第13話:音羽優人の居眠り事情(第一部 終)
あの日。入学式の日。
俺は猛烈に眠かった。
そもそも中学生やら高校生やらは、眠いものだ。なのに俺は中学卒業からずっと、親の店を朝から晩まで手伝っている。
しかも最近は、自分の趣味みたいなことにも時間を使い始めたから、それがダメ押しになったのかもしれない。
今日から高校に通うっていうのに、朝の仕込みの時間に目が覚めた。
二度寝も出来なさそうだったし、初日に一番乗りするのも面白いと思って、そのまま登校した。
着いたらちょうど、用務員っぽい人が校門を開けるところだった。
「新入生なんですけど、早すぎますか?」
と聞いたら、
「ああ、おめでとう。中はもう準備出来てるから、大丈夫だよ」
と、親し気に言ってくれた。
説明会やら入試やらで、校内は何度も歩いていた。だから迷わず、教室に行こうと思った。
でもダメだった。
この高校に来ることを決めた理由の一つが、講堂だ。
高校生が参加する音楽や演劇関係のコンテストなんかの予選も、そこで行われたりするほど設備が充実している。
ここも説明会の時に見てはいたけど、一番乗りで、一人で見られる。という事実に気付いてしまうと、避けずに行くことは出来なかった。
中に入ると、やっぱり人の気配はなかった。用務員さんが言っていた通りに入学式の準備は終わっていて、オペラだかミュージカルだかの公演みたいに見える装飾が、ますます俺のテンションを上げた。
その俺の後ろを、何人かの生徒が歩いて通った。男女入り混じった数人で、先生らしき人と仲良く話しているし、先輩だろう。
その人たちは舞台袖に行く扉を開けて入ったので、そこに行くことは諦めた。単に見物の俺が、なにか作業をするらしい人たちの邪魔をするわけにはいかない。
じゃあ行くところは一つしかないと思って、階段を三階まで駆け上がった。
座席側に通じる扉はどれも鍵が締まっていたけど、どこか一つくらいと思って調べたら、やっぱり一カ所開いていた。
質のいい劇場は、気密性に優れている。それでいて空気を送り込むから、扉を開けると外に向けての風が生まれる。
――ほんの少し、柔らかく押し返すくらいの圧力。ドーム球場じゃないんだから、劇場の気圧差なんていうのはこんなものだ。
一人で見る景色は、説明会でぞろぞろと並んで見たのとはまた印象が違う。
反響と共鳴を計算して造られた、木製の躯体。これも反響を計算された、床の布張り。遮光率の高い、暗幕や緞帳。
素晴らしい劇場だと言って間違いない。
というのは全部、そういう雑誌に書いてあったことの受け売りだけど。
今はそれが、具体的にどういう意味があるのかなんて分かってない。これからそういうことも知っていきたい。
舞台に向かって降りる階段の端に立つと、座席から舞台までが一揃いの景色に見えた。それはある時に市街地で、ある時には荒涼とした土地で、ある時には宮殿になる。
小さなころに見たミュージカルのシーンが、そこかしこに当てはまっていった。革命に翻弄された少女と、それとは無関係に自由を喜ぶ民衆。
演者の再現したエネルギーが、舞台から階段を駆け上がって、俺を包み込むような妄想さえしてしまう。
………………。
…………。
……あれ。
「――ですか」
俺はなにをしてたんだっけ?
ああ。早起きして学校に来たんだった。それで、講堂に行った。
……それから、どうしたんだっけ?
「大丈夫ですか!」
おおう!
うーわ、びっくりした。誰か近くで叫んだのか?
大丈夫かってなにが――と思ったら、俺の目の前には階段が見えた。
そうだ、ここで妄想に浸ってたんだ――!
「ふあっ」
やばい、とか。まずい、とか。なにかそういうことを、口は勝手に喋ってくれるものだと思っていた。でも実際に出たのは、ふわっとした息の漏れたような声。
ふらついた体を元に戻すのは、出来そうになかった。元気な時なら出来たのかもしれないけど、しばらく続いていた寝不足が祟って、体力がまるでない。
せめて頭をかばって、肩とか背中辺りから落ちたほうがいいんじゃないかと、体を捻った。
が、それもさほど出来なかった。
それでも少し動いた視界に、誰か立っているのが見えた。
真っ黒で長い髪に、優しそうだけど心配そうな顔。なぜだか俺のほうに伸ばされた腕。
天井の照明がちょうど、後光が差してるみたいに見えた。
自由の女神?
かの有名な絵画に描かれた女性の姿が、その子に重なった。
もう夢なんだか現実なんだか分からない時間は、そこで終わった。
これが俺の体重で、重力なんだなっていうどうしようもない力が、俺を階段の下へと引きずっていく。
最初に打ちつけた何度かまでは物凄い痛みだったけど、途中から感じなくなった。
おい待て、さすがにそこまでの長さはなかっただろ。
って思うほどに長く衝撃が続いたあと、突然に落下が止まった。なにか非常ベルみたいな音が聞こえた気がしたけど、どんどんボリュームが下がっていく。
次に俺が目覚めたのは、病院のベッドだった。目の前に、夢かと思っていた自由の女神が居た。
なぜだか女神は、目覚めた俺に頭を下げる。
頭を下げる理由も聞こえていた。でも覚えてない。
それはそうだ。誰だってそうに決まってる。そうでない奴が居るなんて、認めない。
もう一度言う。俺の目の前には、自由の女神が居たんだ。
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