女――子狐様の心境を現しているように見えた。


 子狐様の敵意は彰に集中している。犯人が分かった今、いつでも始末できると思っているのかもしれない。


「たしかに子狐様と呼ばれ、母上同様親切にしていただきました。けれど、神ですらないとはどういうことです」


 硬い声で子狐様が問う。動揺を押し殺した感情のない声。今までに比べてその反応は異質だ。

 その反応に彰はますますおかしそうに笑った。


「感情を悟らせないように無表情はいいとしても、表情が硬すぎてバレバレ。嘘つくの下手だね。子狐ちゃん」


 馬鹿にした口調に子狐様の顔が歪む。目が吊り上がり、先ほど尾谷先輩を見ていたときとは比べ物にならない怒気が子狐様の周囲を渦巻く。

 それを見て私は先ほどまでの態度はふりだったのだと気付いた。彰が言う通り演出であり子狐様は尾谷先輩を殺したくないのが本音だった。


 だが、今は違う。本気で子狐様は怒っている。今だったら迷いなく彰に止めを刺すだろう。ふりではなく本気で彰に腹を立てている。

 それでも彰の態度は変わらない。私だったら気絶しそうな敵意を向けられても平然とそこに立っている。


「あなた本当に何者なんですか」

「うーんそうだなあ……、子狐ちゃんとは近い立場かも? 人でも妖怪でも、ましてや神としても中途半端な半妖の子狐ちゃんとは」


 彰の言葉に子狐様の怒気がさらに増した。彰からもたらされた衝撃の事実に私は目をむく。

 香奈を見ると香奈も初耳だったらしく、目を見開いて「半妖?」とつぶやいた。


 子狐様はなにも言い返さず、射殺さんとばかりに彰をにらみつけている。その反応で彰がいうことが事実なのだと分かった。


「馬鹿にしているんですか」

「してないよ。言ったでしょ近い立場にいる。お仲間だよ僕と君は」


 彰は笑いながら両手を広げた。芝居がかった動作。なにを考えているか分からない笑顔。いつもと変わらない笑みにも見えるが、私には自虐的にうつった。


「君と一緒でね。僕も人にも化け物にもなれなかった出来損ないなんだよね」

「私のことを出来損ないというのですか」

「え? 自覚ないの? 人間にもなれない、妖狐としても半端もの。神としての地位は母親のおまけ。母に守られ後ろにいないとすぐに死んじゃうような弱い存在は、半端もの以外になんていうの?」


 あざ笑う彰に子狐様は怒りで顔を赤くした。子狐様の心を代弁するように影たちが唸り声をあげる。

 尾谷先輩を取り囲んでいた影は、今は彰を取り囲み、今すぐにでも噛みつかんと喉を鳴らしながら彰の周りを回る。


 ただの影だというのに獲物を狙う爛々とした目や、だらだらとよだれを垂らす舌が見えた気がして私は香奈をかばいながら後ずさった。


 それでも彰は動じない。子狐様の怒気を一身にうけ、周囲を回る獣の影に視線すら向けず、不敵な笑みを浮かべたまま子狐様を見つめている。その余裕に子狐様の怒りが膨れ上がった。


 すぐにでも彰に飛びかかりそうな影たちに私は焦った。彰は子狐様を止めるために飛び出したんじゃなかったのか。尾谷先輩を助けることは成功したが、このままでは彰が子狐様と戦う流れになってしまう。しかも子狐様は本気だ。


 もともと子狐様は彰に対してはいい感情を持っていなかった。彰だったら罪悪感もないのか、純粋な怒りで彰を睨みつけている。

 これはまずい。


 彰煽りすぎ! と心の中で叫んでみても彰には届かない。届いたところで気にしなさそうだ。わざと怒らせているように見えるし、いったい彰はなにを考えているのか。

 

 張り詰めた空気に息が詰まる。ただ立っているだけなのに心臓がドクドクと大きな音を立て、全身が心臓になったような錯覚を覚える。

 見ているだけの私が膝をついてしまいそうなプレッシャーを感じているというのに、彰はなんでもない顔でそこに立っていた。


「気に食いませんね」

「半分とはいえ神様にそういってもらえるなんて、僕ってすごいね」


 小ばかにした態度に子狐様の眉が吊り上がる。それに呼応して、彰を取り囲んだ獣たちの唸り声が大きくなった。

 獣たちが一歩、また一歩と彰へと迫る。子狐様が指示さえだせば、容赦なくそののど元を噛み千切れる距離だ。


 それでも彰の余裕は崩れない。

 挑発的な笑みを浮かべたまま、どうぞと言わんばかりに両手を広げて見せる。一体どこまで煽れば気が済むのか。


「本当に死にたいみたいですね」

 その声はぞっとするほど冷たかった。


「殺せるものなら殺してみたら」


 彰はそういうと場にそぐわないきれいな笑みを浮かべた。場所が場所なら恋に落ちてしまいそうな笑みだったが、子狐様には怒りを増幅させる効果しかなかった。

 子狐様が彰に向かって片手を突き出す。それと同時に彰を囲んでいた獣たちが一斉に飛びかかった。


「彰!」


 私は叫んだ。

 彰の小柄な体は飛びかかる影の獣であっという間に見えなくなる。彰の細い体などあっという間に押し倒され、鮮血が飛び、真っ赤に染まる。その様を想像して血の気が引くのを感じた。

 彰ならなんとかできる。それは楽観的な希望だったのだ。そう私がそう後悔した瞬間、彰に飛びかかった獣がなにかに吹っ飛ばされる。


「え?」


 私がつぶやく間にさらに獣が宙を舞う。獣の数が減ったことで、彰の姿が見えた。獣の頭を掴んで仁王立ちする彰の姿が。


「ひぃ!?」


 隣の香奈から悲鳴があがる。それは獣に対してではなく、彰に対してだった。


 彰は掴んだ獣をぶんまわし、その勢いを利用して取り囲む獣たちを薙ぎ払う。仲間の体を使って吹っ飛ばされた獣は、勢いよく地面にたたきつけられてキャウンと声をあげた。

 鳴き声は犬と一緒なんだと私はどこかずれたこと思う。予想外の出来事に現実逃避したのだ。


 彰は吹っ飛ばした獣たちをつまらなそうな顔で見つめ、掴んだままの獣をぷらぷらと振った。子供が木の棒を振り回して遊んでいるような気軽な動作だ。

 だが彰がつかんでいるのは確かに獣の頭で、掴まれた獣は悲鳴にも似た鳴き声を上げている。


 仲間のその姿に、彰を取り囲む獣たちは一定の距離をとって動けずにいた。警戒するように周囲をうろつき、威嚇の声をあげてはいるが先ほどの勢いは消えている。

 隙を伺っているように見えるが、それ以上に恐怖しているように見えた。本物の犬であったならしっぽは下がっている。


「こんなもんかあ……」


 彰は落胆した様子でつかんだままの獣を持ち上げる。小柄な彰が大きな獣を片手で持ち上げる姿は現実味がなかった。

 そのまま彰はつまらなそうな態度を隠しもせず、掴んだ頭に力を入れる。


 ゴリッと鈍い音が響いた。普段聞くことのない気味の悪い音に身の毛がよだつ。

 彰が力を込めるごとに獣から頭蓋骨を握りつぶすような音が出る。悲鳴のような鳴き声が上がり、獣が痛みから逃れたい一心で暴れるが、彰は全く動じず力をこめ続けた。


 最後にひときわ鈍い音が響いた。獣の断末魔が響きわたる。周囲を囲んでいた獣たちが後ずさり、私は香奈の目をふさいだ。


 暴れていた獣の四肢がだらりと垂れ下がると、獣の体がサラサラと崩れ始める。遠目には砂のように見えるが、もしかしたら別のものかもしれない。私には判別がつかないし、正しくどんなものかを聞く気にもならない。

 それでも影で良かったと安心した。本物の獣だったらもっとグロテスクで恐ろしい光景が待っていたに違いない。


 私が先ほどとは違う意味での恐怖に身を震わせている中、崩れ落ちて消えていく獣を彰は退屈そうに眺めていた。


「つまんない」


 本当に心底つまらなそうに吐き捨てると、動けずにいる残りの獣たちを一瞥する。

 彰の視線に獣が後ずさった。獣の恐怖が伝わってくる。

 彰の味方の立場である私ですら怖いのだ。敵対している獣たちからすれば、彰は無慈悲で冷血な怪物に違いない。


「面倒だから、さっさと終わりにしようよ」


 彰がそういって一歩獣に近づくと、獣たちはやけを起こしたように一斉に飛び掛かった。彰はそれを見て笑う。今まで見てきた笑みに比べると獰猛で荒っぽい。お世辞にも可愛らしいとはいえない笑みだが、私にはそれが彰の素のように見えた。


 それからは完全に彰の独壇場だった。

 飛び掛かってきた獣を掴む。投げ捨てる。殴る。踏みつける。獣たちは彰一人にいいように翻弄されて、面白いぐらいに軽々とひねりつぶされていった。


 最後の一匹を踏みつけて砂へと返すと、彰はあたりを見回す。全部倒したと分かると物足りないと言う顔でため息をついた。

 彰にとってピンチでもなんでもなかったらしい。

 暴れたりないと語る表情に私の頬が引きつる。もしかしたら私はとんでもない相手にとんでもないことを頼んでしまったのかもしれない。


「何者なんですか、あなた……」


 信じられないという顔で子狐様は彰を凝視していた。声は震え、目は見開かれている。表情も青ざめて見えるのは気のせいじゃないだろう。

 もっともな意見だ。私だって彰に頼る立場だが問いただしたくて仕方ない。

 お前は本当に人間なのかと。


「何者って言ったでしょ。君と同じ半端もの」


 彰は笑った。感情の見えない貼り付けたような笑みだ。それだけに恐ろしい。

 子狐様が一歩後ずさったのが見えた。私だって逃げたい。けれど後ずさることすらできない。

 本当に恐怖を覚えたとき人は、体を動かすことができないのだと知った。


「でもまあ、君よりは強い半端ものかな」


 彰はそういうが早いか、子狐様に向かって走り出す。とっさに防御しようとした子狐様は地面から黒い影を呼び出した。影たちは走ってくる彰を捕まえようと四方八方から手をのばす。しかし彰はそれから逃げる素振りもせず、正面から突っ込んでいき思いっきりぶん殴った。


「嘘でしょ!?」


 子狐様から悲鳴じみた声があがる。私も同じことを思った。ぶん殴っただけで影は面白いほど綺麗さっぱり消えてなくなる。もはや手品みたいだ。


 青ざめた子狐様は逃げようと彰に背を向けるが、彰が子狐様のもとにたどり着くほうが早かった。子狐様の襟元を掴み、あっさり持ち上げる。

 彰と子狐様の身長はそれほど変わらない。体格だって大した差はない。それなのに重さを感じない動作で彰は子狐様を持ち上げ、動きを封じ込める。


 地面に足がつかない子狐様は必死に暴れた。手足をばたつかせるが彰はそれでも動じない。笑みを浮かべたまま、さらに子狐様を持ち上げる。そうすることで首が閉まったらしく、子狐様から苦しそうな声がもれた。


「君は祠の神でありたいんだよね」


 子狐様を持ち上げたまま彰が笑う。貼り付けたような作り笑いとは違う、獲物を前にして舌なめずりをする肉食獣のように輝く瞳をして、彰は口角を上げている。その笑みを見た子狐様が悲鳴をあげる。もはや耳と尻尾は下を向き、小刻みに震えていた。

 もはや彰が悪役にしか見えない。


「君は自分の家を母親が築いた威厳を守りたいんでしょ。それならもっといい方法がある」


 もはや悪徳セールスにしか見えなかったが子狐様は震えながら彰を凝視した。そんな子狐様を見て彰はニンマリと笑う。


「僕と契約すればいい」


 悪魔との契約。そんな単語が頭に浮かんだ。おそらく子狐様も同じことを思ったのだろう。真っ青な顔で可哀想なほど震えたまま彰を見つめる。


「僕の一族との契約は中途半端で放置されてたわけだし、この際新しく契約しなおしたらいいよ。僕がこの祠を守ってあげる。君たちは子供が好きでしょ。子供の声が絶えない場所にしてあげる。だから今回の件は大目にみてくれないかな」


 彰はそう言いながら襟首をつかむ手に力を込めた。子狐様が苦し気にじたばたと暴れる。提案の形をとっているがどこからどう見ても脅迫だった。誰がそこまでやれといった。


 流石に止めようかと思ったところで、子狐様が首がとれるのではないかと心配になるくらい大きく首を上下に振った。必死だ。必死すぎて可哀想でしかない。


「よかったー。じゃあ交渉成立ね」


 彰はそういって笑うと掴んでいた襟元を離した。持ち上げられていた子狐様は当然、地面に落ちる。べしゃりと潰れるように落下した子狐様にもはや神様の威厳などなかった。

 しかし、そんなこと気にしている余裕すらないらしく青い顔でゼイゼイと荒い呼吸を繰り返している。もう半泣きどころか泣く直前だ。


「起きたらお母さんにも、納得してもらえるよう説明しといて」


 上機嫌に笑う彰を青い顔で見上げる子狐様。極悪な借金取りを見ているような絶望しきった顔を見て私は心底同情し、彰を焚き付けたことを心の中で子狐様に謝った。

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