第5章 そうして彼女は完成させた
メユがピノッキオドリームの開店準備のために看板を外に出していると、その時を見計らったかのようにニトがやってきた。
手土産のお菓子の詰め合わせを掲げて挨拶するニトに、最早初めて店にやって来た時のような遠慮がちな雰囲気はない。むしろ、親しい友人の家を訪れるかのようなどことなく楽しそうな雰囲気さえある。
まだ開店までに少し時間があったが、メユは笑顔で彼を店の中へと招き入れると、クリエもまたニトのことを快く迎え入れた。
「さて…… そろそろ人形作りも終わりが見えてきた。二人とも、準備は良いかい?」
「もちろん! 準備万端だよ、クリエ」
「はい、今日もよろしくお願いします」
クリエが柔らかな声音でメユとニトに声を掛けると、汚れても良いように作業着に着替えた二人は力強く返事を返した。完成が目前ということもあってか、二人の士気は非常に高い。クリエは元気の良い返事に満足したかのように大きく頷いた。
今日の作業は表面の仕上げと彩色だ。
人形に色を付けていく彩色は兎も角、表面を磨く作業はとても地味で根気のいる作業である。幼い二人が忍耐強く作業できるが不安が無かったわけではないけれど、この分であれば問題ないだろう。
「それじゃあ、早速だけれど作業に入って行こう」
………
人形作り自体はとても簡単だよ。一つ一つはとても単純な作業の積み重ねだから。クリエのその言葉に確かに間違いはなかったし、疑っていた訳ではないけれど嘘もなかった。
とはいえ、正直なところここまで忍耐の必要な作業の連続だとは思わなかったのも事実だ。
メユは防塵マスクと眼鏡で顔を覆いながら黙々と磨きの作業をする。
大きな傷は水を多めに含ませた粘土で埋め、小さな傷は荒い目のスポンジやすりで削り取る。そうして傷を全部取り除いたら、今度は細かい目のスポンジやすりで表面を磨くのだ。
クリエが作業がしやすいように分割してくれているとはいえ、すべての部品を磨き上げるのは中々の重労働だった。
「一気に仕上げなくても大丈夫だよ。休み休みでも良いから、丁寧に仕上げるようにね」
クリエは作業の合間に様子を見に来て、そう声を掛けてくれた。
そこでようやく私達は、キリエに完成品を見せたい一心で作業に集中し過ぎていたことに気付くのだった。
「ふぅ…… ちょっと作業しすぎちゃったね? ニト」
「うん。少しだけ一休みをすることにしようか」
ひとしきり人形の目立った傷を取り除いた所で、ニトに声を掛けて一度作業の手を止める。周囲には机の周りには削りカスが散乱していて、作業着のあちこちにもスポンジやすりの切れ端がくっついていた。
「どうだい? ここらで一息入れないかい?」
一旦、私達が作業場の片づけをしていると、丁度よくクリエが作業場に入ってきた。フッと顔を上げて時計を見遣れば、もうすでに時刻は御昼前だ。道理で身体が固くなって、お腹が空いてきてしまったわけである。
「じゃあ、お昼ご飯にしよう。ニトも食べるだろう?」
「良いんですか?」
「勿論だとも。まぁ、もう三人分作ってしまったのだけれどね。さぁ、二人とも手を洗っておいで」
「はい」
元気よく返事を返して私達は洗面所へと走って行った。
手を洗ってからリビングへと行くと、クリエは三人分の食事を机に並べている所だった。
こんがりと美味しそうに焼かれたパンと、それから、濃厚なクリームシチュー。
「僕も午前中は作業していたから、こんなものしか作れなかったけどね」
「ううん、とっても美味しそうだよ」
「そうかい? それは良かった。ニトも遠慮せずに食べてくれて良いからね?」
「はい。ありがとうございます」
そう言いながら椅子を勧めるクリエに促されて、私達は食卓に着く。食卓に着くとパンとシチューの優しくて甘い香りが食欲をそそった。
「いただきます」
私達は手を合わせて食べ始める。普段はクリエと二人で食事を摂るので、お客さんが来てくれるといつもの食事も華やいで見える。
やっぱりお客さんを迎えてする食事というのは良い物だ。
「それで、人形作りの進捗はどうだい? 順調に進んでいるのかい?」
「うん、順調だよ。あらかた傷は取り終えたところ。午後からは表面処理をして、彩色していくつもり」
「そうか。それなら午後は彩色に使う道具を準備しないとね。でも、彩色する前に複製はしなくて良いのかい?」
「複製?」
複製という言葉を聞いて、ニトは不思議そうな表情を作った。
あぁ、そうか。ニトは人形作りの初心者だったっけ。
「複製って言うのはね、さっき作った人形を原型にして同じものを作るの」
「そんなことができるの?」
「そうだね…… 折角だから実際にやってみることにしようか?」
「はい!」
「決まりだね。じゃあ、午後からは複製の作業にはいることにしよう」
クリエは簡単に複製すると言ったけれど、その複製作業というのは、忍耐の必要な作業だ。
複製をするためにはまずシリコンで型を作らなくてはならない。その型を作るための手順はこうだ。
まず油粘土を平らに均して、そこに作った原型を半分だけ埋没させシリコン樹脂を流し込んで固まるのを待つ。
次に固まったシリコンをひっくり返して油粘土を綺麗に取り除き、理型剤を塗りなおしてもう一度シリコン樹脂を流し込んで再び固まるのを待つ。
最後にシリコン型を剥がして、原型を取り外したら、レジンが流れる通り道や空気穴、それから注ぎ口を彫り込んでようやくシリコン型の完成だ。
「丸一日作業するのは、流石に疲れたぁー……」
「本当、クタクタだよぉー……」
「よく頑張ったね、二人とも。本当にお疲れ様」
気が付けば、もう外は日が沈みつつあった。午前中から丸一日かけて作業していたので、すっかりへとへとだ。私が工房の椅子に座り込んで、作業台に突っ伏すと、ニトも同じようにぐったりとしていた。
クリエも労いの言葉を掛けてくれたけれど、そんな言葉に応える余裕もなかったくらいだ。
「僕は店の方を閉めてきてしまうから。一休みをしたら、二人は工房の方を片付けてくれるかい?」
「はぁい」
…………
……
…
っと、まぁ、私達は当初の予定に無かった作業をしたりしたけれども着々と作業を続けて、とうとうこの日がやってきた。
「さぁ、最後に目を入れて御覧。それで人形の表情がグンと良くなるから」
クリエに促されて、はやる心を押さえつつ、震える筆先で人形の瞳に色を載せる。そうして人形に命が吹き込まれると、人形の表情が明るくなったようにさえ思えた。
「できた!」
「完成だ!」
「おめでとう、二人とも。よくやったね」
ようやくキリエが日の本の国の伝統的な衣装である浴衣を着た人形を完成させることができた。
手を叩いて喜んでいると、クリエは私達の頭を撫でてくれた。
「うん。ありがとう。クリエ」
「クリエさんのお陰で、人形を作ることができました。ありがとうございました」
おめでとう、とクリエは改めて口にする。
嬉しくなって、私がついついクリエに抱き着いてしまうと、ニトも私の真似をして少しだけ恥ずかしそうにしながら控えめに抱き着いた。
「ううん、僕は助言をしただけだよ。これは二人が頑張ったから完成したんだ」
困ったのはクリエの方だ。苦笑いを浮かべながらそんな謙遜をする。
それでも良かった。クリエがいなかったら私もここまで頑張れなかったと思うし、こんなに素敵な作品を作れるとは思わない。
「そうかい…… それなら、僕も助言した甲斐があるってもんだ」
「うん、そうだよ。あんまり謙遜しすぎるのはよくないよ、クリエ」
「あはは…… 今度から気を付けるよ、メユ」
ポンっとクリエのお腹に拳をくっつけつつクリエから離れると、彼もまた笑みを収めた。
「それで、君達はこれからどうする? すぐにでもキリエちゃんの所に人形を届けに行くのかい?」
「はい。姉ちゃんもずっと楽しみに待っていると思うので、このまま病院に持っていきたいと思います」
「そっか、それなら…… 僕の作品も一緒に持って行ってもらっても良いかな? 僕なんかが持っていくよりも、君達が持って行ってくれた方が喜ぶと思うから」
「お安い御用だよ、クリエ」
……
クリエから受け取った人形と私達で作った人形。その二つの人形を持って私達はキリエの居る病院へと向かう。
「あら、メユちゃんにニト君。こんにちは。今日もキリエちゃんのお見舞いかしら?」
「うん! 今日はね、とっておきの贈り物もあるんだよ?」
「贈り物って、その箱に入っているものかしら?」
「はい! 僕たちが作った人形と、クリエさんが姉ちゃんのために作ってくれた人形です」
「へぇ、人形かぁ。きっと喜ぶわよ ……はい、受付おしまい。気を付けて行ってらっしゃい」
受付に行くと、すっかり顔馴染みになった看護師さんが私達の対応をしてくれた。面会者用の受付バッチを受け取り、すぐさまキリエの待つ病室へと向かった。
怪談を上って、二階にあるキリエの病室に行くと、彼女は窓から私達が来る姿を見つけていたらしく待っていてくれた。
「こんにちは、メユ、ニト」
「こんにちは、キリエ。調子はどう? 気分が悪かったりとかしなかった?」
「えぇ、お陰様で最近は調子がとっても良いの。ふふ、これも二人がお見舞いに来てくれるからかしらね?」
「それは買い被りすぎだよ、姉ちゃん。病気がちょっとずつ良くなっているんだって」
「そうかしら? それなら猶更二人にお礼を言わないとね」
そう言って彼女は、クスクスと楽しそうに笑った。釣られて私達も笑顔になってしまう。彼女の笑顔には見ているこちらまで幸せにしてくれる不思議な魅力があるのだ。
「そうだ、メユ。忘れないうちに姉ちゃんにアレを渡さないと」
「そうだね、ニト。キリエには驚いて貰いたいしね」
うんと頷いて私達は、早速持ってきた箱をキリエに手渡す。二つの箱を手渡されたキリエは不思議そうな表情でそれぞれの箱を見つめていた。
「……なにかしら? メユ、これは私が開けてみて良いの?」
「うん、開けてみてよ。きっと喜んでくれると思うから」
「分かったわ、それじゃあ…… 遠慮なく……」
丁寧な手つきでキリエは紐をほどき、箱を開けてゆく。中に敷き詰められた緩衝材を取り除いて、中身を見た時、彼女は心底嬉しそうな表情を浮かべてくれた。
中に入れておいたのは日の本の国の伝統的な衣装で身を包んだ黒髪の少女の人形。
即ち、キリエのために作った、世界で一つだけのキリエの人形だ。
「まぁ、素敵…… 本当に、本当に頂いてしまって構わないのかしら?」
「もちろんだよ。私達はそのために頑張って作ったんだからね」
ね、と言って視線をニトに向けると。彼は「そうとも」と力強く頷いて応えてくれた。
「ありがとう…… 二人とも、本当に……」
クリエの言っていた事は本当だった。
私達の人形は拙いかもしれなかったけれど、それでもキリエはこれ以上ないほどに喜んでくれた。彼女が言葉を詰まらせながら告げてくれた感謝の言葉は。それだけで今までの私達の苦労が報われていくようだったし、うれし涙を堪える彼女の姿は私達の胸を熱くさせた。
「姉ちゃん…… まだ泣くのにはちょっと早いよ。クリエさんからの箱の方も開けてみて」
「う…… うん……」
そっと簡易机の上に人形と箱を避け、キリエは鼻をすすりあげながらもう一つの箱の方に手を掛ける。彼女が震える手で箱を開けると、今度こそ彼女は嬉しくてこらえきれずに泣き出してしまった。
中に入っていたのは、キリエの人形とおそろいの浴衣を着た私の人形。
二人を並べると、丁度仲良くお祭りを楽しんでいるように見える構図だ。
キリエは二つの人形をそっと簡易机に並べると、ベッドから身を乗り出すようにして私達のことを力一杯抱きしめてくれた。
………
どれくらいそうしていただろう。キリエの頭を撫でてあげながら落ち着くのを待っていると、ゆっくりと彼女は私達の肩口から顔を離した。
「ごめんね、二人とも。嬉しくて…… つい、取り乱してしまったわ……」
「ううん、そんなに喜んでくれたのなら私達も嬉しいから」
キリエはそう言って謝ったけれど、私達にとっては嬉しい反応以外の何物でもなかった。目尻にはまだ涙の跡が残っていたので、そっと指先で涙を拭ってあげると、彼女は「ありがとう」と言って小さく笑った。
彼女の泣き顔の微笑には、ついつい私達も涙腺が緩んでしまう。
悲しくないのに涙が出るというのは、生まれて初めてのことで、なんとも不思議な気分だったけれど、それはそれで悪いものではなかった。こんな素敵なことを教えてくれたキリエに、私の方こそお礼を言いたいくらいだ。
なんとなく、キリエのことがハグしたくなってもう一度ギュッと彼女を両腕で抱きしめると、彼女は驚いたような表情を作りながらもソレを受け入れてくれた。
「そうだ。私も二人に贈り物があるの」
キリエから離れると、彼女は何かを思い出したように告げた。なんだろうと思いながら見ていると、キリエはゴソゴソと机を漁って一冊のノートを取り出して私に手渡してくれた。
私はこのノートには見覚えがあった。
キリエがいつぞや一生懸命に何かを書きつけていたものだ。たしか「今はまだ何を書いているか教えてあげられない」と言っていたのではなかっただろうか。
「うん、そうね、でも、秘密にしているのはこれでおしまい。今はメユに読んでもらいたいの」
そう言って微笑みながらノートを捲るように促された。私はニトと顔を見合わせたあと、二人でページを捲る。
そこには、丸みを帯びた小さな可愛らしい文字で小説が書かれていた。命を吹き込まれた人形が病弱な少女を喜ばせるために、奔走するという物語だ。
恐らくは実体験を元にした小説なのだろう、読んでいる私もついつい頬が緩んでしまう。
拙いながらも一生懸命に書かれた物語は、その技術以上に私達を惹きつける何かがあって、私達は夢中になって物語を読んだ。
「どう、かしら……? ノーラさんにね、書き方を教えてもらいながら…… 書いて、みたのだけれど……」
私達があまりにも夢中になって読んでいたせいか、キリエは少しだけ落ち着かないとでも言うように、手遊びをしながら感想を求めてきた。
「すごく良い、私達のために書いてくれたんでしょう?」
彼女の手を握って応えると、キリエは安堵したかのように顔を綻ばせながら頷いた。
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