第44話:おもい空気、募るおもい

 絵や写真のない、日付けや曜日だけが印刷された、機能的なカレンダー。

 小学校に入学した子が選びそうな、木の学習机。シールを剥がした跡のある、洋服ダンス。学習机と色味の同じ、木のベッド。


 純水ちゃんの部屋は、とても片付いている。物がないと言ったほうが、正しいのだろうけれど。


 きっちりした性格と、物を大切にするのが、こんなところに出るのかと感心する。と同時に、本だらけで散らかっている私の家が恥ずかしくなった。


「まだ頭痛いの?」

「──いや平気」


 純水ちゃんの顔色は良くなくて、私たちが来る少し前に、たまたま起きたと言っていた。

 だからと呑気に眠っていたなら良かったなんて、さすがの私も思わない。


「お菓子買ってきたんだよ。ゼリーと、ムースと、チーズケーキ。食べる?」

「──ゼリー」


 祥子ちゃんは勝手知ったると、部屋の棚から電気ケトルを取り出す。そこへスポーツドリンクと一緒に買っていた水を入れて、お湯を沸かした。


「紅茶飲める?」

「──ん」


 純水ちゃんの口数が少ない。祥子ちゃんにも、私とも、目を合わせようとしない。


「機嫌も悪いみたいね。まあまあ、これ全部あげるから」


 買ってきた洋菓子は、どれも一つずつしかない。祥子ちゃんはそれを箱ごと、純水ちゃんのほうに押しやった。


「うちは、これ食べる」


 私たちがなにも食べないと、純水ちゃんが遠慮する。そう言って買っていたのは肉まんだ。

 二つある一つは私にも手渡されて、もう一つに祥子ちゃんはかぶりつく。


 透明なプラスチックのスプーン。純水ちゃんの手は、止まったままだ。肉まんに視線を注ぐ祥子ちゃんを、横目で窺っているのが胸に痛い。


「……ええと、祥子ちゃん。どこか旅行に行ったの?」


 まだ少しの時間だったと思うけれど、沈黙の重さに耐えかねた。

 まずは三島先生に渡されたお土産が、なんだったのか。そんな当たり障りのないところから話してみようと画策した。


「旅行? 行ってないよ?」

「え? だって、お土産──」


 旅行はいつ行ったのか知らないけれど、お土産を渡したのはついさっきのことだ。まあそれでも祥子ちゃんが、うっかりしたことを言うのは珍しくない。


「ああ──あれはね」


 そう言いつつも、祥子ちゃんの言葉はそこで止まった。ほっぺをポリポリと掻いて、「あははっ」となにやらごまかしているらしい。


「あたしもそれ食べたい」

「え──あ、肉まん?」


 純水ちゃんは、イライラした口調で言った。さした指は、祥子ちゃんの持っている肉まんに。


「しょうがないなあ。半分だけだよ?」


 持っていたのを半分に割って、祥子ちゃんの手が純水ちゃんに向けられた。

 純水ちゃんの手は素直に伸びて、それを受け取るのだと思った。


「いい。こっち食べる」

「えっ」


 伸ばされた手は、私の手首を掴んだ。そのまま純水ちゃんの口元まで引き寄せられて、持っていた肉まんが大きくかじりとられた。


 祥子ちゃんはなにも言わずに、差し出した肉まんを口に押し込んだ。一口にはだいぶん大きかったけれど、無理やりに押し込んだ。


 二人の飲む紅茶の音が、こくこく、じゅるじゅる。こんなに聞こえるものだっけと、耳につく。


「どしたの。調子悪いだけじゃなくて、なにか怒ってるの」


 少しの間のあと、祥子ちゃんがいきなり言った。イライラとも違って、感情を抑えた声だ。


「別に」


 祥子ちゃんの視線は、純水ちゃんを睨むように刺さっている。純水ちゃんの視線は、もう中身のほとんどないマグカップの中。

 どうすればいいんだろう。私が軽率に、二人を会わせようとしたからだ。


 純水ちゃんは、祥子ちゃんに好きな人が居ると思って落ち込んだ。

 でも祥子ちゃんは、その相手である私のお兄ちゃんにそんな気持ちはないって言った。

 それなら問題なんて、ないと思ったのに……。


「ごめんね……」

「え──どうしてコトが謝るの」

「コトちゃん、なにもしてないよ?」

「どうしてか言えないけど、私が悪いの──」


 こんなことを言ったら、二人とも困惑する。分かっていたのに、口をついて言葉が出てしまった。

 それもダメだと思って、何度もごめんなさいと繰り返す。


「コト。もしかして昨日のこと、祥子に聞いたの?」

「昨日?」


 私がべそをかいて謝っているからか、純水ちゃんの口調が普段に戻っている。それでも疲れ気味なのは、本当に体調が悪いせいだろう。


「昨日って?」

「…………コトと二人で、駅ビルに居たの」

「──一緒だったんだ。でもそれでどうして、コトちゃんが謝ってるの? 機嫌悪いのもそのせい?」


 祥子ちゃんに気付かれないように、純水ちゃんに真相を伝えようと思ったのに。

 もうほとんど全部、ばれてしまった……。

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