第63話:まちびと

 祥子ちゃんと純水ちゃんの乗るバス停まで、自転車を押して歩く。歩道に前後するから、それほどお話も出来ないのだけれど、なんだか嬉しい。


「じゃあ大まかなところは、私が選んじゃっていいんだね」

「最終的に和洋五個ずつとして、候補はその倍くらいかな」

「だねー」


 先を歩く二人に言うと、明確な答えがあった。名作カフェの飲食に関しては他の人たちが段取ってくれるので、私たちはお芝居に注力出来る。もちろんあれこれやることは増えるだろうけれど、そうなるまでは大勢でやろうとしても難しい。


「ホント、ざっくりとでいいからね。全部やろうとしちゃダメだよ」

「うん、分かった」


 乗るはずのバスが、一足先に着きそうだった。それを見て、二人は走ってバス停に向かう。間に合いそうになかったけれど、二人に気付いたらしいバスは待ってくれていた。

 なんとか乗り込んだのを見届けると、私は自転車にまたがる。ここからも一人じゃなくて、後ろに居た音羽くんと一緒だ。


「どこか、寄るところがある?」

「ううん、ないよ」


 音羽くんも自転車に乗って、私の前を走り出す。夏休み前まではバス通学だったのだけれど、明けてからは自転車通学に変わっていた。

 急ぐ道ではないので、車の少ない道路を選んでゆっくり帰る。

 文化祭のこと。祥子ちゃんと、純水ちゃんのこと。早瀬くんと、詩織さんのこと。色々と話しながら。


 なんだか日常もののアニメの、ワンシーンみたいだなあ。と思いつつ、私にもこういうことが出来るんだなとありがたく思う。

 小さな幸せ、と言うのだろうか。私には十分に大きなものだけれど。

 噛み締めつつ、おとはの目の前に着く。私の家までは、まだもう少しある。


「じゃあ、またあとでな」


 制服でお手伝いをするわけにもいかないので、毎回音羽くんが私を見送る形になっていた。

 楽しくおしゃべりしていたのに、途切れることが寂しいと思う。でも一時間かそこらで、またお手伝いに来るのだから、大したことじゃない。

 でもやっぱり残念だ。


「あとでね」


 そう言って断ち切って、なんとかペダルをこぐ。私の家までは、どれほどの距離もない。

 共同の駐輪場に自転車を止めて、階段に向かう。郵便受けの中身を取り出すと、夜に集まる虫で汚れた電灯の下をくぐって、細い階段を上がる。


 金属のこすれる音と、軋む音とが混ざる玄関の重い扉。止め金が緩んでいるみたいで、新聞受けの蓋が時々、勝手に開いてしまう。

 今日もそうだった。ムダに派手な音を立てるけれど、両手が塞がっているからどうしようもない。


「──お。おかえり」

「ただいま。お腹空いたの?」


 珍しくお兄ちゃんが、ダイニングのテーブルに居た。インスタントのコーヒーでも飲んでいたみたいで、空っぽのマグカップが目の前にある。


「いや。気分転換してただけだよ」

「そうなんだ。でもすぐ作るから、食べたかったら食べてね」

「ああ、ありがとう」


 カバンは部屋に置いて、代わりにエプロンを持って戻る。制服の上に着ると、すぐにお兄ちゃんの夕食を作り始めた。


「今日は、なにかあったか?」

「え? なにもないよ。どうかしたの?」

「いやいや。なんとなく聞いただけだよ」


 どうかしたのかと思って振り返ると、お兄ちゃんは自分の部屋に戻ろうとしていた。


「仕事の続きをするかな」

「うん、出来たら声かけるね」


 うん。と返事はあって、お兄ちゃんは部屋に引っ込んでしまった。別になにかおかしいということもないのだけれど、ちょっと引っかかる。

 うまく文章が書けていないのかもしれない。イライラしたり、表に出すことはないけれど、落ち込むことくらいはお兄ちゃんにもある。


 うーん……。

 ちょっと悩んで、冷蔵庫から取り出していたお豆腐を戻す。入れ代わりに、薄切りの豚肉を取り出した。

 今日も暑いし、冷しゃぶみたいな物にしようかな。

 ──用意が出来ても、お兄ちゃんは手が離せないみたいだった。ずっと待っているわけにもいかないので、私はおとはに出かける。

 もちろん私服に着替えて、洗っていた甚平を持って。


 自転車に乗る前に、時間の確認で携帯電話を見た。

 あれ? 着信のランプが点いてる。さっきも見たつもりだったけれど、部屋が明るかったから気が付かなかったのかな。

 薄く影の落ち始めた空の下で、駐輪場はもう結構な暗さだ。携帯電話のバックライトも、眩しく感じる。

 着信は、音羽くんからのメールだった。


『店に来るとき:手前のコンビニで電話して』


 んん? どういうこと? いきなり店に行ったらダメ、ということだよね。

 わけが分からないけれど、悩んでいても仕方がない。言われた通りに、おとはに近いコンビニまで行った。

 その駐輪場で自転車を降りて、音羽くんに電話をかける。すぐに出た。


「もしも……」

「あ、着いたな。すぐそっちに行くから、待って」


 それだけを口早に言って、音羽くんは電話を切ってしまった。

 なんだろう。なにかあったのかな。

 少し胸のドキドキが、速くなり始めた。考えてもなにも思いつかなくて、不安におとはの方向へ顔を向ける。


「織紙」

「きゃっ!」


 後ろから声がかかって、びっくりした。

 声は音羽くんだとすぐに分かったのだけれど、不意をつかれたので声が出てしまった。


「あ……ごめん」

「う、ううん。私こそごめんなさい」


 聞いてみると、私を心配して少し前にここへ来ていたらしい。


「心配って?」

「ええと──変なこと聞くんだけど、誰かにつけられるような覚えがあるか?」

「つけられるって、ストーカーとか?」

「うん、そういうやつ」


 心配してくれたというのは嬉しいけれど、どうしてそんな話になったのだろう。もちろんそんな心当たりはない。

 でも音羽くんは、真剣な顔で私を見つめている。だから「ないけど……」と言うのも声が小さくなった。


「そうか──」

「なにかあったの?」

「居るんだよ。織紙を待ってるっぽいのが」


 心配と困惑の混ざったような音羽くんは、声を潜めて言った。

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