空白

異世界攻略班

1日目

目を覚ますと、太陽の光に照らされ、青々と草木が生い茂る草原の中で横になっている。雲一つ無い快晴だ。とりあえず身体を起こしてみて、自分の両手になんとなく目をやる。何か身に問題が起きたときにするような仕草で、なんともないことを確かめる。足に力が入らないようだが、長く寝ていただろうか。そう言えば、なぜ今この場所にいるのか記憶がない。全く身に覚えがない中で思考を巡らすが、面倒になって止める。分かることは、なぜ俺がこんな場所にたったの一人で寝ていたのか知らないということだけだ。


所持品は無い。長袖のシャツ一枚に、ジャージのズボン。ポケットをまさぐってもスマホは無いが、100円玉が2枚ある。何を買おうとしていたのか、はたまた何かの帰りだったのか。そもそもなぜ小銭しかないのか。

年は20歳。いい年こいた学生のはずだったが。立ち上がり、周囲を見渡す。

学生…か。ぼんやりとした断片的な記憶があるものの、過去というか、自分自身が何者であったのかの本質的なところは思い出せない。あれはなんと言う名の植物だろう。美しい。淀んだ空気、ヒビの入ったコンクリート製の高層マンション、液晶ディスプレイ。疲弊した眼には眩しい程色鮮やかな光景。一瞬脳裏をよぎった。なんだろうか、この世界は心が落ち着く。喧騒から解き放たれ、全身に感じる風と緑の匂いに懐かしさを覚える。しかし、心はどこか冷静だ。読めない状況にたじろぐのではなく、この景色を楽しんでいる。図書館に籠り新しい知識に出会った瞬間のように、未知の世界に対して、恐怖ではなく好奇心が勝っている。ふふ…。どこか待ち望んでいたのだろうか。そうあれば良いと心のどこかで期待していたのだろうか。


さて、まずは情報収集だ。こんな大草原の中、野生の動物にでも襲われたりでもしたらひとたまりもない。そう野生の動物とか…さ。モンスターとか…?

ファンタジーの世界でもあるまいし、人智を超えた生物と遭遇することなんてあるだろうか。いやいや。そもそも、ここが私が見知っている世界であること自体が怪しい。とにかく人間は、こういう状況でも腹は減るようだ。見たところ、半径300mぐらいのところには目ぼしいものは無さそうだ。さて、どうしたものか。砂漠などでは、無理に助けを求めて動かずその場で助けを求める方が生存の確率は上がるようだが、この場合、私が尋ね人になっている可能性も低いし、このままここでじっとしていても埒が明かないだろう。幸いなことに快晴だ。俺の直感が南に進めと囁く。ただの直感だが。


さてさて、焦れったい感じはするが歩き始めたものの、いまだ何の収穫も得られず欠伸を一つ。例えば、異世界に召喚されてしまった場合には、何かしらのイベントがすぐに発生しても良いものだろうが、特にこれといった動きもない。変化といえば、時間か。この世界にも時間という概念はあるようで、周囲の景色が次第に薄暗くなってきた。まずいなあ。大抵、どこの世界でも夜は危険なニオイがする。単に暗さに生物的に不安を覚えるとこではあるが。少々疲れてきた。体育系ではないのか、体力もさほどあるわけでもなさそうだ。俺って実は最強キャラなんじゃね?と密かに期待はしていたのだが、いたって凡人のようだ。勝手に一人で落ち込んで見せるが、誰の得にもならない。


「だあー、なんだってこんなことに」


目を覚ました時のように、ふかふかとは言い難い草木の上に横になる。悲しさはない。恐らく記憶を失くす前の自分は大した人間ではなかったのだろう。まっとうに生きてこなかったのではないか。だから、今のこのぱっとしない現状下にさらされているのではないか。考えたところで始まらないが、考えずにはいられない。このまま、何も思うことなく、ずっと横になれていられたら。瞼を閉じそうになった時、急に獣の咆哮が周囲に響く。慌てて飛び起き、態勢を整える。一体何事だ。ついに、期待のイベント発生か?俺は危険など一切考えることなく駆け出した。そこに、今の現状を打開する何かがあると信じて。


樹木が風でなびく。どんよりと月らしきものが辺りを照らす。風はひんやりと冷たい。

身を屈め、状況を整理する。


か弱い美少女が一人モンスターに襲われている…なんてこともなく、ただの、そう、狼が一匹、銀色に光る毛並みを靡かせ、咆哮している。なんとも絵になりそうな光景だが、それは俺の期待していたものではなかった。とは言え、野生の生き物に遭遇するのは現在の状況ではリスクがある。

手元にあるのは、ポケットにある100円玉二枚。白銅貨幣。銅とニッケルで作られた貨幣。サバイバル術コインの使用法なんていうのは当然ながら聞いたことがないし、そもそもこれまで生死に関わる状況下に置かれたこともなかった。それはそうだ。そういった平和な世界に俺は過ごしていたんだ。平和な世界?以前俺がいたと思われる世界は平和と呼ばれる世界だったのか?争いがなく、命の危険もなく、満足に飲食ができて、大抵の物には困らない生活。学問に向き合える環境があり、それが万人当たり前だと思える世界。

この世界がまだ危険だとも平和な世界だとも決まった訳ではない。しかし、今のこの状況は良くない。狼は群れで行動するも聞く。であれば、一頭だけここにいるのはおかしい。やつらは鼻も利く。群れで狩りをする狡猾さも兼ね備える。獰猛な牙も持つ。手ぶらの俺では歯が立たない。

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