3-3 見えないモノ

 「そういう反応になるよね」とマーゴさんは困った顔で笑う。

 笑顔は癒し系だが言ってることが、まったく癒されない。

 何だ幽霊を食べるって。食人か……? いや、もう死んでるからいいのか? でも元は人間だからどうなんだ。セーフ? アウト?


「そもそも、どうやって食べるの!? 体ないでしょ!」


 衝動のままに叫ぶと、顔をしかめた彰が耳をふさいだ。マーゴさんは相変わらず笑っている。クティさんもうるさいとばかりに眉間にしわを寄せた。

 たしかに驚きすぎて大声になったけど、それくらいの衝撃だったんだ。大目に見てほしい。


「食べるっていうなら、食べられるんじゃない。僕は食べないから知らないけど」

「意外と味は豊富だよ。甘かったり、苦かったり、からかったりー」


 彰はどうでもいいのか返事がおざなりだ。マーゴさんが笑顔で答えてくれるけど、聞けば聞くほど私の頭がいたくなってくる。

 幽霊って味するんだ……。味の種類あるんだ……。つまり、どういうことだ……。


 香菜は何故か目を輝かせて、私の背後から身を乗り出した。そこまで来たら出てくればいいのに。体の半分以上が私からはみだしている。もう隠れてる意味ないだろ。


「嘘にしても、お粗末すぎます。そんなこと信じるわけないでしょう」


 日下先輩があきれた顔でそういって、ため息をついた。日下先輩の反応を見て、それが正しい反応だと私は気が付いた。彰に子狐様と怪奇現象と接しすぎて、すっかり常識が抜け落ちていたようだ。疑うことなく普通に受け入れてしまうほど、慣れてしまった事実にあせる。

 私の常識は一体どこに行ってしまったのか。


「これも佐藤君の差し金ですか?」


 日下先輩は彰に軽蔑の視線を向けた。私たちの反応を眺めていた彰は、突然むけられた悪意に「はあ?」と低い声を出した。


「私が信じないから、外部の人間まで雇って信じさせようという腹積もりでしょうが、無駄な努力ですね。こんなお粗末なものでは、信じられるはずがありません」


 心底呆れた様子でいう日下先輩に、剣呑な視線を向けていた彰が目を丸くする。日下先輩の発言が予想外だったらしく、えぇ? 本気? と表情が驚きへと変化していく。

 私も彰と同じような心境である。いくら信じないからといって、彰が差し向けたという思考にいたるのは極端すぎる。


「おいまて、そこの女」


 彰が反応に困っていると、意外にも口をはさんだのはクティさんだった。元から私たちに好意的な態度はとっていなかったが、さらに悪い。本気で怒っているらしく、目が座っている。

 ポケットに両手を突っ込み、こちらを下からにらみつける姿はどこからどう見てもヤンキーだ。


 一瞬私の脳内に、祠を壊した尾谷先輩がフラッシュバックした。尾谷先輩もなかなかの古典ヤンキーだったが、クティさんの場合は迫力が違う。どっちかというとヤクザだ。百合先生ほどではないが。


「信じられねえっていうのは仕方ねえ。俺たちだって自分たちの存在が嘘くせえのも、信用できねえのも分かってる。それにしたって、詐欺扱いはあんまりだろ」

「詐欺じゃないなら、何だっていうんですか。幽霊を食べる? そんな人間存在するはずないでしょう」


 クティさんの言葉を、日下先輩は平然と受け流した。全く心に響いていない。信じる気は全くないという態度に、クティさんの目がさらに険しいものになる。放っておいたら掴みかかるんじゃないかという怒気に、私は日下先輩を止めるべきかと焦る。


「信じなくても別にいいけど、存在を否定するのはやめて」


 張り詰めた空気の中、マーゴさんの言葉が響いた。静かで悲し気な声は、熱した空気の中では冷や水の効果を発揮したらしい。クティさんと日下先輩の視線がマーゴさんへと集まる。


「知ってる? 妖精は存在を否定されるたびに死んじゃうんだよ」


 泣きそうな顔で笑いながら、マーゴさんは静かにそういった。日下先輩は何かを言おうと口を開くが、言葉が思い浮かばなかったのか口を閉じる。


「ボクらみたいに存在が不安定で、人に信じてもらえなければ生きていけないモノは人が知らないだけでいっぱいいる。人間にとってはどうでもいい、見えない世界の話だろうけど、君たちが否定するたびにボクらの仲間の命は消えてるんだ」


 それは嘘だと否定するには重すぎる言葉だった。クティさんのように怒るのではなく、淡々と悲し気に告げるから余計に言い返せない。


「ですが……」

「日下先輩」


 未だに納得いかない様子の日下先輩に声をかけたのは、いつの間にか私の背後から抜け出ていた香奈だった。日下先輩の手をとって、真剣な顔で訴える。


「私は幽霊とか神様とか、幻獣とか、目に見えない、私たちの世界とは別に存在するものが好きです。そんなものいないって皆いいますけど、一説にはそういった存在は人間の想像によって生まれたとも言われています」

「妄想ということでしょう」

「最初はそうだったかもしれません。でも妄想は一人ではなくみんなが信じれは真実になります。神社に祭られていたり、神話で伝えられているモノはそうして神になったんです」

「それはあくまで、昔の人が心のよりどころとして創造したものでしょう」


 日下先輩の言葉に、香奈は泣きそうな顔をした。


「たしかに、人間が勝手に作り出した妄想かもしれません。でも、人が勝手に作り出した妄想だからこそ、人が否定しちゃいけないと思うんです。私たちが創ったのに、私たちがいらないっていったら、彼らが生まれた意味が本当になくなってしまう」


 香奈の言っていることはめちゃくちゃだ。理論だってないし、反論しようと思えがいくらでも反論できるだろう。それでも、それが出来ないのは香奈が本当にそう思っていて、悲しんでいると分かるからだ。


「信じなくてもいいです。疑ってもいいです。でも、完全に否定するのはやめてください」


 香奈の言葉にマーゴさんとクティさんは目を見開いて、マーゴさんは嬉しそうに笑い、クティさんはそっぽを向いて腕を組んだ。表情は険しいが、耳の辺りがかすかに赤いから照れ隠しのようだ。

 マーゴさんがいっていたが、確かにクティさんは面倒くさい。


「……後輩にここまで言われたら、生徒会長としてこれ以上は否定できませんね」

 はあとため息をついて日下先輩はマーゴさんとクティさんに向き直る。


「非礼をお詫びします。信じているかと言われれば信じていませんが、とりあえず完全に嘘だと思うことはやめましょう。ただし、あなた方を信用したのではなく、後輩を立てただけです」

「ねー、今回こんな面倒なのしかいないの……」

 彰が心底疲れた様子でつぶやいた。気持ちは分かる。


「それで、あの! 気になってたんですが、幽霊を食べるっていったい!」


 話が一区切りついたと察したからか、香奈が目を輝かせてマーゴさんへと詰め寄った。先ほどまでの悲し気な表情との差に、マーゴさんが驚いた顔をする。ずっと私の背後にいたのに、いきなり積極的に距離を詰めてきたのも驚いたのかもしれない。クティさんもぎょっとした顔をしていた。


「妖怪とか、幻獣とかそういうの好きでよく調べるんですけど、変わったモノを食べる存在っていうのは聞いたことなくて! いったいどんな感じなんですか!」


 キラキラと目を輝かせてマーゴさんたちに詰め寄る香奈。両手を組んで上目づかいに見つめる姿だけ見ると恋する乙女にも見えるが、そんな可愛いものではない。答えるまでは逃がさないという捕食者のような気迫が見え隠れし、二人の表情が引きつった。


「坂下さん……?」

 日下先輩が戸惑った視線を香奈に向けている。分かる。気持ちはわかるよ。日下先輩。


「今回大人しくしてるなあと思ってたけど、我慢してたんだねえ」


 彰が苦笑している。言われてみれば、リンさんにも後ろの少女の噂にも真っ先に食いつきそうな香奈が、今回は大人しめだった。

 日下先輩、リンさん、マーゴさんにクティさんと香奈が苦手なタイプがそろっていたため、好奇心よりも恐怖心が強かったのだろう。それがクティさんたちの話で逆転し、好奇心が勝ってしまったらしい。

 結果、今まで蓄積していたものが一気に表に出たというところか。


「カナちゃん。困ってるからほどほどにして、話なら後で僕が聞いとくから。今回は交差点の幽霊優先しよう」


 彰が止めにはいると香奈ががっかりした顔をした。クティさんとマーゴさんはホッとした顔をし、心なしか尊敬した目で彰を見ている。二人の中で彰の株が上がったらしい。

 逆に言えば、それほど香奈に対する反応に困っていたということだ。胡散臭いなと思っていたが、意外と可愛い所もあるんだなと私の中でも二人の評価が上がった瞬間だ。


「日下先輩、幽霊が出るって言うのはあそこの交差点でいいんですか?」


 彰が少し先にある交差点を指さしながら聞く。学校からそれほど離れていないというのに、途中で色々あったせいでずいぶん時間がかかってしまった。

 日下先輩は生徒会長として仕事があるだろうに、こんなに時間がかかって大丈夫なのかと視線を向けると妙に緊張した様子で交差点を見つめている。


 リンさんやクティさんなど、名だたる不審者を前にしても一歩も引かなかった日下先輩らしからぬ反応に私は驚いた。クティさん達の存在や、香奈の説得により、幽霊が全くいないという思考が、もしかしたらいるかもしれないくらいまで動いたのだろうか。

 だとしたら、緊張するのも分かる。私も彰と出会って自分の常識が覆された瞬間は、驚いたし、落ち着かなかった。とにかく平穏ではいられなかった。


「あそこですね。あの交差点に足を踏み入れると、小さな女の子の足音が聞こえるんだそうです」


 そういいながら日下先輩は、落ち着かなさげに自分の腕をさすっている。少しばかり表情が暗いのは、これから待ち受ける真相への不安からだろう。


「マーゴわかるか?」

「んー? もうちょっと近づかないと分かんないかな。それほど強い霊じゃないみたい。悪霊ってわけでもないみたいだね」


 マーゴさんは目の上に手を水平に置き、背伸びしながら遠くを見つめる。年上男性なのだが行動がやけに子供っぽい。それに違和感がないのが凄い。


「そういうのわかるんですか」


 香奈が目を輝かせて聞くと、マーゴさんは一瞬ビクッと体を震わせた。完全に苦手意識を持たれてしまったようだが、オカルトスイッチが入っている香奈はそんなことは気にしない。普段だったら気にしすぎなほど気にするというのに、オカルトのことになると香奈は別人格になってしまう。


「うーんまあ……悪霊ってなると存在そのものが変わっちゃうし、普通の霊よりも存在感が増すから」

「悪霊ってわけじゃないなら、やっぱり地縛霊かな。悪気がある行動じゃないのかも」


 彰はそういいながら、気にせず交差点へと近づいていく。私としてはもうちょっと心の準備をさせてもらいたいのだが、お構いなしだ。やけに時間がかかったから、さっさと終わらせて帰りたいのかもしれない。彰としては興味を引かれる話でもないだろうし。


「君も見えるタイプの人?」


 マーゴさんは彰に興味を持ったようで、先にいった彰に小走りで近づき、隣に並んだ。彰は軽く顔を向けるだけで何も答えない。


「見える人久しぶりに会ったから、嬉しいなあ」

「僕何もいってないんだけど」

「否定しないってことはそういうことでしょ」


 にこにこ嬉しそうに笑うマーゴさんに、彰は何ともいえない顔をした。戸惑っているような、対応に困っているような微妙な反応は、リンさん、クティさんに比べると優しい対応だ。

 彰は香奈、小宮先輩に対しても比較的対応が柔らかい。マーゴさんみたいに邪気がないタイプには、弱いのかもしれない。


「見える人ばかりじゃないんですか?」


 初対面の怯えはどこにいったのか、目を輝かせてクティさんに質問する香奈。クティさんは引きつった顔で香奈を見つめ、それから視線を泳がし、私へ助けを求める視線を向けてきた。

 お前の後ろにずっといたし、お前の担当だろという空気を感じるが、スイッチがはいった香奈は私にもどうすることができない。とりあえず視線をそらしておいた。


「……俺は霊感の有無は関係ねえからな。人間よりは感覚するどいけど、ハッキリ見えるのはマーゴくらいだ」

「皆が皆、幽霊食べるってわけでもないんですね」


 クティさんが幽霊を食べるのならば、幽霊が見えないことはあり得ない。食べ物が見えなければ食べることはできないのだから。そうなるとクティさんは幽霊ではなく、別の物を食べるのか。


「クティさんもマーゴさんと一緒で、変わった物を食べる存在なんですよね?」


 念のために確認するとクティさんはたっぷり間をあけ、嫌そうな顔をしながらうなずいてくれた。色々と葛藤があるようだ。


「何を食べるんですか!」


 元気よく聞く香奈にクティさんが顔をしかめる。すいません。うちの子がという意味で生暖かい視線を向けると舌打ちされた。いつもの香奈だったらそこでひるむのだが、オカルトスイッチが入っていると全く気にしない。強い。強いけど、困る。


「クティさんのは説明するの難しいから、聞かないであげて」


 先を歩いていたマーゴさんが、苦笑しながらフォローに入る。クティさんは腕を組んで、不機嫌そうに宙をにらんでいるが、否定はしない。嘘ではないのようだ。


「君たちも色々と面倒そうだねえ……食べる物も選べないんでしょ」

「クティさんの場合は生まれ持った特性だし、ボクの場合は最初で固定されちゃったからね」


 そういって笑うマーゴさんの表情は柔らかいが、何だ目が濁ってみえた。底なし沼みたいな、深みを見たら抜け出せなくなりそうな。そんな感覚がしてブルリと体が震える。


「……このメンバーの中で中途半端に勘いいって、不憫だな」


 クティさんが、心底同情するような視線を私に向けながらそう言った。

 私が一番思っていることだが、他人に言われるとさらにダメージが入るのでやめてもらいたい。子狐様にも言われたが、やはり私が普通の人よりは勘がいいのだろうか……。

 香奈がいいなあという視線を向けてきたが無視した。譲れるものなら譲りたい。私の勘も嫌がる人より、喜ぶ人にあった方が嬉しいだろう。


「あーいた!」


 交差点まで残り数メートルというところでマーゴさんが明るい声を上げた。

 いたというのは猫とか、芸能人とか、見つけて嬉しいものではなく幽霊である。何でそんなに嬉しそうなんだとげんなりしながら私はマーゴさんたちに追いつくべく、足を速める。


 隣にいた日下先輩が一瞬だけ動きを止めたが、次の瞬間には速足で私を追い抜いた。香奈はそわそわしているし、クティさんは面倒くさそうだし、この集団まとまらないなと私は顔をしかめた。

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