Defender of Indigo dragon?

第1話 Defender of Indigo dragonⅠ

古代、龍が住んだと言われた土地に一人の男が訪れた。呪われているとされるその場所に、彼は座った。何日も何日も雨が降り、雷が落ちた。刺すような風が吹いたかと思えば突如雪が降り男を霜で覆った。すべての植物は枯れ、地が割れるほどの日照りが続いた。男は、座っていた。一ヶ月が経ち男はまだ座っていた。男は死んでいるのか生きているのかすら分からないほど襤褸切れのような姿になっていた。その間、男は眉一つ動かさなかったという。その日も台風の如し風が男を包む。その時、男が動いた。立ち上がった男の瞳と髪はかつてこの地にいた龍と同じ、水という表現では収まらない程の、そう言うなれば深海の淵の色とも呼ぶべき深い深い藍色になっていた。

「それが、ここワトの地の始まりの物語でしょ?前にご本で読んだわ。」

小さな少女が寝そべり、足をぱたぱたさせながら、優しく目を細める老婆に言った。老婆は答える。

「ええ、そうですよ。ここの民全ての始まりの男の話。」

「何故そのお話を今されたのですか?ばばさま。」

少女の単純な質問に、ばばさまと呼ばれた長い白髪を後ろできちんと結い、上品な服を着た背筋の伸びた女性、ワトの神官であり、巫女であり、語り手であるリェラはゆったりと上を見つめて口を開いた。次に“護り人”となる少女に向かって。

「それは、この話には民が知らない古いお話があるのです。お話に出てくる龍の事です。古代に生きた龍はかつて、この地を護る守護神の遣いであったのですよ。人々が栄えるのを見守り、人々を愛し、共存することを願った。この地を侵略せんとする者は皆龍に退けられてきました。最初のうちこそ人々は龍に感謝し敬い、慕いました。ともに飲み、食い、踊りました。ですが虚構とともに時代は移ろい変わってしまった。人々は加護を慢心しより享楽的で前衛的な暮らしを求めました。それでも龍は人を信じました。護り続けました。何よりも人が好きだったから。愚かな部分さえも、許してしまったのです。しかしもう、共に在ろうとする人々はいませんでした。ある薄ら寒い月の綺麗な夜、驚くほど聞こえのいい耳は人間の住む里から風に乗って自分を亡き者にせんとする、悲しい計画を捉えてしまいました。龍は泣きました。その美しい涙は大地に浸透し、大地はうるおい作物は強く豊かに育ちました。浅ましい人間達は、その涙の一滴すら自分達のものにせんとする欲望を抑えられず、龍を殺したのです。最後の最後まで人間を信じた龍はそれでも決して民を殺しませんでした。薄れゆく意識、人間の弱い力で命を奪われていく恐怖と痛みと悲しみ。今わの際に、一滴。憎悪の涙が大地に落ちた時、この地は呪われし土地に成り果てました。不毛の土地に人々は死に絶え、それから数百余、何人たりともこの地に住まうことはなかった。それを初代“護り人”が全てを変えました。そうしてこの国の最初のお話に繋がるのですよ。」

少女は真剣に話を聞いていた。

「我が祖先はなぜ、ここを選んだのかしら。」

少女は深い、しかし何処までも澄んだ藍の瞳で遠くを見つめる。リェラは続ける。

「あなたのご先祖様は龍の力を手に入れました。座っていた間、何があったのかは“護り人”にしかわかりません。彼はその力をバランス良く使いました。人間として、龍として。そしてある時、彼が住まうこの地に迫害を逃れてやってきた少数部族だった私たちが流れ着きました。そして部族としての誇りも、心も傷つけられた我々に永住の地を与えてくださいました。これは私めの想像でございますがね、ご初代様は再び人と龍を繋げられることを望まれたのではないかと思うのです。。」

少女は無言で窓に近づく。ひときわ高い岩の上にある“護り人”の住まいから、灰色より銀に近い髪を持つ人々が目に入る。少女が見ていることに気付いたらしい人々は一斉に頭をたれる。少女は軽く手を振って応えるとまた部屋の中へ向き直る。リェラは言う。

「継承式まで残り一週間。あなたは充分強くなりましたね。龍になるときが、近づいてきています。これからは龍として、人間として民のことを考え、学び、共に生きてください。そして最後まで、父上様をお支え申し上げるのですよ。」

「はい、ばばさま。私が、かならずやご期待にそえてみせまする。」

リェラは満足そうに笑った。その笑顔を少し曇らせて、重たく口を開いた。

「…一つだけ、このばばの戯れ事をきいてくれますか?」

「ええ、ばばさま。」

「私はあなたがお生まれになってから今日までお仕えすることができ、わたくしの人生は喜びで埋められてきました。僭越ながらわたくしはあなたを自らの子供のように思っております。でもね、偽りの母はこう思っております。行ってほしくない…と。あなたは大きなものをまだそんなに小さい体で背負っていかなければならない。それよりもこれまでのすべてを捨て、できることなら広い世界で運命など背負わずに、普通の女の子として生きてほしい。愚かなばばをお許しくださいね。それでもあなたの口から聞きたい。あなたはあなたの未来をどう決めますか?」

少女は生まれてきてから母のいない自分を育ててきてくれた女性の深い愛と苦悩を感じ取って、それでも頷く。

「ばばさま…いえ、母上様、私はここラバウナの地の“護り人”となります。それが私の幸せであり、誇りです。私は頂に立ち、民を護り導きましょう。」

少女の誓いにリェラは盲いた目から喜びと、哀しみの涙を流した。

「そのお言葉さえ頂ければ、ばばはもう思い残すことなどございません。迷った時、暗闇に捕らわれた時、ばばはいつでもあなたのお傍にございます。あなたのゆく道が僥倖であふれんことをばばは願っております。」

少女も又美しい双眸から涙を流し偉大なる乳母に頭を垂れた。

その夜、開けた窓から月を見ていた少女。険しい山、岩石の舌鋒に囲まれ辺りにはごつごつとした岩肌がむき出しになっている。この山脈を超えると、リェラの言う広い世界が広がっている。この向こうにも少女が思っているよりもずっと多くの人々が住んでいること、同じ時を生き、泣き、笑うことを少女は知らない。向こう側への憧れを抱いた時期もあった。龍の血筋というだけで厳しい訓練に耐えて強くならなければいけず、先代から力を継承すればこの地にすべての人生をささげ死ぬまで護り続ける日々。生れ落ちただけで、運命までも決められているなんて…。それでも周りの期待を一心に背負って生きてきた少女はその毎日に応え、忙殺され、いつしか憧れも自然に枯れた。しかし、と少女は思う。これで良かったのだと。自分が自分でいるためにこの容姿に生まれ、ここに住まう人々をまとめ、ある時は護り、そして血を受け継いで死んでいく。上等じゃないか。それがどれだけ難しいことなのか、父の背中を見て学んだ。そしてそれがどれだけ誇らしいことなのかも。私はこの何もない地が好きだ。ここに住まう人々を愛している。覚悟を新たに再び外を眺めたその時。夜でも遠くまで見渡せる瞳にきらりと光るものが見えた。次に篝火と大量の人の足音。ここら一帯では見られない服装と武器。そして地面を掘り返してしまうほどの威力を持つ火薬の匂い。何より、山を揺るがす殺気で大地が怯えている。あまり歓迎されたものではないことは明白だった。手早く長い髪をまとめると少女は父のもとへ走った。扉を叩いて入った先に、老いた父の姿が見えた。老いてなお、荘厳なオーラを持つ老人は光を失い、墨に染まったような眼を娘に向けた。

「父上、侵略者がやってきたようです。」

かすれた声を絞り出す老人。

尭舜ギョウシュン、我が出よう。今宵の客人は特に始末に負えそうもない。」

そういって半分ほどになってしまった体を引きずって武具に手をかけた。

「確かに、今宵の敵は少々分が悪いかもしれません。ですが父上、私を信じてください。必ずや次の“護り人”としての職責を果たしてまいります。」

戦い抜いてきた屈強な、根っからの戦士は首を振った。

「その心意気や、よし。お前は民を護る責任がある。だがしかし、それと自分の命を無駄に使うこととは訳が違う。我は老いた。少ない残り時間であるが我は“護り人”である。死に様すら、よう見ておけ、尭舜。」

少女、いや尭舜は言動に見える父の死を半ば信じられずに聞いていた。それと同時に父王に畏怖を覚え、憧れ、自分もこうなりたいと強く願った。そうしている間にも敵は迫る。尭舜の父であり、ラバウナ最後の“護り人”となる老人、燾覇テーハは弱々しくも手慣れた手つきで武具を付け、代々受け継がれてきた秘宝の大槍、雲獣を持つ。この槍は一般成人男性5人で持ち上げるのがやっと…という大きく重い代物だった。それを片手で持った燾覇は、

「行ってくる。」

と一言、もう片方の手を娘の頭に置くと、衣を翻し部屋を出ていった。その姿には先程まで死の床に就いていた老人の面影はなく、どこからどう見ても“護り人”の誇りと威厳に満ち溢れていた。そしてこれが、少女が見た最後の父の姿であった。




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