第三部:みっつのこい

第29話:こい話、こい気持ち

「コトちゃんの家に、遊びに行ってもいい?」


 そう聞かれたのは、夏休みが終わる前の週のことだった。

 自慢ではないけれど、うちの家はそれほど広くない。間取りで言えば二DKということにはなっていても、私が使っている部屋は半分が物置きみたいなものだ。

 乱雑に物を詰め込んでいるわけではなくて、タンスや棚が一面に並べてある。そこに人を招いては失礼じゃないかと、考えずにはいられない。


「難しい?」

「いいのよ、コト。ダメなことはダメって断らないと」

「ううん、いいの。いいんだけど──狭いよ?」


 純水ちゃんが気を遣ってくれたのはありがたいけれど、そこまでダメということじゃない。

 あくまでも、あんなところに招いたら、逆に失礼じゃないかと心配しただけだ。

 だから慌てて、いいよと言った。


「ほんと!? 助かるー」

「助かる?」


 無邪気に喜ぶ祥子ちゃんを見ながら、純水ちゃんは大きくため息をついた。




 それが午前中のことで、午後には私の部屋に二人が居た。


「いやあ……本ばっかりね」

「すごいねー、全部読んだの?」

「ううん、だいぶ読んではいるけど。ほとんどはお兄ちゃんのなの」


 兄が居るというのは、いつだったか話したことがある。居るというだけで、どういう人かという話にはならなかったけれど。


「それはいいから、早くしなさいよ」

「ええー? あーちゃんが言い始めたのに」


 文句を言いながら、祥子ちゃんはトートバッグからノートやプリントを取り出した。


「あっ、ペンケース忘れた」

「あんた、やる気あるの?」

「あるよー。シャーペンくらい、コトちゃんは貸してくれるもん」


 あはは。祥子ちゃんらしい。

 もちろんそのくらい、いくらでも貸せる。棚にあるペン立てを、そのままテーブルに持っていった。


「どれから?」

「国語」


 分量が一番多いのは数学なので、それからかと思っていたら違った。


「だって数学は、最悪適当に数字を入れれば埋まるでしょ」

「ああ……まあ……」


 そういう極端な手法を許すのなら、確かにそうだ。

 他の科目は適当に漢字やひらがな、アルファベットを並べても答えにならない。数学なら万が一、億が一で正解の可能性もある。


 数学でも記号が入るのもあるのは、黙ってたほうがいいよねきっと。


 二人が、というか祥子ちゃんがなにをするために来たのかと言えば、宿題を写すためだった。

 どうも聞いていたとおり、順調に? 宿題を放置していた祥子ちゃんは、お母さんからこっぴどく叱られたらしい。


「期限内に出さなかったら、今年中ずっと遊びに行くの禁止です──だって」


 今から普通にやっても絶対に間に合わないということで、今回は写させてもらってもなんでもいいから出すようにといわれたらしい。

 かなり頑張れば間に合わなくもないと思うけれど、祥子ちゃん曰く「お母さんは、うちのことよく分かってるよ」だそうだ。


「出さないで放っとくよりは、ね」


 純水ちゃんは、ちゃんと自分でやるように最初は言ったらしい。

 でも清々しいほど真っ白な宿題を見せられて、祥子ちゃんのお母さんの判断が正しいと思ったそうだ。

 それで祥子ちゃんも、純水ちゃんの宿題を見せてくれるように頼んだ。

 でも純水ちゃんは「あたしたまに変な間違いしてるから、写したのがばれる」と、私にお鉢が回ってきたのだそうだ。


「私は構わないけど──」


 この流れで「どんどん頼って」と言うのもまずいかななんて思って、言葉を濁した。

 ごまかすためにキッチンに行って、お茶の用意をして、祥子ちゃんの前に置く。


 ──それからしばらく、祥子ちゃんは書き写す作業に没頭した。

 邪魔をしてはいけないので、純水ちゃんは部屋にある本を読んで、私は他の勉強をしていた。


「気が散るー!」

「えっ、なんで!?」

「ご、ごめんね!」


 突然叫んだ祥子ちゃん。純水ちゃんも私も、それぞれに驚いた。

 静かにしていたはずなのに、どうして? と。


「静かすぎて気が散る。なんか喋って」

「えー、わがまま」

「ええっと、なにを話せば……」


 じとっとした目で呆れる純水ちゃんを、祥子ちゃんは全く気にしていない。どころか「話題ね。ちょっと待って、考える」と、お菓子をぱくついた。

 関係ないけど、なにか食べているときの祥子ちゃんは、小動物みたいですごく可愛い。


「よし、じゃあこれ」

「なに? くだらないのはやめてよ」


 牽制はするけれど、ずっと祥子ちゃんと一緒に居る純水ちゃんだから、断る気もないんだろう。

 言葉のわりに、乗り気に見える。


「それぞれ、好きな人について話してください。はいっどうぞ!」

「なにそれ──引くわー」


 手を叩いてタイミングまで出されたけれど、そんなにするするとお話は出てこない。

 純水ちゃんは言っているとおりに、またジト目だ。


「言ってもいいけど、そういう話なら自分からでしょ」

「うち? いいよ。うちは正真正銘、ほんとに全く、好きな人は居ません。はい、次のかた!」


 うわあ……それは強いなあ。

 悪気とかを全く感じさせない祥子ちゃんは、いかにも楽しみだという顔で私たちを交互に見る。

 純水ちゃんは、頭を抱えてしまった。


「じゃあ順番も決めるね、コトちゃんから!」

「ええっ!?」


 好きな人って、恋人にしたい人ってことよね。そんなことを聞かれても──。

 困ったなあ。

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