狐のおつかい
黒月水羽
一章 狐の祠
0.月夜に狐は吠える
大きな揺れと騒音に私は目を覚ました。
慌てて身を起こす間もそれは続く。ガン、ガンとなにかで殴られているような音と振動に、私は隣で眠っている母上様を見た。
母上様は眠りが深いらしくまだ目を覚ましていなかった。しかしながら、かすかに眉間にシワがよっており、ピンとたった耳とふかふかな尻尾がピクピクと揺れている。このまま音と揺れが続けば、いずれは起きてしまう。
それはまずい。母上様は気が短い。この音と揺れの原因がなんであるかはわからないが、この状況で起きれば怒り狂うに違いない。そうなったら原因がなにかも関係なく、激情のままに暴れまわるだろう。子供も大人も女も男も関係なく、前足で掴み、後ろ足で踏み潰し、鋭い牙で血を吹き出させる母上様の姿を想像して私は身震いした。
このくらいなら娘の私で十分。母上様の手をわずらわせるほどのことでもない。
そう心の中で言い訳して、母上様を守るためだとさらに言い訳を積み重ねて、寝床を結界で包み込む。丁寧に仕上げたから音も振動も伝わないはずだ。
先程よりも穏やかになった母上様の寝顔を見て私は安堵する。
心配ごとが消えると今度は音と振動の正体が気になった。
結界を張っている間に音と揺れはやんでいた。一体なんだったのかと今度は不安になってくる。
私と母上様が眠りについてどのくらいたったのか、わかるものはない。眠るためだけに造られた空間はそれほど広くなく、親子二人で寝転がっても広々と使える大きなベッドに簡単な身支度が出来る姿見。母上様の大事なものが閉まってある箪笥など、物は限られている。
その光景は眠る前となに一つ変わっていない。あまりの変化のなさにそれほど時間がたっていないのではと思い始めた。ながければ数百年眠るかもしれないと母上様はいっていたが、数日しかたっていないのかもしれない。
山の麓の村でなにかあって、母上様を起こそうとしたのがあの音と揺れなのかも。そう思ったらのんびりしてはいられないと私は外に飛び出した。
麓の村人には良くしてもらっている。人間と妖狐の子供である私が神として存在出来ているのは信仰あってのことだ。眠っている間もお祈りを欠かさず、祠を大切にすると言ってくれた村人たち。その姿を一人、一人思い出したら急がなければという気持ちが強くなる。
外に飛び出すと辺りは暗かった。夜らしい。こんな時間に人が外にいて、しかも山の上の祠にやってくるとはただ事ではない。きっとなにか悪いことが起こったのだ。
そう思った私は周囲を見渡して固まった。
私と母上様の寝床。村人たちに建ててもらった祠が壊されていた。扉が外れ、屋根に穴が空き、中に入っていた私と母上様を象った像が倒れている。なにか硬いもので殴られたような痕跡。これが先程の音と揺れの正体だと気づいて私の頭に血がのぼる。
「誰だ!!」
周囲を見渡して叫ぶ。まだ近くにこんなことをやらかした不届き者はいるはずだ。そう思った私は相手を探そうとして、やけに周囲が荒れていることに気づく。
眠る前、祠の周辺はきれいに草が刈り取られ、お供物だって途切れることがなかった。
それなのに、祠の周りは背の高い草が生い茂り、人の匂いも随分薄い。祠を壊した不届きものの匂い。それだけが残っている。草を踏み潰した跡をみれば相手がどの方向に逃げたのかは一目瞭然なのに、私は動くことが出来なかった。
「なんで……」
ちゃんと手入れするからね。そう笑った、私を孫のように可愛がってくれた老婆の顔が浮かんだ。
「約束したのに……」
狐様が好きな油揚げもってくるから。そういって私の手を握った、一緒に遊んでくれた女の子の顔が頭に浮かんだ。
ぐるりと辺りを見回しても、人の気配も痕跡もない。あるのは祠を壊した不届き者の気分が悪くなるような悪臭だけ。
それと同時に気づいてしまう。眠る前にはたしかにあった、私を神にまで祀り上げてくれた信仰心が消えている。
ああ、死んだのだと気づいた。あの時、私を慕ってくれた、神様だと祀ってくれた者たちは、もうこの世にはいない。そして私を、私たち親子を神として今の世には伝えてくれなかったのだ。
「嘘つき……!」
あんまり気を許すな。人間は忘れっぽいし、薄情だ。
そう語った母上様の姿を思い出す。その時はそんなことはないと思っていたけれど、今の状況は母上様がいったとおりだった。
悲しくて涙がこぼれ落ちそうになった。それでも私は泣かなかった。神様が泣くものじゃないと母上様がいつも言っていた。悲しむ前に怒れ、天罰をくだせ。そう母上様は言っていた。
恐ろしい言葉だと眠る前の私は思っていたが、今はわかる。ここで引いたら私は神にも人にも、妖狐にもなれない中途半端な存在になりさがる。
だから怒る。許してはいけない。私と母上様を貶めた存在を必ず見つけて……。
「八つ裂きにしてやるからな、人間」
五本の尾を揺らし、月を見上げて私は吠えた。
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