2-5 事情聴取

 ひとしきりないた小宮先輩は目元を赤くして、恥ずかしい所見せちゃったね。と照れた様子で笑った。

 先輩の笑みは先ほどに比べスッキリして見えて、付き物が落ちたようだ。相談できることに安心しているようにも見える。

 それに気づいた瞬間、怒りがふつふつと湧き上がる。


 私たちと小宮先輩は初対面だ。普通の生活を送っていたら話すきっかけもなく、お互い存在すら知らないままに卒業した。

 というのに小宮先輩は初対面の、関わる機会すらなかった私たちに涙を見せ、心底安堵している。普通であればありえない状況を作り上げたのは小宮先輩を追い込んだストーカーだ。


 こんな優しい人をここまで追い詰めて何がしたいんだろう。


 こぶしを握り締める私を彰がチラリと見る。かすかに眉を寄せたのは私を心配しているようにも見えるが、私の都合の良い解釈かもしれない。


「詳しい話を聞かせていただいてもいいですか?」


 彰は小宮先輩に向き直ると、笑みを浮かべて座るようにと手で示した。

 その動作に従って私と香奈が座り、小宮先輩も戸惑いを浮かべつつも座る。最後に彰が小宮先輩の隣に腰をおろした。


 屋上のコンクリートの上はお世辞にも座り心地が良いとは言えない。

 それでも場所を移そうという話にならないのは誰にも見つからない、部外者に話を聞かれない場所というのが学校の中では思いのほか少ないためだ。

 しかも、とっくに休憩時間が終わって授業が始まっている状況。生徒に見つかる心配はないが、先生に見つかったらお説教コースは免れない。この場にとどまることが最善策なのは皆口に出さずとも分かっている。


 小宮先輩は何から話したものかと考えているようで視線が下を向いたまま。教室で見せていた人の好い表情はこわばっていた。

 香奈は緊張した面持ちで小宮先輩を見つめているし、彰に至っては先ほどの演技が嘘のように無表情だ。

 子狐様の無表情とは違った意味で怖いな。とひそかに思いつつ、私は小宮先輩が口を開くのを待った。


「一番最初は去年の夏くらい。誰かに見られている気がするな。程度のものだったんだ」


 嫌な記憶を思い出しているせいか小宮先輩の口調は固い。顔は青白く、手はかすかにふるえている。

 その姿を見れば未だに傷は癒えていないのだと分かってしまう。それだけにこうして話させることに罪悪感を感じ、小宮先輩の言葉を遮ろうと口を開く。

 が、それよりも一瞬早く、隣で黙って聞いていた彰が小宮先輩の手を握った。


 その反応に驚いたのは私以上に、何の前触れもなく手を握られた小宮先輩だろう。

 驚いた顔をして小宮先輩は彰を見上げる。彰は何も言わずにじっと小宮先輩を見つめ返し、それからゆっくりと頷いた。


 大丈夫だと言葉はなくとも表情が、態度が告げている。

 見ているだけの私にも伝わったのだから、至近距離で手を握られている小宮先輩には十分だ。体の震えが収まって、こわばる身体の緊張をほぐすように息を吐き出した。


 小宮先輩から緊張が抜けたのを見て彰は微笑むとそっと手を放す。その時浮かべた表情が先ほどまでの演技とは違い、素の本当に安心したような、柔らかいものだったから私はいたたまれなくなって目をそらした。


 何度も思うが、佐藤彰という人間は何がしたいんだろう。

 人を平気で傷つけるかと思えば、優しさを見せたりする。いったい何を思って、何を目的に行動しているのか私には理解できる気がしない。


「嫌だったら無理に話さなくても……」


 状況を見守っていた香奈が小宮先輩を心配そうに見つめる。小宮先輩はそれに対して弱々しいが確かに笑みを浮かべて頭を左右に振った。


「いや、俺が言わないと詳しいことが分からないだろうから」


 そういう小宮先輩の声は先ほどよりもしっかりしたもので、彰の態度が先輩を勇気づけたのだと分かる。

 分かるだけに私は再び何とも言えない気持ちになって、彰と小宮先輩を交互に見つめた。彰は無表情に戻っているし、小宮先輩は決意はしたものの言葉を整理することでいっぱいいっぱいのようだ。


「……相手って知り合いだったんですか?」


 質問に答える方が話やすいかと聞けば小宮先輩は顔を上げた。ホッとした様子を見るに私の行動は間違っていなかったらしい。隣に座った彰も「たまにはやるね」と口の端をあげている。

 彰の表情から内心を察せられるようになってきた事実が複雑だ。


「それが全く知らない子なんだ。名前も分からないし、どこで会ったのかも覚えてない」

「一方的に向こうが知ってるパターンですね」


 あるある。と頷く彰に私は引きつった笑みを浮かべた。

 そんなあるある聞きたくもないし、知りたくもなかった。


「経験からいうと一目ぼれされたか、小宮先輩が覚えていないレベルの些細な接触から執着されたかのどちらかの可能性が高いと思います」

「経験って……」

「僕もストーカー被害には何度もあってるので」

「何度も……!?」


 平然という彰に小宮先輩は信じられないものを見る目を向けた。しばし唖然と彰を見てから、私と香奈に視線を移す。


「そうみたいです……」

「えっと、百合先生が毎回何とかしてくれてて……」


 百合先生の話を出すと小宮先輩は納得した様子を見せた。

 百合先生は三年担当だから私たちよりも小宮先輩たちの方が百合先生との接触は多い。最高学年ということもあって付き合いも長い。百合先生の恐ろしさは身に染みているのだろう。あまりにもあっさり納得する姿に百合先生のイメージが悪い方向で定着しているのだなと苦笑する。


 実は百合先生が何とかしてくれているなんて嘘で、隣で人畜無害そうな顔をしている美少年が一人で暴行から恐喝まで行っているんですよ。といったら小宮先輩はどう思うだろうか。

 言っても信じてもらえなさそうだし、ややこしくなるから言わないが。


「外見はわかるんですよね?」

「……高校生だとは思う。このあたりじゃ見たことない制服の、髪は茶色で太った子」


 思い出すのも嫌といった様子で自分の体を抱いて震える小宮先輩を見て、私は心底同情した。


「茶髪のデブねえ……」


 おい、彰。確かにその通りだがストレートに言い過ぎだろう。相手はストーカーとはいえ女の子だぞと彰に非難の目を向ける。隣にいた小宮先輩は嫌な記憶を掘り起こす作業に集中していて、気づかなかったのが幸運か。

 猫かぶるなら完璧に被ってくれ! 見ている私がハラハラする!


「制服ってどんな感じか分かります?」


 香奈が聞くと小宮先輩が思い出せる限りの特徴を上げていく。香奈はそれを一つ一つ丁寧にメモして、彰がそのメモののぞき込み眉を寄せた。


「このあたりの学校ではないですね……」

「分かるの?」

「家庭の事情で周辺の学校については一通り調べたので」


 周辺の学校を調べなければいけない家庭の事情ってなんだと涼しい顔で答える彰に対して私の眉間に皺が寄る。

 こいつ、家庭の事情っていえば何でも許されると思ってないか。


「まずは相手の身元を把握しないとどうにもならないですね……。もっと詳しいこと分かりませんか」

「全く。怖くて逃げてたから……」


 女の子相手に逃げている自分が恥ずかしかったのか、小宮先輩の声は小さい。

 もしかしたら、そう非難されたこともあったのかもしれない。


「仕方ないですよ。いくら女の子といっても加害者に対して被害者は恐怖を覚えるものです。先輩の行動は当たり前なんですよ」


 小宮先輩を気遣って彰が優しい声で慰めた。小宮先輩が再び泣きそうな顔で彰を見て、その様子はカウンセラーの先生と患者のようだ。

 香奈も「そうですよ」と元気づけるように小宮先輩の行動を大げさに肯定する。

 自分の行動が認められて小宮先輩は涙目ながら安心した様子だった。


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