二話 不穏な手紙と噂
2-1 影の支配者?
一枚の願い事が書かれた手紙を中心に私、香奈、子狐様、彰は神妙な顔で座り込む。
香奈は落ち着きなくそわそわしているし、子狐様は無表情で正座、彰は腕を組んでじっと手紙を見つめ続けている。
息が詰まるような空気の中、私は再び手紙を読み、事の深刻さにうんざりした。
「警察いけってアドバイスしたい」
「身もふたもないね」
私の言葉に彰が手紙から目を離すことなくいう。
だが、否定しないあたり私の意見を認めているらしい。
「でも、ストーカーってなかなか警察動いてくれないって聞くよ」
「相手があからさまな犯罪行為に出ない限りね。後をつけるとか後ろからじっと見てる程度だと、何かあったら連絡してくれ。でおしまいだよ」
彰は相変わらず手紙から目を離さずにスラスラと答える。よどみない言葉は人から聞いたというよりは実感が伴っているように感じる。
「やけに詳しいね」
「実体験だからね」
さらりと答えられ私と香奈が同時に彰を見た。子狐様は彰の外見を上から下までじっくりと観察し
「その外見なら騙される人は多いでしょうね。騙された人も可哀想に」
と、なぜか彰ではなく付きまとった側に同情するようなことを言った。
「何で僕が加害者みたいになってるの。僕は被害者。付きまとわれたのも、私物盗まれたのも、盗撮されたのも、変な手紙送り付けられて嫌な気持ちになったのも全部僕です」
「思ったより悲惨な経験だった」
あっさり言うから大したことではないのかと思ったら予想外に大事だ。
たしかに彰の外見は人を惹きつける。中身を知らなければ小柄で可憐で、大人しそうな男子高校生。アブノーマルな趣味を持つ人からしたら恰好の的だろう。抵抗できるようにも(外見だけ見れば)見えない。
「彰君、変なことされなかった?」
香奈が彰の手を取って心配そうにのぞき込む。
子狐様の態度に不満そうだった彰は一瞬驚いた顔をしてから香奈の顔を見て破顔した。
心配してもらって嬉しかったと分かる反応に彰も普通の高校生なのだなと思う。彰を加害者扱いした子狐様はちょっと居心地が悪そうで、香奈は予想外の反応に真っ赤になっていた。
「全然大丈夫。住所特定して憂さ晴らしに殴って、これ以上僕に近づいたら社会的に抹消してやるからって脅してからは平和」
「やっぱりあんたの方が加害者だろ!」
笑顔で告げられた恐ろしい言葉に私は叫んだ。真っ赤になっていた香奈の顔は今や真っ青だ。
子狐様は一瞬でも反省した自分が恨めしいというように額に手を当てて深い息を吐き出した。
「悪い事したら相当の報いを受けるのは当然じゃない?
ああいうことするやつってのは繰り返すんだから、一生できないようなトラウマ植え付けるのが一番だよ。僕はどうしようもないクズの更生を手伝ったうえで、新たな被害者を未然に防いだわけ」
真っ当なことを言っているように聞こえるが行ったことは暴行と脅迫である。
いやでも、彰が言う通りきついお灸をすえなければ新たな被害者が出ていた可能性は捨てきれない? ってなると彰はいいことをしたのか? いや、でも……。
自分がおかしいのか彰がおかしいのか分からなくなってきて、頭の中ではてなマークがぐるぐる回る。頭を押さえて唸り始めた私を見て子狐様が同情的な視線を向けてきた。
「たしかにうっぷん晴らしも兼ねてたから、ちょぉっと過激だったけど、あくまで自分は被害者なんだから加害者に気を遣う必要なんてないんだよ。自分の身を守るっていうのが一番大切」
ちょっとという言葉に疑問しかないが彰がいうことは間違ってはいない。
「精神的にも相当まいるからねえ……。この人の場合それに加えて大事な人が危ないかもしれないんでしょ。さっさと手を打たないと大変なことになるかも」
改めて手紙を手に取って彰は真剣な顔をした。笑っているか小ばかにした顔が多い彰には珍しい表情に自然と周囲を包む空気が緊張する。
いつもよりも固い動作がふざけている場合ではないと語っていた。
「でも肝心の相手が誰か分からないのが……」
あくまで神様への願い事として入れられた手紙には送り主の名前が書かれていなかった。
考え見れば当たり前だ。神様へのお願いごとにわざわざ名前とクラスを書く人なんていない。
「名前とクラス書くようにって噂流しとけばよかったかなあ……でも、何でって変な勘繰りされちゃうよね」
彰が手紙をひらひらと振りながら眉間にしわを寄せる。
神様が願い主の名前とクラスを知りたいなんておかしな話だ。神様ならわかるものなんじゃないのかという疑惑がわくのもあるし、真剣な願いであればあるほど自分の素性は明かしたくない。
用もなくうろうろすると呪われるという噂は流したものの、悪戯の願い事が多い現状を見れば信じていない者が多いのが現実。
そんな中で名前とクラスなんて個人が特定できるものを書いていたら面白半分で見ない人がいないとも限らない。
真剣であればあるほどそうしたリスクを避けて祠に相談しなくなる。そうなると悪戯の願い事ばかりが増えて信仰者を増やすという私たちの目的は失敗する。
けれど、そもそも願い主が誰か分からなければ願いを叶えることも難しい。
「子狐様、送り主分からない?」
こうなったら神様パワーで何とかできないだろうかと子狐様を見ると眉間にしわを寄せてじっと手紙を凝視している。
しばらくそうして手紙を見続けた子狐様は最後に落胆したように肩を落として首を左右に振った。
「すみません」
「仕方ないよ。全盛期と違って弱ってるし」
申し訳なさそうに下を向く子狐様に対して彰はさらりと返す。フォローするつもりというよりはただ事実を口にしただけだろうが、子狐様は少しだけほっとした顔をした。
こういうところがあるから彰を本気で嫌えないのだと私は顔をしかめる。悪役になるのなら完全になり切ればいいのに彰は中途半端に根が甘い。
おそらく根がいいやつなので悪役になろうとしても素がにじみ出てしまうのだろう。じゃあ逆に何で悪ぶっているのかという疑問がわくが聞いたところで教えてくれないだろうし、気軽に聞けるような親しさはない。
佐藤彰という人間に対して私が知っている情報は本当に一部なのだと、こういうとき実感する。
「でも困ったなあ……聞き込みして大事になったら送り主に悪いし」
「百合先生知らないかな。生徒指導でしょ? 私たちよりは詳しいかも」
百合先生の話を出すと彰は、「そういえばいたなあ」と酷い事をいう。彰の中で百合先生という存在は限りなく薄いものらしい。
「おじさんに知られると動きにくくなりそうだから嫌なんだけど」
不満げに彰はいうがそれ以外に手がないなら仕方ないといった様子だ。
意外と百合先生は過保護らしく彰が学校に通うようになってからうちのクラスに顔を出す頻度が増した。
祠の話を聞いたことでうちのクラスは百合先生への免疫が1年の中ではついている。強面先生が強襲してきても気にしないどころか一部懐いている子もいるくらいだ。それが彰にとっては面白くないらしく百合先生が来るたびに盛大に顔をしかめる。
いつも笑顔の彰君が唯一嫌そうな顔をする相手が百合先生。
と周囲には言われているが性格には「猫をかぶっている彰君が唯一素で対応している相手」である。
「こっちで片づけるからお前ら黙ってろとかいわれそうだね」
「それじゃ意味ないんだけど……」
彰と私が唸っていると黙っていた香奈が口を開いた。
「……ねえ、手紙ちゃんと読ませてもらっていい?」
突然の申し出に驚いた顔をした彰だったがすぐに、いいよと手紙を差し出す。
香奈は手紙を受け取るとらしからぬ真剣な様子で穴が開くほど見つめる。
急に何だろうと私は戸惑ったが、彰と子狐様は期待した様子で香奈を見ている。いつもだったら集中した視線に慌てる香奈も気付かない。
「……送り主分かったかもしれない」
香奈のつぶやきに私たちは驚いた。
「ほんとに!?」
「うん。ストーカー被害にあってたって有名な先輩がいるんだけど、聞いた話とここに書かれてる話が一緒なの。だからもしかしたら」
「どこでそんな話聞いたの」
香奈と私はこの春入学したばかりで先輩との接点なんてない。
私は身長が高いのと運動神経がある方なので入学当初は部活の勧誘も受けたがすべてて丁重に断った。
香奈に至ってはそんなこともなかったし、そもそも極度の人見知りだ。話かけられても逃げてしまうレベルの人見知りが何で私以上に学校のことを知っているんだろう。
「また裏サイト?」
「ううん、寮母さんに聞いたの」
予想外の言葉に驚きつつも納得した。
そういえば香奈は昔から大人に好かれる子だった。近所に住む大人、とくにおじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられ歩いているだけで声をかけられ、お菓子を貰うのは地元では当たり前。
素直な大人しい性格とどんな話でも楽しそうに聞くから若者と話したいお年寄りにとって香奈という存在は孫のように思えたのだろう。同世代の友達は少なかったが可愛がってくれるおじいちゃん、おばあちゃんは沢山いたのだ。
香奈と一緒にいる私も香奈同様可愛がってもらって、こちらに来るときは香奈ちゃんをよろしくね。と散々頼まれた。
おじいちゃん、おばあちゃんは元気にしているだろうかと少しだけ地元が懐かしくなる。
休みには一度顔を見せに行った方がいいかもしれない。後で香奈にも相談しよう。
「カナちゃん寮母さんと仲いいの?」
察した私と違って香奈の年上キラーっぷりを知らない彰は目を丸くしている。香奈は彰の様子を気にせず満面の笑みでうなずいた。
何度か香奈と寮母さんが親し気に話していたところは見ている。大人に好かれる香奈だからさっそく仲良くなったのかとそれほど気にしていなかったが、笑顔を見るにずいぶん親しいようだ。
「カナちゃんってすごい情報網持ってるね。裏サイトも使いこなしてるし、寮母さんとも知り合いなんて」
「裏サイトはともかく寮母さんって何かあるの?」
女子寮の寮母さんを思い出す。
いつも人の好い笑顔を浮かべている私のお母さんと同世代くらいの女性。雰囲気が柔らかく嫌な顔一つせず話を聞いてくれるため女子寮でも好かれる存在だ。ただ滅多に怒らない分怒らせるととんでもなく怖いという不穏な噂も聞く。
「女子寮の寮母さんって教職員内じゃ一番権力持ってるんだってよ」
「えっ」
信じられない言葉に驚くと彰は神妙な顔をしており、香奈は苦笑を浮かべて目をそらした。彰はともかく香奈の反応は明らかに何かを知っている。若干冷や汗を流しているのを見ると何かを目撃したのかもしれない。
「おじさんも頭が上がらないってぼやいてたもん」
「百合先生が!?」
ヤクザも裸足で逃げ出す百合先生が大人し気な寮母さんに対して弱気など想像できない。できないが彰が無意味な嘘をつくとも思えないので事実なのだろう。
「寮に入ってる子って親元離れて遠くから来てる子が多いから、母親と同い年くらいの寮母さんに懐く人が多いんだって。
女子って言うのは噂好きでしょ。女子寮って異性の目がないから遠慮も自重もない女子トークが夜な夜な繰り広げられてるらしいよ」
彰の言葉に香奈はうなずいている。
そう言えば談話室に固まって噂話に花を咲かせる先輩や同級生の姿を何度もみた。その中にはいつも寮母さんの姿があったし輪の中心になっていたように思う。
「女の子っていうのは男に比べて周囲見てるし、観察も推察も妄想も得意だからね。1人でも厄介なのに複数人集まったら秘密なんてあってないようなもんだよ」
何か嫌な記憶でもあるのか彰の顔は引きつっていた。
面倒くさい、疲れる。といいながら彰が女子に対して猫をかぶり続けているのは女子の恐ろしさを知っているかららしい。
「その噂話の聞き役なのが寮母さんって話。
ここまで聞いたら分かるでしょ。女子寮の寮母さんっていうのはこの学校の事は知らないことはないってくらいの情報持ってるんだよ」
「こわ……」
今朝いつも通りの穏やかな笑顔で送り出してくれた寮母さんの姿が少しだけ恐ろしく思えて私の頬が引きつる。
「たしかに寮母さんは色んな話知ってるけど怖くないよ! 怒らせなきゃ秘密は絶対にばらさないから!」
私の引きつった顔を見て慌てて香奈が訂正してくるが、怒らせなきゃ。という情報のせいで全く安心できない。つまり怒らせてしまったら秘密は暴露されるということじゃないか。
「カナちゃんって寮母さんと仲いいの?」
「一週間に一回ぐらい寮母さんの部屋で2人で話してるから仲はいいと思うよ」
笑顔で楽しそうに告げる香奈に私の笑みがさらに引きつった。
談話室ではなく個人の部屋。完全なるプライベート空間に2人きりとなれば寮生の中でも特に可愛がられているのは明白だ。しかも週一。
「僕、カナちゃんに嫌われないようにしよ……」
真顔で彰がつぶやいたので私も小さく頷く。
学校一の後ろ盾を持ってしまった香奈に嫌われてしまったら悲惨な目にあうのは想像できる。なにしろ相手は百合先生ですら頭が上がらない人物だ。
私たちの反応に香奈と人の社会が分からない子狐様だけが不思議そうな顔をしていた。
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