2-7 想いを助ける

「行動範囲を見る限り、このあたりの子じゃない可能性が高いですね」

 地図に書き込まれたストーカー目撃場所の分布を見ながら彰は腕を組んだ。


「何でそう思うの?」

「場所が小宮先輩の家周辺と、駅の近くに集中しています」


 彰の言葉に改めて地図を確認すると確かにその通りだ。

 ばらつきはあるもののストーカー相手の目撃場所はおおむね駅と自宅周辺で、学校に至ってはほとんどない。


 小宮先輩の話によると太った相手らしいから、長い坂を上らなければいけないうち学校は安全地帯になったようだ。実際、山の下あたりでは目撃情報が多い。登りはせずに下で待ち伏せしていたのだろう。


「毎回上ってきたら丸太から枝くらいになれたかもしれないの」

 ぼそりとつぶやく彰の言葉が辛辣だ。辛辣だが、確かにと思ってしまうのは私も体育会系だからだろうか。


 高校に入ってからは帰宅部だが、中学の時は女子にしては高い身長を生かしてバスケ部だった。

 悲しいことに同性のファンが大量にできてしまい、運動することの爽快感よりも苦痛が増えて途中で止めてしまったのだが。その後も付きまとわれ続けて嫌になり、今はこうして地元から離れ学校で部活には参加せずのんびり生活している。


 そう考えると私も軽くストーカー被害にあっていたといえるのかもしれない。

 彰に私に小宮先輩。類は友を呼ぶという言葉があるが全く嬉しくない話だ。


「ストーカーが来る時間って、だいたい夕方から夜にかけてですか?」

「朝からいるときもあったけど、平日はだいたいはそうかな」

「学校終わってからわざわざ来てたってこと?」


 意外と律儀だなと少しだけストーカーの印象が上がってしまって私は慌ててた。

 印象がマイナスだと当たり前のことでも好印象に見えてしまうという恐ろしい作用だ。冷静に考えたら学校に通うのは当たり前だし、見知らぬ人に付きまとわないのが正常だ。


「ってなると電車で通える距離に住んでるってことですね」

 彰がそういいながら携帯を取り出して操作している。近くの駅名を検索しているのかもしれない。


「まずは、ストーカー相手の名前と学校、自宅の住所を特定するために調べようと思います」

 彰は携帯を操作する手をいったん止め、小宮先輩の目を見て宣言した。


「相手を調べる?」


 小宮先輩は目を見開いて彰を見ている。

 小宮先輩からすれば付きまとわれて、できるだけ視界にも入れたくなかった相手だ。その相手を知ろうという彰に驚いている。

 私も正直驚いた。小宮先輩を守るとか、相手が近づいて来たら取り押さえる。説得する。ということは考えていたが、先に調べようという考えはなかった。


「ストーカー被害で問題になってくるのは、向こうが一方的にこちらを知っていることです。住所、氏名、家族関係、生活サイクル。すべてを向こうが一方的に知っていて、被害者である僕らは相手の名前、容姿すら知らないことも多い」


 彰の言葉に私は言われてみればと納得した。


「被害者というものは恐怖から加害者を知ることを避けたがる傾向があります。証拠となるものも見たくない、気持ち悪いという思考から処分してしまい、被害を証明できないこともあります」


 彰の淡々とした説明に私たちは聞き惚れた。

 小宮先輩は覚えがあるのか、口元に手をおいて眉を寄せている。実際に送られてきた手紙や写真を捨ててしまったのかもしれない。


 犯罪を立証することを考えれば悪手だ。

 今は物に付着したちょっとしたものから犯人を特定することができるという。そうなると犯人が直筆で書いた手紙というものは証拠の山。


 だが、気味の悪いもの、恐ろしいものを遠ざけたい。見たくないというのも人間の当たり前の感情だ。被害者の立場であれば、追い詰められていればいるほど冷静な判断はできなくなる。

 小宮先輩が犯人につながる物理証拠を処分してしまっても、それは責められることではない。すべては加害者である犯人が悪いのだ。


「だからこそ、相手を逆に特定してしまうことは有効です。それによって被害者と加害者の立場はイーブンになります。一方的に向こうがこちらを知っているという状況が変われば、手はいくらでも立てられます」


 彰は場違いなほどきれいな笑顔でいう。

 小宮先輩がいるからよそ行き用の笑顔だが、香奈と私だけだったらあくどい笑みを浮かべていただろう。先ほどから独り言以外は敬語でしゃべっているのも小宮先輩に対して礼儀正しい後輩イメージを定着させるためだ。

 怪奇現象は物理で殴るというのに、対人に関しては妙に細やかなのが不思議だ。


「特定するといっても、俺が知ってるのは遠目に見た外見だけだし」


 茶髪、太っている。おそらくは高校生。このあたりの学校ではない。

 相手に対して知っていることはこのくらい。確かにこれだけで名前や住所を特定することは難しい。


「すぐとはいかないでしょうね。でも、出来ないことはないです」


 彰はそういって自信満々に笑う。

 綺麗な笑みに根拠なんて何もないのに安心してしまいそうになる。

 付き合いは短いが今まで佐藤彰という人間を見ていると、彰が断言したのだからできるのだろうと妙な確信がわく。


「本当に?」


 彰と出会ったばかりの小宮先輩は素直に受け入れることができないらしく不安そうだ。小宮先輩は自分の事だし、変に犯人を刺激することによって二次被害が出る可能性もある。それを考えれば楽観視はできないのだろう。


「先輩、僕は何度もストーカー被害にあっています。ですが、全て解決してきました」


 笑みを消し、真剣な表情で彰が小宮先輩をじっと見つめる。

 今まで解決してきた。その言葉に小宮先輩の不安が期待へと変わるのを感じた。


「おじさんの協力もそうですが、個人情報を調べることが得意な伝手があるんですよ」


 彰は今度は安心させるように柔らかな笑みを浮かべる。

 笑顔だけ見たら騙されそうになるが、言っている内容は少しも安心できない。

 個人情報を調べることが得意な伝手ってなんだ。普通の高校生には縁がないものだろ。


「安心してください。僕の方で犯人については調べておきます」

「本当に?」


 不安と期待が入り混じった表情で小宮先輩が彰を見つめる。彰はその視線を真っすぐに、漏らすことなく受け止め、変わらぬ笑みを浮かべてうなずいた。

 この瞬間、小宮先輩にとって彰は本当に救いの神に見えたことだろう。

 

 彰の本性を知っている私はほかに裏があるのではと勘繰ってしまう。

 彰と出会ってから私の思考回路はどうにも純粋さからかけ離れてしまったように思う。これもそれも、全ては常識外れの行動を繰り返す彰のせいだから仕方ない。彰が悪い。


「犯人については僕に任せてください。だから、先輩やナナちゃん、カナちゃんについてはもう一つの方をお願いしたいんです」

「もう一つ?」


 私が首をかしげると彰が呆れた視線を向けてきた。

 忘れるとかどういう神経してんの。とでも言いたげな表情にムッとするが実際忘れているので言い返せない。

 隣の香奈も「なんだっけ?」という顔をしているというのに、私だけ貶されるのはどういうことだ。これはあからさまな贔屓じゃないだろうか。


「小宮先輩が祠にお願いをしたのは、大事な子がいなくなったからですよね?」


 確認するように彰が問いかけると小宮先輩が青ざめる。

 先ほどまでの落ち着いた様子が嘘のように、視線が揺れ、見ているだけでも痛いほど両手を握り締める。


 小宮先輩の反応を見て、そういえばそうだったと思ってしまった私は薄情かもしれない。反省するが、聞いていたストーカーの印象がすごすぎて頭から飛んでいたと言い訳させてもらいたい。


「小宮先輩、大事な子っていうのは……」


 香奈が恐る恐るといった様子で声をかける。恐ろしい事実が小宮先輩から告げられることを怖がっているようだ。

 私も怖い。今まで以上に衝撃的な事実が語られることだってありえるのだ。


「ストーカー被害にあって、精神的にギリギリだった俺を癒してくれた子なんだ」

 小宮先輩は下を見つめて、苦し気な声でそういった。


「被害にあっていたときは、皆が敵に見えて、ずっと見張られている気がして、気が休まる時なんてなかった。怖くて仕方ないのに、親に相談しても気にするなって流されて、友達もそのうち収まるよってそれだけで、警察に相談しても何かあったら連絡してくださいとしか言われなくて」


 小宮先輩は自身の体を抱きしめて小さくなった。

 香奈が小宮先輩の隣に移動して、震えて小さくなった体をなでる。

 

「どうしていいか分からなくて。ただ怖くて。もしかして俺が悪いんじゃないかって気がしてきて、本当に限界だって時にあの子に会ったんだ」


 震えながら語っていた小宮先輩が「あの子」と口にした瞬間に穏やかな表情になる。それだけで小宮先輩にとって本当に大切な癒しの存在なのだと分かった。


「理想の存在だった。俺の不安を全部受け止めてくれて、側にいてくれて、癒してくれて。かわいくて、小さくて、この子のために自分も強くなろう、立ち向かおうって思えたんだ」


 相手の事を語る小宮先輩は聞いているだけでも恥ずかしくなるほど愛にあふれていた。それだけの存在に出会えるなんて奇跡みたいに思える。

 しかも、どん底に沈んだときに救いのように出会ったのだ。これが奇跡でなければ何が奇跡なのか問いただしたくなる。


「それからしばらくしたらストーカーに付きまとわれることもなくなって、本当にあの子は自分を救ってくれる存在なんだって。一生大事にしなくちゃって」


 小宮先輩はそこで言葉を区切って泣きそうな顔をした。

 先ほどまで幸せいっぱいに語っていた姿とは真逆な様子に、私は何と声をかけていいか分からない。


「それなのに……一週間前から急にあの子に会えなくなったんだ」


 香奈がいたわるように小宮先輩の背をなでた。彰は無言で小宮先輩を見つめている。何かを考えているようにも見えるが、何を考えているのかは私にはわからない。


「その子の名前は何ていうんですか?」

友里恵ゆりえっていって……。いつも近所の公園で会ってた」


 私は開きっぱなしになっていた地図を見る。

 小宮先輩の家のすぐ近くに小さな公園があるのが分かった。そこでいつも彼女に会って、不安と恐怖を癒してもらっていたんだろう。


「友里恵さんとは連絡はとれませんか?」


 彰の言葉に小宮先輩は虚をつかれた顔をした。それから彰の顔をじっと見て、言葉の真理を探るように目を細める。その反応の意味が分からずに私は困惑するが、彰も分からないようでかすかに眉を寄せた。


「……とれたらいいけど……」


 しばし間をおいてから小宮先輩は目を伏せ泣きそうな顔でそういった。悲しそうな表情から連絡はとれなかったことが察せられる。連絡が取れない状態なのか、意図的にとっていないのか。それは今の状況ではわからない。

 小宮先輩には酷だが後者であればいいと思う。前者なら友里恵さんは連絡のとれない危険な状況にあるということだ。


「友里恵さんの住んでいる場所は?」

「いつも公園にいったら会えたから、どこにいるのかは……」

「友里恵さんについて分かることって?」

「とっても可愛くて、小さくて、白くて、アイスクリームが好きなんです」


 小宮先輩の言葉から私は友里恵さんの容姿を想像する。

 いつも公園にいる、小柄で可愛く色白な女性。小宮先輩の不安を取り除いてくれる癒しの雰囲気と共に優しさも兼ねそろえていそうだ。ストーカーにまとわりつかれる小宮先輩の相談に乗っていたとすれば、きっと年上。それでいてアイスクリーム好きという女の子らしく、年上女性としてはかわいらしい趣向も合わさるなんて恐ろしい。


 何それ本当に理想の存在じゃないかと私は震えた。小宮先輩がここまでべた惚れして心配してしまうのもうなずける。

 私が男だったら迷わず告白する。


「公園以外であったことは?」

「ない。公園にいったら会えるし、そこで会えばいいかと思って……」


 そう言いながら小宮先輩な泣きそうな顔をする。

 もっと積極的に相手のことを聞いていればと後悔しているのだろう。きっと小宮先輩は会えるだけで満足していたのだ。

 ストーカーに付きまとわれていることもあって、親しくすることに恐怖もあったのかもしれない。大事な人にまでストーカーの魔の手が及ぶことを考えたら、行動が弱気になるのも仕方ない。


「どこにいるんだろう……」


 震える声でつぶやく小宮先輩に私まで泣きそうになった。

 たった一人でストーカーの恐怖に耐えていた小宮先輩を支え、助けてくれた心優しい女性。

 小宮先輩にとって恩人であり、同時に恋人でもある存在が危険な目にあっているかもしれない。というのに自分は何もできずにいる。その事実が恐怖を抱かせ、己の無力さに絶望した小宮先輩はどうしていいのか分からないのだろう。


「……友里恵さんのこともなるべく調べてみるけど、情報が足りなすぎますね……。公園にいつもいたなら小宮先輩以外の知り合いもいるかもしれません」


 彰の言葉に小宮先輩は勢いよく顔を上げた。

 焦りと不安のあまり、そういった考えも思い浮かばなかったらしい。


「一週間連絡がとれないならのんびりしている時間はありません。放課後にでもカナちゃんとナナちゃんは小宮先輩と一緒に公園いって聞き込みに」


 彰が私と香奈の顔を順番に見る。任せてという気持ちでうなずくと満足げに彰は笑みを浮かべ、最後に「それでいいですよね?」という確認も込めて小宮先輩へと視線を向ける。


「お願いします。友里恵を探すのを手伝ってください」


 真剣な表情でそう告げて頭を下げる小宮先輩に彰は自信満々の笑みを浮かべた。

 すべて上手くいく。僕の手にかかれば何の問題もない。そう告げているような、実際そう思っているであろう笑顔で答える。


「もちろんです。僕はお狐様に頼まれましたから」


 あーそういえば、そういう設定だった。

 彰の発言に私は事の発端を思い出し、すっかり忘れていた事実を子狐ちゃんに向け心の中で謝った。

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