5-2 隠れた噂
「香奈ちゃん達が聞きたかったのは、その後ろの少女の噂のことなの?」
寮母さんに問いかけられて、私と香奈は同時にうなずいた。それに寮母さんは「そう」と頷きながら困った顔をする。いつもより表情が険しく見えるのは、情報通を自負するのに知らない事がある現状に対してか。
「それって、美幸ちゃんと関係あることなの?」
「日下先輩から調査を依頼されたの」
認めてほしかったら、真相を突き止めてみなと挑戦状をたたきつけられたの方が正しい気もするが、今は細かいことはいいだろう。
「後輩に相談されたって」
「美幸ちゃんに? 後ろの少女って幽霊の話でしょ? あの子、そういった方面は全く信じてないのに」
寮母さんの反応はもっともだ。私もなぜ、日下先輩にと疑問だった。
「雪江さん、日下先輩に相談したっていう後輩に心当たりある?」
香奈の問いかけに、寮母さんは腕を組み、片方の手を頬に当てて考える。
「美幸ちゃんは、本当にいろんな子の相談に乗ってるから。後輩って他校生や、近所の子も含むのよ」
「えぇ!?」
衝撃の事実に私と香奈は目を見開いた。同じ高校の一、二年だろうと思っていたのが、まさかの地域全体に広まってしまった。ボランティア活動もしている話だし、年下は全員後輩扱いなら日下先輩に聞かずに特定は不可能だ。
「でも、美幸ちゃん言わないと思うわ。あの子、口が堅いから。人の秘密は絶対にほかの人に言わないのよ。真面目過ぎて融通効かないところもあるし、プライバシーの問題っていって、相談された子のことも言わなかったでしょ?」
実際に見ていたかのような言葉に、私と香奈は同時にうなずく。さっきから、香奈と私のシンクロがすごい。
「だからこそ信頼されて、皆に相談されるのもあるんだろうけど……、そんなに人の心配ばかりして大丈夫なのかしら。他人の物だとしても、秘密を抱えるって負担になるのに」
眉をさげ、寮母さんは心配そうな顔をする。日下先輩が心配になる要素が次から次へと出てきて、私もどうしたものかと頭が痛くなってきた。
一番の問題は日下先輩に休んでくださいと言ったところで聞き入れてくれる気が全くしないことだ。真面目すぎて融通が効かないというのは、昨日と今日の二日だけで嫌というほど分かっている。
「後輩に直接話を聞けたら、何か分かるかもと思ったけど、無理そうだね」
香奈は顔をしかめてつぶやいた。
寮母さんに何か聞けばわかるかと思ったが、寮母さんも知らない。後輩に話を聞くことも無理となると、彰が何か掴んでくるのを待つしかない。
だが、何も収穫無しと聞いたら、無能なの? と冷たい顔で罵られることは間違いない。それは避けたい。
「その、後ろの少女っていうのは、具体的にどういう噂なの?」
自分の知らない噂話に興味を引かれたのか、寮母さんは香奈をじっと見つめる。純粋な好奇心に満ちた瞳は、何だか香奈に近いものを感じる。香奈よりは表面上落ち着いて見えるだけで、寮母さんも香奈と同じタイプなのかもしれない。
香奈が寮母さんになついて、寮母さんが香奈を可愛がっているのは類友というやつなのか。
「えっと、この交差点なんですけど」
香奈は制服の内ポケットから、このあたり一帯の地図を取り出した。小宮先輩の事件の時も当たり前のように出してきたが、本当にどこにしまっているのか。何故しまっているのか。前と比べて、付箋やかきこみが増えているのは何なのか。などと突っ込んではいけないと、私は寮母さんの反応に集中することにした。
寮母さんは香奈が地図を取り出したことに、一切反応しなかった。女の子ですもの。地図くらい持ってるわよねみたいな、ハンカチと同列の空気を感じる。
やはり類友か……と私は確信して、微妙な気持ちになった。
やっぱり、この学校に関わってる人、癖強い。
「この交差点って十年前に事故があった場所ね」
交差点の位置を確認すると同時に、軽い口調で寮母さんはいう。口調と伴わない内容に私と香奈は驚いた。
「事故!?」
「交通事故よ。当時八歳の女の子がトラックに引かれて、亡くなったの」
痛まし気な表情を浮かべて、寮母さんは地図に描かれた交差点をじっと見つめる。当時の事を思い出しているようだ。
「ちょうど下校途中だったみたい。近所では少しだけ騒ぎになったんだけど、今覚えている人はほとんどいないでしょうね。亡くなった女の子の御両親は、事件後すぐに引っ越してしまったし」
「そうなんですか……」
あっさり出てきた真実に、私と香奈は顔を見合わせ頷いた。
八歳の女の子。下校途中ということはランドセルを背負っていただろし、交通事故ということからも横断歩道にいた少女と一致する。
「でもおかしいわね。あそこに幽霊が出るなんて噂、聞いたことないわ」
寮母さんはそういって首を傾げる。事件の事は知っていても、後ろの少女と話が結びつかなかったのは、そういうことかと私は納得し、同時に疑問に思う。
少女の幽霊がいることはこの目で見てきたから事実だ。日下先輩が後輩から相談されたのも間違いない。ゼロ感の日下先輩ではマーゴさんの力でも借りない限り、少女の霊に気づくことは出来ないのだから。
だが、情報通の寮母さんは少女の噂を全く知らないという。
これは一体どういうことなのか。
「……あの子が見える条件が厳しいってことなのかな?」
香奈は真剣な表情で、自分自身の思考を整理するかのようにいう。
「マーゴさんが言ってた、見える条件。それがあの子の場合は厳しくて、日下先輩に相談した後輩にしか見えなかった。……とか?」
「可能性としてはあり得るけど……、それなら余計にその後輩を教えてもらわないと、どうにもならないよ」
日下先輩の性格からいって、後輩を連れてきてくれというのに応じるとは思えない。他の手で情報を集めるとなると、マーゴさんにもう一度頼んで、あの赤い空間を作ってもらうしかない。そう頭では分かっているが気が重い。それはあの光景をもう一度見なければいけないということだ。
それに、条件を同じにするために日下先輩にも協力してもらなければいけない。あれほど弱った姿を見た後だと、気軽に頼むには気が引ける。日下先輩が断ることはないだろうから、余計に。
「幽霊が見える条件って、霊感以外にあるものなの?」
情報通とはいっても、オカルト方面に関しては詳しくないらしく寮母さんは首をかしげた。私のお母さん世代だというのに、少女らしい反応がやけに似合う。こういった雰囲気も寮母さんが好かれ、噂話が集まる理由かもしれない。
「幽霊によっては、時間とか人とか、条件が当てはまらないと見えないものがあるんだそうです」
今日仕入れたばかりの最新情報を香奈が嬉しそうに語る。寮母さんが「そうなの」と心底感心した様子で頷くので、ますます意気揚々と語りだす。しまいには恐怖体験でしかなかったはずの、幽霊初目撃まで語りだすから呆れてしまった。
さすがにマーゴさんとクティさんの話はにごしているが、このまま語り続けていれば、うっかり話してしまいそうだ。
こうしてみていると寮母さんは、かなりの聞き上手。噂話が集まるはずである。
「そういう条件って、幽霊自身が決めるものなのかしら」
一通り話を聞き終えた寮母さんは、ポツリとつぶやいた。
「幽霊自身が決める……?」
「心残りだから現世にとどまっているわけでしょ。もしかしたら条件というのも、現世にとどまる理由に関係があるのかもしれないと思って。特定の人にしか見えないのなら、その特定の人に何か伝えたいことがあるとか」
「……ってことは、後ろの少女が何か伝えたいのは日下先輩に相談した後輩?」
「それか、それに似た雰囲気の子かしらね。あなたたちも見えたのなら、相談主だけが条件に当てはまったわけじゃないだろうし」
私たち、チート気味な力で無理やり見たんですとはマーゴさんの話をしていないから言えない。言ったとしても信じてもらえる気がしないので、誤魔化すほかない。
だが、寮母さんの話は引っかかる。あの少女は、誰かに何を伝えようとしていたように見えた。
「寮母さんは、成仏しないで伝えたいことが後ろの少女にあるとしたら、何だと思いますか?」
かねてからの疑問であり、解決の糸口である質問をぶつける。もしかしたら何か手がかりが見つかるかもしれない。そんな淡い期待からの質問だったが、寮母さんは私の質問にあきらかな動揺を見せた。
予想外の反応に私は驚き、香奈は不思議そうな顔をする。
寮母さんはしばし無言で何か考えていたが、やがて決心した様子で私たちへと視線を合わせた。
「これは、あくまで噂であって本当かどうかは分からない話なんだけどね。事故死した女の子について公に広まってない話があるの」
「えっ」
私と香奈はほぼ同時に身を乗り出す。手がかりが少しでも欲しい今の状況では、渡りに船だ。
「事故にあったとき、女の子は一人じゃなかったらしいの。もう一人、当時仲が良かった友達と一緒に下校していたって話」
小学生が友達と一緒に帰るというのはよくあることだ。一人よりも楽しいし、防犯意識としても必要だ。女の子は余計に集団行動するところがあるから、自然なことだろう。
だが、もう一人友達がいたというのなら、その子は今どうしているのだろう。一緒にいたということは、目の前で友達が死ぬところを見たということだ。
一瞬、香奈で想像しかけて私は思考を止めた。想像することすら怖い。トラウマになることは間違いない。下手したら一生、忘れられずに苦しむかもしれない。
「それで、その子はどうしたんですか?」
香奈も私と同じように思ったのか、少しだけ怯えた様子で先をうながした。寮母さんは、少し間をおいてから、絞り出すように言葉を続ける。
「目撃者の中に、その友達の方が女の子を突き飛ばしたように見えた。って証言した人がいたらしいの」
鈍器で頭を殴られたような衝撃が走って、寮母さんの告げた言葉が理解できなかった。周囲が揺れているような、歪んでいるような不安定な気持ちになりながら、私は何とか落ち着こうと情報を整理する。
一緒にいた友達が少女をつきとばした。
それが事実ならば、少女の死因は事故死ではなく他殺だ。しかも、仲が良かったという友達による。
「それ、本当なんですか?」
香奈が震える声で問いかけると、寮母さんは目を伏せ、首を左右に振った。
「本当かどうかは分からない。目撃者は一人だけだし、そう見えたってだけで証拠も何もない。一緒にいたって女の子も事件後すぐに遠くに引っ越したらしいから、今となっては真相を確認するすべもないわ。ただ……それが真実だとしたら……」
寮母さんはそこで言葉を区切り、一拍間をおいてから、静かな口調で告げた。
「きっと恨んでいるでしょうね。未だに交差点で似ている人を探してしまうくらいには」
寮母さんの言葉で、赤い景色の中、必死に走ってきた少女の姿を思い出す。滴る血も、曲がった足も気にせず、がむしゃらに走ってきたあの姿は、自分を殺した友人を問いただそうとしていたのかもしれない。
何故、あなたは私を殺したの。と。
「あくまで噂。可能性の一つよ。貴方たちは知っていると思うけど、噂話のほとんどは多くの人にとって都合よくねじ曲がった作り話」
私たちを安心させるように、寮母さんはそう言って笑い「お茶が冷めちゃったわね」と立ち上がった。空気を入れ替えようという気遣いに感謝しながら、私は考えた。
確かに噂話の多くは嘘だ。広がれば広がるほど尾ひれがついて、本質が歪んでしまう。だが、その歪んだと思った中に真実が隠されていることもある。
「……彰君なら、どう思うかな」
香奈のつぶやきに、私は顔をしかめた。
彰に頼るのはものすごく尺なのだが、こういう時はあの冷静な思考が恋しくなる。無駄な思考を切り落とし、事実だけをつなぎ合わせる論理的な思考が、真相を掴むには必要なこともある。
だが、そうして真相をつかみ取ったとき、私たちには何が残されるのだろうか。
残るのは、知らない方がよかった。そう思ってしまうような、悲惨な結末ではないのか。
「追加のお茶菓子があるんだけど、食べる?」
気を利かせた寮母さんが新しいお茶とお菓子を持ってきてくれるまで、私の頭から横断歩道に立ち尽くす少女の姿が離れなかった。
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