3-4 不確定未来

 交差点はいたって普通だった。通学路にあるだけあって車通りは少ないが、信号機があり、横断歩道がある。交差点といわれて誰もが想像するものだ。

 ホラースポットでよくある謎のお地蔵様とか、ひしゃげたガードレールとか、花束とか。そういったマイナスの印象を受けるものもない。

 いたって普通の、街の景色に溶け込んでいる交差点だ。


「本当にいるの?」


 日下先輩から聞いた話と結びつかなくて、私は彰に問いかける。数歩先で立ち止まっている彰とマーゴさんは、なぜかそろって一点を見つめていた。


「いるよ」

 彰は静かな声でいった。隣でマーゴさんは深く頷く。


「本当に小さな女の子だね。小学生くらいかな?」

「交通事故っぽいね」


 天気の話をするみたいに自然な二人の会話に、遅れて思考が追いついた。慌てて二人が見ている先を見つめる。二人が見ているのは横断歩道の前の辺り。私はいくら目を凝らしても、何も見えない。


「本当に、本当にいるの!?」

「いるよ。しつこいな。ナナちゃんまで僕が嘘つきだって言いたいわけ」


 彰が不機嫌そうな顔で振り返った。昨日、今日と日下先輩に嘘つき扱いされているのが、実はショックだったらしい。「ごめん」と素直に謝ると、フンッとそっぽをむいた。不機嫌だ。


「……本当に、女の子なんですか?」


 日下先輩の念を押す問いかけに、今度はマーゴさんがうなずいた。彰はじっと横断歩道の方を見つめている。

 日下先輩は信じられないといった様子で彰たちが見ている方向を凝視しているが、私と同じく何も見えないのだろう。表情がだんだんと困惑へと変わっていった。

 香奈の表情も期待から、落胆、困惑へと変化している。ホラースポットに比べると日常風景に溶け込みすぎている。いると言われても実感がわかないのだろう。


 日下先輩はウソと言いたいのかもしれないが、先ほど香奈と全否定しないと約束したばかりだ。彰とマーゴさんの態度は、嘘を言っているようにも見えない。彰はともかくマーゴさんは演技派とも思えない。


 どうしたものかと横断歩道を見つめていると、向こう側から小学生が歩いてきた。学校帰りらしい小学生は彰たちが凝視してる場所を通過し、平然と横断歩道を渡ってくる。私たちとすれ違いざま、不思議そうな顔をされたがそれだけ。幽霊とすれ違っただなんて、想像すらしていないに違いない。

 やはり、見えているのは彰とマーゴさんだけだ。


「ほんといんのか? ずいぶん気配薄いな」


 遅れて追いついたクティさんが彰たちの見る方向を見つめて、目を細めた。見えにくい何かを、見ようとしてるようだ。


「あんまり強い霊じゃないみたいだね。相当霊感ないと分からないんじゃないかな」


 マーゴさんが横断歩道から視線を外して振り返る。マーゴさんの動きに合わせて彰も視線を外すが、表情が険しい。何かを考えているようだ。


「話に聞くような現象を起こせるとは思えないんだけどなあ……」

 マーゴさんはチラチラと横断歩道の方を見ながら、首をかしげる。


「どういうことですか?」


 香奈が不思議そうな顔でマーゴさんを見つめた。マーゴさんは「うーん」と唸ってから話始める。


「幽霊っていっても強いのと弱いのがいるんだ。強いのは見えやすいし、人を祟るってこともできるんだけど、弱いのは霊感がある人でも分かりにくかったり、そのうち自然消滅しちゃったりするんだよ」

「消えちゃうんですか!?」


 香奈が叫びながら目を見開いた。私もそれは初耳だったので驚く。


「この世界、現世って言うのは生きてる人間のものなの。本来なら常世、死んだ人の世界に行かなきゃいけないものが、現世に無理やりとどまっているっていうのが幽霊。本当はいちゃいけないものが無理やり存在してるわけだから、問題が起こる」

「問題って?」

「魂が削れるんだ。現世にとどまる時間がなければ長いほど、徐々に魂が削れて最後は消えてしまう。強いものなら留まれる時間も長くなるし、現世に適応できたりするけど、あの子は……」


 マーゴさんの代わりに説明してくれた彰はそこで言葉を区切り、再び横断歩道の方を見つめた。


「それほどの力があるとは思えない。ほっといたらそのうち消えそうだ」

「……消えると、どうなるんですか?」


 黙って話を聞いていた日下先輩が口を挟む。意外だなと私が視線を向けると、思った以上に真剣な顔をしていた。


「生まれ変われなくなる」

 彰の言葉に私は息をのんだ。


「生まれ変われなく……なる?」

「人が常世に行くのは次に生まれ変わるための準備。現世で背負った業を洗い流して、新たな命として生まれ直すための場所が常世。そこに行かずに魂を消費し続ければ、やがて魂は完全に消滅する」


 彰は淡々と語る。感情の乗らない声は書かれた文章を読んでいるようで、現実感がない。いや、私が認めたくないのかもしれない。

 まさかという気持ちを込めてマーゴさんに視線を向けると、悲し気な表情で頷かれた。彰が言っていることは本当だ。そう肯定するものだった。


「世界の決まりを覆してるんだ。リスクが生まれるのは仕方ねえよ。運よく魂回収してもらえればワンチャンあるが、それでも現世に留まった分魂は消費されてる。来世に生まれ変わるまでに時間もかかるし、上手く生まれ変われかも分からねえ」

「そんな……」


 クティさんの補足に香奈が何とも言えない表情で横断歩道を見つめた。今までは純粋に幽霊を見たい、会いたいといっていた香奈だが、現世にとどまるリスクを知ってしまっては素直に喜べないのだろう。

 今ここにいるということは、魂を削り続けているということなのだから。


「そんな危険があるのに、なぜ残っているんですか……」


 日下先輩が固い表情で聞いた。私も疑問だ。とどまったところでいい事などないだろうに、世の中には幽霊の噂があふれている。ほとんどは嘘だったとしても、本物は確かに存在する。


「未練があるからだろ」

 私たちの疑問にクティさんはあっさり答えた。


「生まれ変わるよりも、優先したいことが本人にあるんだよ。常世にいったら現世の記憶は消える。望みをかなえる最期のチャンスってわけだ」

「でも……、それで消滅したら……」

「たしかに賭けだ。ほとんどの霊は現世にとどまれば消滅するって理屈で理解してるわけじゃねえしな」


 クティさんの言葉に私は驚いた。理屈で分かってるわけじゃない。じゃあ、消えてしまうと知らずに残っている霊もいるということではないか。


「それじゃ、余計に危ないんじゃ」

「言っとくけどな、幽霊だってそこまでバカじゃねえ。理屈じゃわかんなくても、留まり続ければ危険だってのは本能で分かってんだ。残ってるやつらはな、分かっていても譲れねえものがあるから現世にいんだよ」


 クティさんはそういうと、横断歩道の方向をじっと見つめる。


「そこのガキも何かあんだろ。消えるリスクを背負ってでも、現世でしたい何か」

「……あそこまで弱ってると何が未練で残ってるか、もう覚えてないかもしれないけどね」

 マーゴさんはそういって、悲し気に目を伏せた。


「だからこそ、おかしいんだよなあ……」


 クティさんが唸り声にも似た声を出した。今までの悲し気な、どこか哀れみのこもった声音とは違う、世の不条理を糾弾するみたいな強いものだ。


「なあ、お前」


 横断歩道の方を見つめていたクティさんが、勢いよく体をひねり、日下先輩へと視線を合わせる。神妙な顔をしていた日下先輩は、虚をつかれた様子で固まった。


「本当に、交差点を通るとあの霊が追いかけてくるのか?」

「……そう、聞きました」


 日下先輩がかすれた声でいう。嘘を言っているようには見えないし、日下先輩の性格からいって嘘など言わないだろう。

 クティさんは探るように、じっと日下先輩を見つめる。


「話が本当ならおかしいんだよ。あんなに弱い霊が生きてる人間に干渉できるわけねえ。何かの理由があって追いかけたとしても、聞こえるはずねえんだよ。マーゴとか、そこの奴くらいならわかるかもしれねえが、人間でそこまでわかるやつなんてごく少数だ」


 クティはそこの奴と彰を顎でしめした。つまり、彰は人間の中でもごく少数ということか。

 知ってたけど。


「お前の後輩っていうのは、何だ? ものすごい霊感持ちなのか?」

「いえ……そういった話は……特に……」


 日下先輩は困惑した様子でそうつぶやいて、視線を下げる。

 日下先輩から聞いた話から推察すると、後輩というのは霊感があるタイプには思えない。霊感があるのならゼロ感の日下先輩に相談するなんて無駄なことはせず、神社にいくとか、それなりの人に頼むだろう。全く感じないからこそ、身近であり頼りになる日下先輩に相談したはずだ。


 だが、クティさん達の話が事実ならおかしなことになる。

 見える人間ですらはっきり見ることが難しい霊を、霊感のない人間が見えるはずがない。後輩が彰並みに見える人でないのならば、嘘を言ったことになる。

 

 だが、実際に交差点に幽霊はいた。

 これはどういうことだろう? 後輩は嘘をついたが、たまたま本当に幽霊がいたということなのか? だとしたら、後輩は何でそんなウソをついたのか。


 日下先輩に詰め寄っても意味がないと思ったのか、クティさんは舌打ちすると、横断歩道の方へと向き直る。先ほどよりも真剣に、幽霊がいるであろう場所を睨み付けた。

 理由は分からないが、ものすごく集中しているように見える。気迫がこちらまで伝わってきて、私は思わず身をすくめた。マーゴさんは何かを感じ取ったようで、意外そうな顔でクティさんを見つめている。


 数分そうしていたかと思うと、クティさんは突然目を見開いた。意外なものを見てしまったような反応に私が戸惑っていると、口の端を上げ、愉快そうに笑う。怒っていたと思ったら、驚いて、次には笑って、クティさんの感情の変化についていけない。


「なるほどなあ……そういうことか」

「クティさん! 何か分かったの!」


 いぶかし気にクティさんを見つめる私たちと違って、マーゴさんはクティさんに明るい表情で駆け寄った。何かをつかんだと確信した様子に私は戸惑う。

 クティさんが先ほどしていたことといえば、ものすごい気迫で幽霊を見ていただけだ。それだけで何かが分かるものなのだろうか。クティさんはマーゴさんよりも幽霊が見えない。そう自分で言っていたのに。


「分かったけど、教えねえ」


 駆け寄ってきたマーゴさんにクティさんは、実に意地の悪い顔でそういった。マーゴさんが一瞬固まり、可哀想になるほど肩を落とす。私も少しとはいえ何かが分かると思っていたので、マーゴさんほどではないがガッカリだ。


 香奈と日下先輩は状況についていけてないのか、きょとんとしているが、彰は表情が険しい。意味深なことして振り回すんじゃねえ。ってところだろうか。


「えぇ……」

「ここで俺が色々いうと、ミスルートが増えんだよ」


 クティさんはマーゴさんの落胆も、私たちの反応もお構いなしに上機嫌にそういった。一人だけ謎が解けてスッキリした態度にイラッとするが、イラつく私を見るとさらに楽し気に目を細めた。

 この人、根性ねじ曲がってる。


「おもり役とはいえ、僕の手伝いで来てるんでしょ?」


 「さっさと分かったこと吐けよ」と彰がイライラした口調で言う。それに対してもクティさんは相変わらず楽し気に、にっこり笑った。クティさんの笑顔は初めて見たが、マーゴさんとは似ても似つかない胡散臭い笑顔だ。


「だからこそ、言わねえよ。言わないのが最善だ」


 彰が片眉をつりあげ、不機嫌オーラを発するがクティさんはひるまない。それすらも余裕の表情で受け流す。

 少し前は彰の怒気に怯えていたのに、どういう心境の変化だ。


「……クティさんが最善っていうなら、最善なんだろうけど……もやもやする」


 私たちよりは事情を察しているらしいマーゴさんが、顔をしかめた。

 クティさんを威圧しても口を割らないと悟ったのか、彰はマーゴさんに狙いを定めた。おい、コラ吐けとヤクザも逃げ出す眼力で睨みつける。

 外見は美少年だというのに、どこからそんな威圧が出せるのか。

 マーゴさんはひぃっと悲鳴を上げて青ざめ、クティさんに助けの視線を送るが、クティさんは相変わらずニヤニヤ笑っている。助ける気はない様だ。


「えぇっと……クティさんは、ある程度、未来が見えるっていうか……行動の結果が分かるっていうか……」

「はあ?」


 予想外の言葉に彰は目を丸くする。私も似たような反応をしているだろう。

 何だそのチート能力。


「さすがに、それは嘘でしょう」


 日下先輩が眉をひそめた。否定しないと約束したばかりだったが、否定せずにはいられなかったらしい。

 今回は私も同意だ。嘘くさすぎる。


「別に信じなくてもいいけどな、俺は言わねえぞ。俺が話すと分岐が増えて、不確定要素が増える。現状のお前らは知らないがベストだ」


 一人、事件の真相までたどり着いたらしいクティさんが、上機嫌にいった。マーゴさんが「クティさんずるい……」と呟いた。その通りだ。


「真実を探る楽しみはとっておいたんだ。感謝しろよ。人生は未来が分からねえから楽しいんだぞ」

「人間じゃないやつに、人生語られたくないんだけど……」


 ため息をついて、彰は額をおさえる。私としては彰も人間枠ではないので、お前が言うなというところだが、主張としては正しい。


「ほらほら、他にやることあんだろ。さっさと確認しろよ」


 クティさんは気持ち悪いほど笑顔でそういって、マーゴさんの背を押した。「え?」とマーゴさんが戸惑った顔でクティさんを見る。


「お前がリンさんに指名された理由なんて、一つしかないだろ。ゼロ感でも幽霊が見える特殊空間。それが作れるのは世界広しといえど、お前くらいだろ」


 上機嫌に笑い続けるクティさんは、本当に楽しそうで、それだけに腹が立った。

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