第35話:しょうこと兄、しょうこのない落胆

「ええ? どうしてあの二人が――」

「どう思う?」


 確かに今日、お兄ちゃんは十時ちょっと前ころから出かけていた。

 でもそれは大抵のお店が十時に開くからで、開店してすぐの混まない時間帯に買い物をしたいお兄ちゃんの、いつもの行動だと思っていた。


 それがどうして、祥子ちゃんと一緒に居るのか。

 よほどの用事がなかったら、人混みの激しい駅ビルになんて来るはずがないので、ここで偶然に出会ったなんてことも考えにくい。


「どう思うって――お買い物よね」

「それはそうだけどさあ」


 純水ちゃんは、ぶはあっと大きな大きなため息を吐いた。

 求めているのでない答えを私がしたからなのか、目にしている事実に落ち込んだからなのか。


 どう思う、と。それが二人の関係性を指しているのは私にも分かる。それも例えばデート中なのかなとか、なにかの偶然なのかなとか、できれば具体的な答えを求めていることも。


 でもそんなことを聞かれても、分かるわけがない。分かったとして、それがデート中だったとして、そうだと言えるはずもない。


「どう――する?」

「ついていってみる。これだけじゃ分かんないもん」


 純水ちゃんの目は細められていて、それは見ている先が遠いせいではなさそうだった。

 ここで「なんでもないよ、大丈夫」とでも言ったほうがいいのかとも思った。

 でも言わなかった。

 そんな適当な慰めを、純水ちゃんはきっと求めていない。




 それから少しの間、具体的にはたぶん一時間足らずくらい。私たちは二人を追った。

 駅ビルが広いと言ったって、噂に聞く東京のどこやらの駅みたいな迷宮とは程遠い。デザインや雰囲気重視で空間にも余裕があるから、少しくらい離れていても見失うことはなかった。


「祥子ちゃんのお買い物にお兄ちゃんが同行してる、のかな?」

「ていうか、お兄さんにあげる物を一緒に選んでるんじゃない?」


 立ち寄るお店はやはり紳士ものか、ユニセックスの商品を扱うところばかりだった。手に取る物も男性用か、男性が好みそうな品物ばかりだ。少なくとも祥子ちゃんが、自分で使いそうな物ではなかった。


 例えばネクタイやチーフを手に取った祥子ちゃんは、それをお兄ちゃんの首や胸に当てて具合を見る。

 万年筆や高級ボールペンなんかの文具を、お兄ちゃんの手に持たせたり、ポロシャツの胸ポケットに挿したりもしていた。

 選んだ雑貨の前でポーズをとらせていたのはあまり意味がないような気もするけれど……。


 なにより二人は、とても楽しそうだった。


 これはなんだか、私の勘違いかもしれないけれど、どうにもそれ以外にないんじゃないか。そんな気持ちが段々と湧いてくる。


「どう見てもデートだよね……」

「え、ええと。そんなことは――あるかなあ」


 防火扉の柱に隠れていた純水ちゃんは、添えていた手をだらんと落とした。

 さっき出会った時にも元気がなくなりかけていたけれど、今この数秒の間に、みるみるやつれていったようにさえ見える。


「ごめんね。呼び出した上に、変なことに付きあわせて」

「ううん。それは全然」


 純水ちゃんは、もう諦めてしまったという声だった。力がなくて、声を出す気概も残っていないとさえ聞こえた。


 まだそうとしか見えないというだけで、実際にどうかは聞いてみないと分からない。そんなこともしないで諦めるのは、純水ちゃんらしくない。

 これは私が、彼女を励ます番だ。


 それを声にしようと、純水ちゃんの顔をあらためて見た。


 ──そこに居たのは、悲しそうで、今にも雫のこぼれそうな瞳をした、弱々しい女の子だった。

 いっそなにかに怯えていると言ったほうがいいくらいに憂いを帯びて、生まれたばかりで母親を亡くした野生動物みたいだった。


「あたし、帰るよ。勝手なことばかり言って、ごめん」

「あ……」


 ぐるんと背を向けた純水ちゃんは、走り出したいのを我慢しているようだった。

 何歩か歩いては駆け足になりそうになるのを、どうにか抑えていた。

 歩いていく先も、駅ビルの出入り口や駅のホームの方向ではなかった。


 肩を落としたまま、世界の終わりに向かっていくような彼女にかける言葉が見つからなくて。私は一人、取り残された。

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