四話 危ない先生と不審な男たち
4-1 謎の助っ人
次の日の放課後、正面坂のふもとで香奈と待っていると小宮先輩が少し遅れて坂を下りてきた。
学校にたどり着くまでに横たわる長い坂は、上りもつらいが下りもつらい。下りの方が疲れるのだと登山を趣味とする人に聞いたことがあるが、高校に入ってから実感した。
放っておくと前に倒れそうになる体重のバランスを保ちながら歩くというのは思ったよりも神経を使うし、疲れる。
合流した小宮先輩の息が上がっているのは、普通に歩くだけでも辛い坂を走りに近いスピードで降りてきたためだろう。私たちを待たせてはいけないという思いもあっただろうが、早く友里恵ちゃんを見つけたいという強い想いの結果に思える。
荒い息を整えて、「遅くなってごめんね」と笑う小宮先輩はまさしくイケメンだ。
走ってきたことでかすかに汗ばん姿が、イケメン度を加速させている。普通の女子ならノックアウトだろう。
「そんなに急いで来なくてもよかったんですよ」
ポケットからハンカチを出して小宮先輩に渡す香奈。さりげない女子力の高さがうかがえて、私は密かに唸った。よく知る幼馴染が女子という別の生物に見えてきた。私も同じ女子なのにこの差は何だろうか。
小宮先輩は香奈が差し出したハンカチを驚いた様子で受け取った後、さわやかな顔で笑った。「後で返すね」とポケットに入れるしぐさはスマートだ。洗って返すのか、新しいものを買って返すのかは分からないが、こちらもイケメン力が高かった。
君たちは付き合えば一番平和なんじゃと思ったが、お互いにそういう意思は一切ない。香奈も小宮先輩も完全に素。他意はないし、下心もない。
だからこそ、香奈もひそかに男子人気が上がっているし、小宮先輩はモテるのだろう。それだけに複雑な気持ちになる。
香奈に至ってはオカルトにしか興味がないし、小宮先輩は現在猫にしか興味がない。つくづく残念な二人である。
「小宮先輩、変わったことはありませんでしたか?」
友里恵ちゃんを探す行動を起こしたばかりだ。小宮先輩の事を調べている人間がいると分かった今、相手が何かしらの行動をとってもおかしくない。
何かあったらすぐに連絡してほしい。とは言っていたが、小宮先輩は私も香奈も後輩女子と見ている。連絡せずに自分で何とかしようとする可能性が高いと私は踏んでいた。
「何もなかったよ」
本当に何もなかったらしく、あっさり答える小宮先輩に私は安堵する。
小宮先輩の良い所は彰と違って分かりやすい所だ。何もないといえばないし、仮に嘘をついたとしてもすぐに分かる。それほどに言動が分かりやすい。
「ところで、今日は新しい助っ人がくるって聞いてたんだけど……」
小宮先輩はきょろきょろとあたりを見回した。
急いできたのは新たな助っ人が着ているかもしれないと焦ったのかもしれない。小宮先輩の性格からいって人を待たせて堂々としていられないのだろう。
「私もくるって聞いてたんですけど……」
「どんな人が来るかは分からないんですよね」
私と香奈のあいまいな返答に小宮先輩がきょとんとした。助っ人と私から連絡が来たから、私たちが知らないということに驚いたのだろう。
「私たちの知り合いというか彰君の知り合いなんですよ」
「佐藤君の……」
私の言葉に小宮先輩は納得半分、困惑半分といった様子だ。
気持ちは分かる。彰なら助っ人ぐらい簡単に用意できそうだという気持ちと、いや、どういう人脈だよと突っ込みたくなる気持ちが半々なのだろう。今の私と同じだ。
「昨日も思ったけど、佐藤君って何者なの……?」
真剣な表情で聞いてくる先輩に私と香奈は顔を見合わせた。
幼馴染設定で通しているので「分かりません」って返答はできないが、実際分からないし適当なことを言って辻褄が会わないのも困る。
「……一言では言い表せない感じの……」
「底が知れないやつです」
結局、答えにもなってない曖昧な返答だったが小宮先輩は納得したようだった。「ミステリアスだよねえ」と楽し気に笑う姿を見て、それで片づけていいのかと突っ込みたくなったが、言えるはずもない。
「佐藤君は今日も来ないの?」
「ストーカー相手を特定するのに忙しいみたいで」
私がいうと小宮先輩は少し残念そうに「そっか」といった。
同じストーカー被害者だけあって話たいことがあったのかもしれないし、学校一の美少年に興味があったのかもしれない。理由は分からないが、彰に対して悪い感情を持っていないのは確かだろう。
それだけに申し訳ない。
たしかに調べものに忙しいというのも嘘ではない。今日は一日誰かと休み時間ごとに連絡を取っていたし、時間がないのも事実だろう。それ以上に、小宮先輩と一緒だと猫をかぶり続けなくちゃいけないから面倒だと彰が言っていたのも真実だ。
昼休みにその発言を聞いて私と香奈の表情が引きつったのも仕方ない。
「彰君は来ないけど、頼りがいがあるし、猫を探すなら適任な助っ人だって言ってましたよ」
小宮先輩の不安を解こうと香奈が口を開く。人見知りの香奈にしては珍しく、小宮先輩と打ち解けるのが早い。やはり二人の雰囲気が似ているせいだろうか。
「猫を探す適任……どんな人なんだろう」
小宮先輩のつぶやきを聞いて私も考える。
猫好きの猫をたくさん飼っている女性。はたまた、猫を研究するのに生涯をかける教授。
どっちもふざけた想像だが、彰が紹介する人物となるとふざけた人間が出てきても不思議じゃない。ここでいたって普通のサラリーマン男性なんかが出てきた方が驚く。
いや、意外性としては抜群?
思考が脱線してきて、脳内一人大喜利が始まったところで、私たちに近づく人の気配がした。ストーカーかもしれないという危機感で私は慌てて振り返り、その人物を視界にいれた瞬間、硬直した。
「百合先生!?」
振り返った先にいたのはうちの学校の生徒指導担当、佐藤百合。
何かと話題に事欠かない先生だが、最近では学校一の美少年の叔父という新たな話題を手に入れ、本人は凶悪な顔をさらにゆがめていた。
そんな百合先生だが、学校以外で百合先生を見るのは初めてだ。
しかも、いつも来ているワイシャツにスラックスというギリギリ堅気に見える姿とは違い、私服のラフな格好。
それだけに迫力がすさまじい。Tシャツにデニムパンツという普通の恰好だというのに、学校で見るときよりもヤクザ感が上がっている。しかも顔にはサングラスだ。なぜ、それをチョイスした! と叫びだしたいくらいには似合っていた。
一般人ではなく、ヤクザとして。
「何で百合先生が」
服装について突っ込みたいが、それをいったら機嫌が悪くなるのは分かるのであたりさわりのない疑問を口にする。
ちょっと不自然な間があったのも、声が震えているのも勘弁してもらいたい。
「何でって、彰から聞いてないのか?」
ゆったりとした動作で私たちに近づいてきた百合先生に、小宮先輩と香奈が後ずさる。おそらくは無意識だ。それに百合先生は眉を上げるが、何も言わない。怒ったというよりは傷ついたように見えて、私は内心百合先生に同情する。
見た目は怖いが、この先生はいい人なのである。
「彰君から?」
「お前らの猫探し手伝えって言われたから、仕事終わらせて来たんだけどな」
不機嫌そうにいう百合先生に私の目が点になった。
「……彰君が言ってた助っ人って百合先生?」
私の言葉に百合先生はうなずいた。冗談を言っている雰囲気はない。
「百合先生、猫探せるんですか?」
恐怖よりも好奇心が勝ったらしい香奈が驚いた顔で百合先生に詰め寄る。突然近づいてきた香奈に百合先生がうろたえたのが分かった。
「ああ、猫探しなら特技といっていいくらいに得意だぞ」
うろたえてもすぐに平静を取り戻すのはさすが先生といったところだが、猫探しが得意ってなんだ。
私が顔をしかめていると、香奈と同じく怯えていた小宮先輩の目が輝きだした。猫好きな小宮先輩からすれば、好きな猫を探せる百合先生は神様のように見えるのかもしれない。
実際、これで友里恵ちゃんを探せたならば小宮先輩の中では神に昇格間違いない。
「百合先生が猫好きだとは意外です……」
昨日、彰が楽しそうにしていたわりに助っ人について話さなかった理由が分かった。これは話さず、リアクションを見た方が楽しい案件だ。私たちが驚く姿を想像したから昼も機嫌も良かったのだろう。性悪め。
「いや、猫好きなわけではないぞ」
私の質問とも独り言ともいえない言葉に百合先生は平然と返した。
驚いて顔を見上げる。
女子にしては高身長な私よりも身長が高い百合先生は声のトーンと同じく至って普通の態度だ。だからこそ、からかっているのではないと分かって混乱する。
「猫は構われ過ぎんのは嫌いだ。猫嫌いの方が逆に好かれるって話もあんだろ」
「それは聞いたことありますけど……。好きじゃないのに探すの理由って何ですか?」
私の言葉に百合先生は遠い目をした。
「俺が猫好きなんじゃなくて、俺の妹が猫好きだったんだよ」
大事な思い出をかみしめるみたいに囁かれた言葉は優しくて、私は自分の耳を疑いそうになる。
ヤクザだ。鬼だと恐れられている百合先生がこんなに優しい声を出すなんて想像もしていなかった。ほんの一瞬だけ浮かんだ笑みは声と同じく優しいもので、あまりのギャップに叫びそうになる。
同時に、それ以上何も聞けなくなった。
妹といった瞬間幸せそうに笑っていたのに、次の瞬間には苦々しいものに変わったところまで見てしまったから。
百合先生の妹。それはもしかしなくても彰の母親なのだろうか。
彰と百合先生の関係は叔父と甥だ。私の想像はおそらく間違っていないだろうが、それを確認するために問いかける度胸はなかった。
何故かと言われれば分からない。
誰に対しても強気で、いつも鬼みたいな顔をしている百合先生が柔らかく笑ったせいか。妹と口にした後の苦々しい表情が、辛そうに見えたせいか。踏み込んではいけない一線を勝手に感じてしまったせいか。
昨日、彰が見せた頼りない姿を思い出す。アイツ。と呟いていたのは母親のことではないだろう。彰はああ見えて育ちが良い。食前、食後の挨拶はちゃんとするし、掃除もマメだし、服装だって気を遣う。言動は意外と男らしいが、荒っぽくはない。
そんな彰が母親のことを「アイツ」とは呼ばないだろう。となれば「アイツ」は母親ではなく別の誰か。
そうなると余計にややこしい。同一人物であれば母親と彰が何かしらの問題があるのだろうと察せられるのに、それとは別の問題もあるのだと百合先生を見て分かってしまった。
家庭の事情で学校に来れなかった。
そう、何度も口にした彰を思い出す。
辻褄合わせの適当な嘘だろうと聞き流していたが、あれは真実だったのではないか。彰は何も嘘をいっていなかったのではないか。
学校に普通にこれなかったのも。猫をかぶり続けなければいけないのも。多重人格のように性格を変えて見せるのも。全ては家庭の事情のせいなのではないか。
そこまで考えて私は頭を振った。
すべては私の勝手な想像で、妄想だ。佐藤彰というイレギュラーにたいして、困惑した私が無理やり納得いく理由を作り出そうとしだだけの話だ。
そう思うのに。そう思いたいのに、思えないのは何故だろう。
理屈ではなく本能的部分が、真実に近いと告げている気がする。
「香月どうした。ぼーっとして」
考え事に没頭している私の顔を百合先生がのぞき込む。
凶悪だ、極悪だと思っている顔が近くにあるが、気遣わし気に眉が下がった姿を見ると怖いとは思えない。
先ほどの柔らかい笑みを見てしまうと余計にだ。
「……何でもないです」
「そうか……」
視線を逸らす私に視界の端で百合先生が困った顔をしたのが分かった。
「ごめんな。香月。彰は気に入った相手は虐めたがる性格だから、大変だろ」
「……小学生ですか」
あの嫌味たっぷりな言動と、ニヤニヤ笑いは気に入った故の行動だったの? ウソだろ。と先ほどとは違う混乱で頭がいっぱいになる。
「変なとこ、俺に似ちゃったみたいだなあ」
「百合先生も、好きな子虐めちゃうタイプなんですか……」
だとしたら本当に困った遺伝である。しかも、百合先生の凶悪顔でされたら洒落にならない。相手は夢に見るレベルで怯えるだろう。
「おかげで、好きな子には数メートルも近づけなかった。逃げられる」
「そりゃそうでしょうね……」
思い出したのか肩を落とす百合先生を見て笑う。怖い、怖いと思っていたが今日だけで人間らしいところを幾つも見て、勝手に距離が縮まった気がする。
「自分が悪いとは分かってても、性分ってのはなかなか治んないだよなあ」
ガシガシと頭をかいて百合先生はため息をついた。
香奈のオカルト大好きっぷりを見ていると分かる。香奈の場合治す気もないだろうが、あれを治すのはもう無理だ。不治の病とあきらめるしかないと私は最近開き直っていた。
「だからな、許せとは言わないしやり返していいから、気に入られてるってことだけは知っといてくれ」
そういって百合先生は私の頭を乱暴に撫でた。
人に撫でられるなんて小学校低学年以来だ。私の思考が停止する。動き出したら今度は恥ずかしさやら、いたたまれなさで顔が赤くなるのが分かった。
「先生……セクハラ……」
「おい、小宮。後で職員室来いよ」
私たちのやり取りを見ていたらしい小宮先輩の言葉に百合先生が低い声を出す。途端に後ずさる小宮先輩を見て、百合先生は楽し気だ。あれは怯えているのを見て楽しんでいる顔だ。どSか。
「七海ちゃん、大丈夫?」
冷静に状況を見つつも顔の赤みは取れずに慌てていると香奈が私の顔を覗き込む。
熱を帯びた頬を両手で包み込んでくれる香奈の手がひんやりしてちょうどいい。
「大丈夫……予想外のことにびっくりしただけ」
「七海ちゃん撫でられる人なんてそういないもんね」
そう、ほわほわと笑う香奈は嬉しそうだ。「よかったね」と続く香奈の声に引いた熱がぶり返し、さらに頬が赤くなるのを感じた。
「……あいつはフォローしにいったんじゃないか。止めさしてどうする」
百合先生の呆れた言葉に私は内心で激しく同意した。
これだから、天然は困るんだ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます