機動艦隊物語――鶴龍戦記――

七野りく

MIの鶴龍 上

 ――破局は唐突に訪れた。


「『加賀』、直上敵機っ!!」


 空母『飛龍』艦上、防空指揮所。見張り員の絶叫。

 艦橋内の、山口二航戦司令、加来艦長以下の主要幹部はいっせいに左舷後方へと目を向ける。

 小さな黒粒が次々と突撃を開始しようとしている。それを阻止する筈の上空直掩機の姿は見えない。先程まで続いた、敵雷撃機に対応すべく低空へ舞い降りてしまっているのだ。

 対空砲火もない――雷撃機群に気を取られ気付かなかったか。


「掌航海長、加賀へ報せてやれ」


 山口司令の言葉を受け、直ちに発光信号が送られる。

 ……間に合うだろうか。間に合ってくれ。

 この時の艦橋内の想いを要約すればそうなるだろう。

 しかし……


「『加賀』被弾!! 目下、炎上中!!!」

「『赤城』被弾!!!」

「『蒼龍』、艦後方に被弾! 行き足、落ちますっ!!」


 それは悪夢だった。

 開戦以来、広大な戦場を縦横無尽に駆け回り、無敵を誇ってきた日本海軍機動部隊――栄光の第一航空艦隊は、この僅かな間に壊滅していた。

 艦橋内の空気は凍り付き、誰も口を開く事が出来ない。

 開戦以来初となる、空母の損害報告を行っている、見張り員の声は震え、狼狽。

 だが、その重苦しい沈黙を破る凛とした声が艦橋内に響く。

  

「ただちに『飛龍』は敵に向かって進撃する。目標は――敵空母!」


 先程まで、寂しそうに炎上する『加賀』を見つめていた山口司令は今や闘志に溢れている。

 

「攻撃隊を発艦させます」


 加来艦長がその声に反応し、同意を求める。


「よし。準備完了次第、ただちに発艦させろ。出来る限り、戦闘機はつけてやるように」 


 一気に艦橋内が慌ただしくなっていく。

 大丈夫だ、『飛龍』は未だ健在。まだ……まだ負けたわけではない。

 どうやら、あの艦載機数といい、士気といい、敵は此方を俺との予想通り待ち構えていたようだ。ここまで、事前演習通りになるとは。

 『本日、敵空母出現の算なし』か……いったい、何の冗談だ?

 まぁいい……これから先は好きにやらせてもらうさ。何しろ、敵空母は複数。如何に『飛龍』航空隊精鋭といえど相討ちが限度だろう――そういえば、あの艦は無事なのか。

 その時だった、『飛龍』後方のスコールから巨大な艦影が現れた。

 見張り員が歓喜の声をあげる。


「『』ですっ! 『』健在っ!!」


 艦橋内にどよめき。

 珊瑚海でも被弾を免れたが、どうやら今回も死神の刃をすり抜けたらしい。

 そして――数多の戦史はこの後の発光信号を、ミッドウェー海戦後半戦を告げる字義通りの鐘であった、と書き記す事となる。



「『瑞鶴』より発光信号。『赤城』『加賀』『蒼龍』被弾。指揮機能、既に喪失と認む。我、今より航空戦の指揮を執る!」



※※※



「『飛龍』より発光信号。『了解。我等共に復仇を果たさん』」

「……飲んでくださいましたか。本来であれば二航戦司令は先任なのに、よくぞ」

「飲むさ。あいつはそんな馬鹿じゃない。他の戦隊司令共じゃ、航空戦の指揮は執れない事を分かっているし、何より俺の方が自分よりも空母の使い方が巧いのも知ってるからな。なに、同期の誼だろうさ。さて諸君――反撃だ」


 軍帽を目深に被り、そう嘯いた五航戦司令は、今までの機嫌良さそうな声を一変させる。

 艦橋内に緊張。ああ……司令はやる気だ。

 真珠湾でも、印度洋でも、珊瑚海でも、この人は常にそうだった。

 

 果断かつ慎重。

 激情かつ冷酷。

 兵には仏、士官には鬼。

 そして……帝国海軍の誰よりも、戦争が巧い。


 あの帝国海軍随一の猛将と謳われる角田四航戦司令をして『空母戦であいつの敵にだけは回りたくない。間違いなく負ける』と言わしめる機動部隊戦闘の熟達者。

 世界初の機動部隊戦闘となった『セイロン島沖海戦』では、敵捕捉後もたつく一航艦司令部を後目に独断で攻撃隊を発艦させ、英空母二隻を屠った。

 先の『珊瑚海海戦』では、GF(聯合艦隊)司令部に対して『敵空母に対して五航戦だけでは兵力不足』と散々脅し、増援兵力を得、結果、予想通り出現した米空母二隻を沈め、作戦目的すら完遂させてみせた。

 今回の作戦でも、当初参加艦艇から外れていた艦そのものは無傷の『瑞鶴』を参加させるべく、被弾した『翔鶴』はもとより、珊瑚海で共に戦い勝利を得、再編成中の三航戦からも一部、艦載機と搭乗員を移動させてまで、彼は参陣に拘った。

 曰く『戦力集中こそが基本』。


 

 ――結果、彼と『瑞鶴』は今、この海ミッドウェーにいる。 

 

 

 やれる。この人と本艦、そして『飛龍』健在ならば敵空母など問題ではない。

 後年、『瑞鶴』艦上にいた多くが、同様な事を書き記している。

 開戦以来、戦史に記載される程の戦果を挙げ続け、かつ上層部の理不尽な作戦命令に噛み付き、将兵の命を出来る限り救おうとしてきた五航戦司令への、信頼は厚かった。


『空母戦はうちの司令に任せておけば大丈夫だ。そうすれば俺達は勝てる』


 三空母被弾、という悪夢の中でも『飛龍』に比べ、『瑞鶴』で動揺が発生しなかったのは、ある種そのような共通認識があったからだと思われる。


「さぁ、忙しくなるぞ――本艦と『飛龍』にある十三試艦爆は全て先行させろ。少しでも情報がほしい。各戦隊の水偵も同様だ。上空にいる各艦の零戦は可能限り収容しろ。一機でも戦力がほしい。直掩機は絶やすな。警戒すべきは敵の降爆だ。飛行長、攻撃隊準備どうか?」


 矢継ぎ早の指揮。

「了解しました。準備完了済みです。ただちに発艦させます」「前衛部隊へ伝達します」「各搭乗員に徹底させます。攻撃隊は、戦闘機十二。艦爆二十四で編成します。準備完了まで――約一時間!」

 慌ただしくなった『瑞鶴』艦上。

 一通り指揮を終えた司令は、発光信号で未だ混乱している前衛部隊へ激を飛ばす



『全機今より発進。敵空母を撃滅せんとす』

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