第53話:私のおかゆ
ホーローのお鍋に、緩く蓋をして。これでしばらくは、弱火で煮込むだけ。
「出来た?」
「ううん、しばらく煮ないといけないの」
「へえ、結構な手間なんだね。ありがと」
手間と言われて、待たせてしまうのが悪いなと思った。でも純水ちゃんは、あまり料理をしないんだろう。素直に驚いているだけみたい。
お礼を言ってくれたから、分かった。
「ううん、待つだけだから」
純水ちゃんの座っているのと反対の椅子に手をかけて、「座っていいかな」と聞く。
「当たり前でしょ。そんなことで遠慮しないでよ」
軽く笑おうとしたのが、咳になった。苦しそうに、四度、五度も咳き込んでいる。
背中をさすろうと動きかけると、純水ちゃんの手がそれを制した。大丈夫だから座ってと手振りで示されて、おずおずと座ってしまう。
「咳もあるの?」
「そうでもないんだけどね、喉が痛くて。時々、思い出したように出るの」
空咳というやつだろうか。あれは痛いよね──って、そんなことはどうでもよくて。
ううん、どうでもよくはない。でも今日、話したいこととは関係なくて。
ああもう──なんて言えばいいのか考えていたはずなのに、言葉が出ない。
「昨日ね──」
ダメだ。きっと私は、考えすぎなんだ。それでいつも、自分からあれこれと制限してしまう。
だから今、思ったことをそのまま言おう。
「祥子ちゃんと話しながら帰ったの」
「──うん」
祥子ちゃんには、思っていることをそのまま言ったら伝わった。お兄ちゃんだって、いつも分かってくれるもの。
「今日のこと。純水ちゃんと、話すって言って。私は純水ちゃんとも、祥子ちゃんとも、二人にずっと仲良くしてもらいたいからって」
静まる部屋の中。マンションの裏に、遊ぶスペースでもあるんだろうか。下のほうから、小さな子の楽しそうな声が聞こえてくる。
「──うん、そしたら?」
「待ってるって。私に任せるって、言ってくれたの」
「ふうん……」
表情が読めない。テーブルへ直接、あごを乗せた純水ちゃん。眠そうな、つまらなそうな風にも見えるけれど、瞳だけはまん丸で前を向いている。
「でもまあ、祥子には好きな相手が居るわけだし? 叶うかは知らないけどさ。私がどう思ってるかとか、ちょっとは勘付いてるだろうしさ」
「三島先生には、はっきり断られたって言ってた。て、テンプレ? で言われたから、もう諦めるみたい」
勝手に伝えても、良かっただろうか。分からない。でもダメだったら、それはそれで謝ろう。
仲のいい二人だったら、きっと秘密にしないもの。きっと言って良かったはず。
「テンプレでね」
「だから純水ちゃんと私で、残念だったねって言ってあげよう? 祥子ちゃんの好きな物を食べに行こう」
「ふぇ? いやいやいや。だから、祥子はあたしがどう思ってるか勘付いてるって。だから任せるって言ったんじゃないの、たぶん」
どうなんだろう。そういえば、私が純水ちゃんになにを聞こうとしているのか、想像もつかないって言っていた。
だとすると、勘付いてはいないんじゃないのかな──。
でも。だとしても、いま考えないといけないのはそこじゃない。純水ちゃんと話していて、気付いた。
音羽くんの言った通りだった。
「でも祥子ちゃん、落ち込んでるよ。振られちゃって、純水ちゃんも体調を崩しちゃって。昨日なんて、奢ってもらったパンしか食べなかったんだよ」
「祥子が、パンだけ? 本当に?」
実際には、食べているところを見たわけじゃない。でも奢ってもらえるからって、パンを五つも六つもは買わないだろう。
お昼は用意していたはずなのに、それを食べている姿は見なかった。
「うん、元気なかった。だからね、二人で元気付けてあげようよ。そうしたらまた、好きかどうか考えられるよ」
「祥子がね……」
純水ちゃんは投げ出していた上体を起こして、テーブルに両肘を突く。自由な両手で頭を抱えて、俯いたので顔が見えなくなった。
「祥子……ぅ、く……」
肩が震えて、泣いているみたい。祥子ちゃんの気持ちを思って、ケンカしてしまっている自分を思って、悲しくなったのかな……。
「く……くく……くあははははは!」
「あ、純水ちゃん⁉」
大爆笑。
泣いているのかと思ったら、純水ちゃんは笑っていた。最後にはまた、咳き込んでしまうまで。
「げほっ! げほっ!」
「大丈夫?」
水を汲んで出してあげると、コップの半分ほどを一気に飲んだ。一息吐いて、次には全部を飲み干す。
喉も乾いていたみたい。
「だって、コトが面白いこと言うから」
「ええ──? 祥子ちゃんのことかな。面白いなんて言ったら、ダメだよ」
そんな人の悪いことを言うなんて。祥子ちゃんだって、傷付くことはあるんだよ。
そう思ったのだけれど、よく考えるとこれも似たような話だった。
「違うの。あたしが勝手に考えてただけなんだけどさ。落ち込んでるのを慰めて、いい感じにしようとか言うのかと思ったの」
──ああ。なるほど、そんな手もあるんだ。
うーん、でもそんなテクニックっぽいことを、純水ちゃんにやってほしくはないかも。
「そうそう。そんなこと、思いもよらない感じだよね、コトは。そうだと思ったら、今みたいにとぼけた顔してるのが思い浮かんで、祥子がお菓子とか食べてるのも見えて、面白くなっちゃったの」
「とぼけた──顔してるかな」
ほっぺを両手に持って、顔を引き締める。ちゃんと話さなきゃ。大事な話だもの。
「大丈夫だって。そんなことしなくても、コトは可愛いから」
「それはないけど……」
「大丈夫。なにか食べに行こう。あたしが治ったら、三人で」
えっ──と。
うまくいってる、のかな。そうだよね。純水ちゃんは、三人で出かけようって言ってくれたんだよね。
まだ全部終わったわけじゃないけど、仲直りに一歩前進したよね。
「うん──」
「そんなにため息、吐かないでよ」
あははっと。たぶん苦笑いをしながら、純水ちゃんは言った。そのあとすぐ、言ったそばから自分もため息を吐く。
「なにやってるんだろ、あたし。コトにまで、こんな慣れないことさせちゃって」
「平気だよ。みんな応援してくれたし」
「──みんな?」
あ。
そうだ。音羽くんやお兄ちゃんに、純水ちゃんが祥子ちゃんを好きなのがばれてしまったのも謝らないと。
いきさつを話すと、純水ちゃんは自分の顔を掻きむしった。
「ああー! そうかー! ばれちゃったかー!」
「ごめんなさい……隠そうとしたんだけど、嘘がヘタクソで……」
「いや! いいよ! コトを責めてるわけじゃないの! そんなに追い詰めたあたしが悪い!」
恥ずかしさをごまかして、振り払おうとするように、純水ちゃんは頬をパンと叩いた。
「あれ?」
「えっ、なに? まだ私、なにかやってしまってるかな」
「いや、そうじゃなくて。おかゆは、まだいいの?」
「あっ!」
あれから何分経っただろう。話さないとと思うあまりに、時計を見るのも忘れていた。
慌てて蓋を取ると、ミルクそのもののような濃い湯気が浮き上がる。
──うん、大丈夫。もう少し遅れていたら、焦げてしまうところだったけれど。
「おいしいねー。おかゆって苦手だったんだけど、こんなにおいしい物だったんだねえ」
「そうなの? 良かった」
薄い塩味と、梅干しだけのおかゆ。余るくらいに作ったのに、純水ちゃんは全部食べてくれた。
「本当に、ありがとうね。コト」
「おかゆくらい、そんなに言ってもらうことじゃないよ」
「ううん。あ、いや。おかゆもだけど、あたしと祥子のこと。どうするか、一人で考えたの?」
お鍋の底に残ったのを、純水ちゃんはれんげでこそげて食べる。そんなに気に入ってくれたのかな。
「──ううん。音羽くんが」
「音羽? あいつが、ああしろこうしろって?」
「うーん。おおまかに、こんな風にすれば? っていうくらいかな。でもそれもなかったら、私はなにも思いつかなかったの」
音羽くんを持ち上げようというのでなく、それは本当のことだ。傍目にどう見えるかはともかく、私一人ではどうしようもなかった。
「ふーん。じゃあ、感謝しなきゃね」
「うん」
「具体的には、どんなこと言ってたの?」
具体的に──。
相談した時には、音羽くんが二人の好きなこととか楽しかったこととかないかって聞いてくれた。
私がそれに答えると、じゃあこんなのはどうだって、いくつも提案を出してくれるという形だった。
「たくさん提案してくれたんだけど──うまい物を一緒に食べさせたらいい。って言ってたよ」
「へえ──おいしい物を食べたら機嫌が直るって?」
「えと──うん。そういうことかな?」
純水ちゃんは、口角をわざとらしいくらいに上げて笑ってくれた。
良かった。喜んでくれた。
「音羽──ぬっころす」
「ぬっこ──?」
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