1-3 かみ合わない会話
生徒会長と名乗った日下先輩を、改めて私は観察する。言われてみれば、なぜすぐに気づかなかったのか自分でも分からない。どこから、どう見ても、朝礼や行事などで見かける生徒会長だ。
香奈は真っ先に気づいたから、驚いたんだろう。
じゃあ、彰は?
彰の方を見ると、不敵な笑みを浮かべて日下先輩を見上げている。
動揺した様子もないし、先輩。とわざわざ言ったところを見ても、分かったうえの対応のようだ。性根がねじ曲がっている。
子狐様はというと、相変わらずのん気にお茶を飲んでいた。
子狐様からすれば、人間の、とくに生徒限定のリーダーなど興味がないようだ。もしかしたら、生徒会長。という言葉すら知らないかもしれない。
「その、生徒会長様がわざわざ何の御用ですか? いきなり人を悪者扱いしたんです。正当な理由があるんですよね?」
彰が刺々しい口調でいう。目は細め、口元だけは弧を描いているから不気味だ。
これはかなり苛立っているぞと私は彰から距離をとった。香奈はいつの間にか、私よりも彰から距離を開けている。
いつのまにか危機回避能力があがっている。
「もちろんありますよ。理由もなく、人を悪者扱いするなんて愚行、私は犯しません」
彰の言葉に自身満々に言い返して、日下先輩は腕を組む。
その堂々たる態度を見るに、日下先輩は彰が悪だと確信しているようだ。
私と香奈は視線を合わせる。
彰が悪と判断される理由は何だろう。確かに、私からすれば彰は間違いなく悪だが。極悪だが、悪魔でしかないが。
だが、それは佐藤彰という人物の言動をしっているからこそで、日下先輩がそこまで彰の事を知っているとは思えない。
そもそも、二人は初対面のはずだ。
「あの……、日下先輩、悪事っていうのは……」
一人は自信満々。一人は表面だけは笑顔。視線だけは一歩も引かない睨みあいを続ける二人に、このままではキリがないと思った私は嫌々ながら口をはさむ。
本音を言えば、見なかったことにして帰りたかった。
だが、そんなことをしたら後で彰に嫌味を言われる。どころか、八つ当たり気味に無茶ぶりされそうだ。
流石にそれは嫌だ。佐藤彰という人間は見た目に反して、やり口がえぐい。
「それは、あなただって知っているでしょう。香月さん」
私の問いかけに日下先輩は、私の方こそ何をいっているのか。そんな雰囲気を出しながら答えた。意外なことに、私の名前も知っていたようだ。
いや、調べがついているのか。そうなると香奈の事も知っているのだろう。
「あなた方が、学校に怪しい噂を流していることは、すでにつかんでいます」
日下先輩の言葉に私と香奈は顔を見合わせた。
怪しい噂、というと狐の祠のことか。
「この祠には神様がいて、願いを叶えてくれる。そう噂を流しているのでしょう。それが真実であるかのように、裏で手を回し、周囲に信じ込ませようとしている。これは立派な詐欺! 犯罪です!」
「そんなことは……」
香奈がとっさに声を上げるが、日下先輩が視線を向けた瞬間に押し黙る。あわあわと口を動かして、視線をそらし、最終的に私の背後に移動して隠れた。
日下先輩とは相性が悪いようだ。
「それを僕らがやった。という証拠はあるんでしょうか?」
「あなた方が不審な行動をとっているという目撃証言を複数人から得ています。現に今、こうして祠の前にいる。そこにあるのは、祠に入れられた願い事でしょう」
日下先輩は、そのままにしてあった願い事の紙を示す。
誰も来ないと思って気にしなかったが、確かにこれを見ているのは言い訳ができない。
「小宮君からも話を聞きました。佐藤さん、あなたは自身がお狐様の使いだと、そういったそうですね」
「そうですけど、それが何か?」
日下先輩の質問に、彰は平然と答えた。
彰の返答に、今まで演説のごとく言葉を続けていた日下先輩が顔をしかめる。
「本気でいっているんですか? 本気で、神様が存在し、あなたに助けを求めたと?」
「つまり日下先輩は、僕が嘘をついている。もしくは正気ではない。そうおっしゃりたいんですか?」
彰は笑みを浮かべて返す。顔は笑みの形をしているが、目は獣のごとく怪しい光を放っている。今にも喉元に食らいつきそうな迫力に、関係ない私の方が緊張してきた。
日下先輩も、一切動じない彰の態度に片眉をあげる。
それから、ふぅっと一息ため息をつく。バカバカしいとばかりに額に手を当て、頭を左右に振った。
「何か裏があるのではと考えていましたが、まさか、本気で神なんて妄想を信じているなんて……」
日下先輩の言葉に、今まで無言を貫いていた子狐様の空気が変わった。
端正な顔から表情が抜け落ち、目だけはギラギラと敵意を宿し、日下先輩をにらみつける。それは子供が放つにしては威圧感がありすぎたが、どうしたことか日下先輩はまったく動じていない。
とんでもなく鈍いのか、とんでもなく度胸があるのか。どっちだ。
どちらにせよ勘弁してほしい。彰だけでも厄介なのに、子狐様まで本気で怒らせたら笑えない。
香奈が私の背に隠れたまま、私の制服を握り締める。私も張り詰めた空気と、徐々に下がる体感温度に、香奈に抱き着きたい衝動にかられた。
抱き着いたところでどうにもならないのだが、とにかく今は仲間が欲しい。
「日下先輩は、神も仏も、幽霊も存在しないと考えているんですね」
「そうしたものはすべて、弱い人間が作り出した妄想。現実には存在しません」
きっぱりとした口調に迷いはない。日下先輩は目に見えないものは、信じない主義なのだろう。
それはいい。私だって、彰に出会うまでは信じていなかった。
だから、信じられないという日下先輩の気持ちは分かる。分かるが、なぜ、この張り詰めた空気に、下がり続ける温度に気づかないのか。
香奈が制服を握り締めるに飽き足らず、私に思いっきり抱き着いてきた。身体の震えが伝わってくる。いや、これは香奈の震えか? 私の震えか?
「信じる、信じないは人それぞれですが、それを祠の前で論ずるのはあまりにも不敬ではないですか?」
子狐様の気をそらそうとしたのか、彰がちらりと祠に視線を向ける。
子狐様は無言で日下先輩を見ているが、その眼は冷たい。視線だけで人を殺せそうだ。
「祠といっても形だけです。昔の人の心のよりどころではあったかもしれませんが、昔の話。今となっては、無用のものですよ」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた空気がはじけたように感じた。
座っていた子狐様が立ち上がり、低い唸り声をあげる。引っ込んでいた耳が飛び出し、背中には五本のしっぽが揺れる。普段の穏やかさなど嘘のように、吊り上がった目は血走り、真っすぐに日下先輩をにらみつけていた。
ここにきてやっと異変に気付いたのか、日下先輩が戸惑った表情を浮かべる。それでもなぜか、子狐様へと視線を合わせることはなく、不思議そうに周囲をきょろきょろと見渡した。
「ちょっと、子狐ちゃん! ここで食い殺しちゃったら、今まで頑張った意味なくなるから!」
彰が珍しく焦った表情で、子狐様の目の前に飛び出した。香奈が先ほどよりも強く、私の体を抱きしめる。
「えっ、何?」
ここまで来ても、なお事態が呑み込めていない様子の日下先輩。
いくら何でも、様子がおかしい。そう私が思ったと同時に、
「美幸ちゃん! 佐藤君たちは悪くないから!」
茂みから新たな人物が飛び出してきた。
今度は誰だ! さらに事態を悪化させることだけはやめてくれ!
そんな祈りにもにた気持ちでその人物を見ると、全力疾走してきたのか荒い息をついた、小宮稔先輩がそこにいた。
「小宮先輩!」
私と香奈は、ワラにもすがる思いで、同時に名前を呼ぶ。
この状況を小宮先輩が止められるとは思えないが、空気くらいは変えられるかもしれない。私たちの必死な叫びに小宮先輩は、驚いた顔をして、私たちをぐるりと見渡す。
最初に見えたのは、おそらく日下先輩。いきなり飛び込んできた小宮先輩に驚いて、動きをとめている。その奥には、同じく驚いた顔で固まっている彰。さらに奥には、噛みつくタイミングを失って、やはり固まる子狐様の姿が順番に見えたようだ。
子狐様を視界にいれた小宮先輩は、数秒硬直し
「耳としっぽぉ!?」
と、子狐様を指さして絶叫した。
神様に対して何とも失礼な反応だが、気持ちがわかるのか、毒素が抜けたのか、子狐様はふぅっと息を吐き出した。
怒りで逆立っていた耳としっぽも、ゆるゆると下がって定位置に戻る。その姿をじっと見つめた小宮先輩は「本物!? 本物なの!?」といっそう騒いだ。
気持ちは分かるけど、とりあえず落ち着こう。
「小宮先輩、とりあえず落ち着いてください」
あまりの騒ぎように、子狐様と同じく毒素を抜かれたらしい彰がなだめた。それでも小宮先輩は興奮気味に、まとまらない言葉を発しながら、子狐様と彰を何度も見つめる。
「佐藤君!? 本物!? 本当にお狐様!?」
「……えぇっと、それはまあ、おいおい説明します」
正確にいうと子狐様ですと言おうかどうか彰は迷っているようで、視線をさまよわせている。一から説明した方がいいか、適当にごまかした方がいいか、悩んでいるようだ。
小宮先輩はかなりピュアで信じやすいことは分かっているので、言えば疑うことなく信じるだろう。だが、ピュアすぎて全く気にせず周囲に話してしまうことは、日下先輩が来たことで証明された。
今回のようなトラブルが増えても困る。どこまで話して、どこまで黙っておけば最善か、彰は高速で頭を動かしているようだ。
というか前に、彰、子狐様は現世に直接姿を現せないとか何とか、適当なこと言ってたような。まあ、彰だったら、ごまかすだろうけど。小宮先輩なら、あっさり信じるだろうし。
「さっきから小宮君は、何を騒いでいるの?」
そんな状況を見かねてか、日下先輩が眉間に皺を寄せて、彰と小宮先輩をにらみつけた。自分をそっちのけにされて、不満なようだ。
「だって、お狐様だよ! 本物の神様が目の前にいるんだよ! あの耳としっぽ、本物だよね。触っていいかな!」
小宮先輩は興奮状態でそういって、少し離れた位置にいる子狐様をキラキラした目で見つめた。子狐様はビクッと一瞬毛を逆立て、かすかに後ずさる。
いくら子供好きの神様とはいえ、耳やしっぽを不用意に障られるのはいやらしい。
猫好きの小宮先輩としては、狐も許容範囲なのか。いや、動物全般好きなのか。
そう私が考えていると、日下先輩が先ほど以上に苛立った様子で声をあげた。
「さっきから、耳とか、しっぽとか。神様だとか。高三にもなって、小宮君は子供っぽすぎ。神様なんているはずないでしょ」
きっぱりと言い切った日下先輩に、小宮先輩は目を丸くする。
私も香奈もおそらく同じような反応をしていただろう。
目の前にいた少女から突如、耳やしっぽが生え、飛び掛かられる一歩手前だったのに、未だに日下先輩は信じていないのか。手品か、特殊メイクとでも思っているのだろうか。
「えっ、もしかして……」
彰が何かに気づいた様子で、子狐様の隣に移動し、その手を取った。
子狐様が反応できず、無抵抗なのを良い事に、その手を持ち上げる。片手だけ万歳の姿勢を子狐様にとらせた彰は、真剣な表情で日下先輩へと振り返った。
「僕が掴んでる子見えます?」
日下先輩は、顔をしかめて、
「……空中を掴んで、パントマイムの練習ですか」
と、言い切った。
「まさか、見えてないの!?」
やっと事態を飲み込んだ私は叫ぶ。
私の叫びで、遅れて香奈も小宮先輩も気付いたらしく、同時に「えぇ!?」と叫んだ。
子狐様ですら予想外の展開だったのか、目を見開いて唖然としている。
日下先輩は、混乱した様子で、私たちを順番に見まわす。最期に彰へと視線を向けると、彰が高く持ち上げた手をじっと見つめて、信じられないといった様子でつぶやいた。
「そ、そこに何かいる……? ウソでしょ……」
今なお、半信半疑の日下先輩を見て、彰は額を手で押さえ、深く息を吐き出した。
「こんな、欠片も見るセンスない人初めて見た……」
欠片も認識されていなかった。そう気付いた子狐様の耳としっぽが、悲しそうに下をむく。
忘れられかけた神様の哀愁ある姿に、私と香奈は見ていられず、子狐様のもとへと駆け出したのだった。
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