第49話:私の隙間

 自分の部屋に戻って、薄っぺらいクッションに座って、照明に小指をかざしてみた。

 蛍光灯の円の中に浮かび上がったそれは、なにかオーラみたいなものが見える気がする。

 でも糸は一本も見えない。


 祥子ちゃんたちが、泊まっていった日。お兄ちゃんは、二人から連絡先を教えられたらしい。なにかあったら、いつでも言ってほしいと。

 そうなるとお兄ちゃんも、じゃあ僕のもってことになる。


 なにかあったらと言ったって、特に警戒するなにもないはず。少なくとも私には、その連絡網を活用する機会が想像出来ない。


「コトちゃんのことは、先生とかよりうちたちのほうが、よく知ってるから」

「コトのことは、あたしたちがなんでも知っていたいんです」


 二人は、そう言っていたらしい。

 駅ビルに付き合ってほしいと言われたのは口止めされたけど、そういえばそっちは口止めされていなかったとお兄ちゃん。


 祥子ちゃんと買い物に行ったのは、やっぱり三島先生へのプレゼントのためだそうだ。

 先生の正確な年齢は知らないけれど、たしかにお兄ちゃんとは近いと思う。どんな物を喜ぶのか、どんな物が似合うのか、マネキンにはちょうどいい。


 なんだか恥ずかしいから、お兄ちゃんからは言わないでほしい。そう言われていたけれど、もう知っているならいいってことだなと教えてくれた。


 いつまで見ていても、糸は生えてこない。

 生えるとか言うと、なんだかまた別の意味になってそれは気持ち悪いか。


 そんなことをして、ぼうっとしている場合でもない。

 うまくいくまで、諦めずにがんばる。

 お兄ちゃんのおかげで、方針としてはそう決められた。でもなにをどうがんばるのか、その中身はまったくだ。


「なにをすればいいのかな──」


 口に出すと、展望のなさに震えそうになった。私自身が、お友だちとケンカしたり仲直りしたりという経験がない。

 どんなきっかけで、どうなれば仲直りなのか。要件が全く見えてこなかった。


 またむくむくと不安が膨れ上がって、目を閉じてしまいそう。

 でもいま私には、これがある。ポケットを探して、携帯電話を取り出した。

 頼るのはいけないことかなって、迷いもある。でもそんなことを言ってはいられない。


 電話帳を探して、音羽くんにかける。

 困っていたら教えてって、言ってくれたもの。私がばらしてしまったのだけれど、もう知っているのだし。

 そんな言いわけを自分にしながら、呼び出しの音を待った。


 三回。今は都合が悪いのかな、時間を置いたほうがいいのかな。

 四回。やっぱりそうね、一旦切ろう。


 五回目のコールが鳴り出す直前に耳から離して、切のボタンを押そうとした。


「──し」


 小さく声が聞こえた。たぶん携帯電話を耳に当てていたら、すごく大きな声だったと思う。慌てさせてしまったみたい。


「あ、ご、ごめんね音羽くん。忙しかったね。またあとにするね!」

「いやいやいやっ。いいから、切らなくて。せっかくかけてくれたのに」


 聞いてみると、音羽くんはずっと待っていてくれたみたいだった。私があとでと言ったのだから、かならず連絡はあると思っていたと。


「ええと──どうなった?」

「うん──」


 さっきはごめんねと、私は話を蒸し返そうとした。でも音羽くんは冷静に、それはいいからと先を促してくれる。

 でもそうなると、なにから話せばいいやら言葉に詰まった。


 私のせいだ。

 二人が険悪になってしまったのは、私が余計なことをしたせいだ。

 そう思うことばかりが頭にあって、順序立てて話せない。


「慌てなくていいから。大丈夫だから。説明しにくいなら、俺が知りたいことを聞くよ。そうする?」

「……うん」


 音羽くんの質問は、答えるのがとても簡単なことばかりだった。

 学校を出てから、野々宮の家に行ったのか?

 天海が駅ビルでなにをしていたのか、聞けたのか?

 お兄さんのための物だったのか?


 ほとんどがそんな風に、私は「うん」か、「ううん」で答えられる。


「三島か──あ、いや。三島先生かあ」

「うん、そうだって──」


 電話の向こうで、「んー」と思案しているらしい声が漏れる。

 その時間はたぶん、それほど長い時間じゃない。十秒もあったかどうか、それくらいだと思う。


 でも私は、それを待つのももどかしかった。急かしたいわけではないのだけれど、音羽くんに頼ってしまっている罪悪感みたいな後ろめたい気持ち。

 どうしたらいいのか、自分では前の見えない不安。

 そんなものが、私を焦らせた。


「私、どうしたらいいのかな。こうなった責任は私にあって、そうじゃなくても二人はお友だちで……」

「うん、分かってる。きっと織紙は、そう言うだろうって思ってた」


 音羽くんは、ちょっと困ったみたいに笑っていた。

 私がなんと言うのか予知していたなんて、すごいと思う。いやそうじゃなくて、私が分かりやすすぎるんだろうか。


「俺の──怪我のことでさ。織紙は、ずっと自分を責めてただろ? たぶん今も」


 答えは「うん」だけれど、言うことは出来ない。それを言えば、こんなに思っているのにと、逆に音羽くんを責める形になるかもしれないから。


「それはいいんだよって言うのは簡単だし、そう思ってるし、実際に何度か言ったけど。それでも織紙は自分の出来ることを探し続けてる」

「──ん」


 ずっと黙っているのも悪くて、肯定でも否定でもない声を出した。


「それでいいとは言わない。ずっとそんなことをしてたら、織紙の気持ちが持たない」

「ん」

「でも、今だけはそれもいいのかもって思ってる。野々宮と天海はさ、たぶん織紙に取って特別だろ? だからとことんやってみよう」


 焦っていた気持ち。下り坂でブレーキの効かなくなった自転車みたいだった不安な気持ちが、ふわっと軽くなっていく。


「とことん?」

「ああ。あいつらもあんな感じだからさ、すぐにはなんとかならないかもしれない。でも諦めずに、何度だって。また三人が仲良く出来るように、俺もいくらでも付き合うからさ」


 どうしてだろう。

 どうしてお兄ちゃんと、同じことを言うんだろう。

 ずっと私の面倒を見てきてくれた、お兄ちゃん。

 私が面倒をかけてしまった、音羽くん。


 過ごした時間も関わり方も違うのに、どうして同じことを言って、私を励ましてくれるんだろう。


「音羽くん、ありがとう。私、がんばるよ。

 絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、また仲良く出来るようにする」

「ああ、そうしよう」


 隙間の多い私の胸に、またなにか大きな物が落ちてきた気がした。

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