ひなた、ブルーの空への第一歩

鏡野ゆう

第一話

『貴方は翼を失くさない』のちはるちゃんと榎本さんの娘、ひなたちゃんが登場です。なんとひなたちゃん、とうとうパイロットになってしまったようです……なエピソード。



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『ひなた、一足先に松島まつしまに行って待っているからな、頑張ってこっちに来いよ』


 夫である悟志さとしさんが、冗談混じりにそんなことを言って、小松こまつから松島に向かったのは一年前のことだった。あれから十二ヶ月、私は悟志さんの言葉通り、航空自衛隊松島基地のゲート前に立っていた。


 警備に立っていた隊員に、身分と氏名を伝えると、驚きと好奇心が混じった顔で敬礼をされる。


 そしてゲートを通りすぎたところで、見覚えのある制服姿の男性がこちらにやってくるのが見えた。以前より短く刈り込まれた髪、相変わらずの飾りっ気のないフレーム無し眼鏡。そしてレンズの向こう側から、なにが起きても冷静さを失わない目が、私のことをまっすぐ見つめている。


「悟志さん」

「やあ、来たな。……ようこそ松島基地へ、曽根崎そねざき一等空尉」


 目の前に立って一瞬だけ微笑みを浮かべた後、すぐにあらたまった顔をして敬礼をしたので、慌てて私も答礼をした。


「わざわざのお出迎え、ありがとうございます、曽根崎三等空佐。……ところで、管制塔から出てきてしまって、良かったの?」


 悟志さんの職種は航空管制。この松島基地で離着陸する、自衛隊機を誘導する管制業務がその任務だ。訓練で戦闘機が何度も離着陸している中、抜け出してきても良いのだろうかと少しだけ心配になり、声をひそめて質問をした。


「妻が着隊してくる日なのに、夫である俺が出迎えなくてどうするんだと言われて、上官に追い出されたんだよ」


 そう言ってニッコリと微笑むと、並んで歩きだす。 


「着隊の報告までは付き添ってやれないが、せめて僚機として、司令の部屋の前までぐらいはエスコートしたいと思ってね。そこまで送り届けたらちゃんと仕事に戻るから、心配することはないよ」

「そうだったの。正直言うとちょっと緊張しているから、報告前に悟志さんの顔が見れて嬉しいな」

「またまたそんなことを言って。ひなたのことだ、いつもみたいに相手がなにか言う前に、ガツンとかます気でいるんだろ?」


 悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた悟志さんが、わかっているぞとばかりにこちらを見下ろした。


「そんなことはしません。相手は基地司令の空将補様よ? 一等空尉ごときが、口先だけの先制攻撃をできるとでも?」

「君だったら、やりかねないと思ったんだがな」

「ですからそんなことはしませんてば。私だって、場をわきまえることぐらいできるんですからね? ちゃんとお行儀よく、司令には御挨拶します」


 とは言うものの、今までの経験からして、諸手を上げて大歓迎という雰囲気ではないことだけは確かだろう。だから今の気持ちは、緊張しているというよりも、少しばかり憂鬱ゆううつというのが正直なところだ。


「ところで子供達は? 元気かい?」

「ええ。私がここに配属されることになると知って、大騒ぎらしいの。訓練に入るだけでまだ決まったわけじゃないんだから、あまり言いふらさないようにって言い含めてくれているんだけど、昨日も全然寝なくて大変だったって、母が電話で言ってたわ」

「お義父とうさんとお義母かあさんには、申し訳ないことになってしまったな」


 今度の転属では、少なくとも数年は夫婦で同じ基地で勤務することになるのだから、子供達も連れて松島に来ようと考えていた。だけど父が、お前が行くところはそんな生半可な気持ちで勤まるような場所ではないだろうと言って、子供達を期間限定で預かってくれることになったのだ。


「曽根崎の御両親と、四人体制で子供達をコントロールするから心配するな、ですって」

「退役したとは言え、元自衛官が四人でかかれば、さすがの子供達も大人しく従うか」

「多分ね」


 基地の建物に入り、基地司令の執務室まで案内してもらう。


「さて、俺はここまでだ」

「ありがとう。またあとでね」

「ああ。ひなた、Cleared for take off」

「Roger,cleared for take off」

「またあとで」


 悟志さんは、指を額に当てて軽く敬礼をすると、その場を立ち去った。さあ、ここからが本番。腕時計で時間を確かめる。指定された時間7分前。ちょうどいい頃合いだ。


 深呼吸をして、ドアをノックをする。


「曽根崎ひなた一等空尉です」

「入りたまえ」


 すぐに返事が返ってきた。ということは、相手も私が来るのを待っていたということだ。


 ドアを開けると一礼して部屋に入り、デスクの前にまっすぐ向かう。そし、デスクの向こうでこちらを見ていた相手の前で敬礼をした。


「曽根崎ひなた一等空尉、本日付で、第四航空団飛行群第11飛行隊に着隊いたしました」


 そう。私が配属されてきたのは松島基地にある第11飛行隊、通称ブルーインパルス。沖田おきたさんや風間かざまさん、そして葛城かつらぎさんがかつて所属していたことのある、青いイルカ達がアクロバット飛行で大空を舞う飛行隊だ。


「松島基地司令、芹澤せりざわだ。そして、こちらが君の直属の上官となる第11飛行隊の飛行隊長、羽原はばら二佐だ」


 そこで初めて、横に立っていたもう一人の人物へと視線を向ける。


「曽根崎一尉です。よろしくお願いいたします」


 そう言って敬礼をすると、羽原二佐もうなづきながら敬礼をした。その顔からはなんの感情も読み取れない。新しく配属されてきたパイロットが女性だと知った時、この人は一体どんな顔をしたのだろう。


「さて、曽根崎一尉。君がここに配属されることが決まってから、あらためて私と羽原君とで、君の経歴を読ませてもらった。小松こまつの飛行隊に配属されてから十一年。堅実にキャリアを積み上げてきたようだな」

「ありがとうございます。ひとえに、教官と上官が厳しく指導してくださった賜物です」


 途中で妊娠、出産、そして育児のために現場から離れていた時期もあったから、同期の男性パイロットと比べると、飛行資格に関して遅れをとっていることは自分でも自覚していた。だからこそ、任務についている時は人一倍努力をしてきたつもりだ。だけどそれもやはり家族の協力、そして教官や上官の指導があってこそ。自分だけの力では、とてもここまでこられなかっただろう。


「パイロットの技量は本人のたゆまぬ努力の結果ではあるが、資質も大きく関わってくるものだ。君の御両親も素晴らしいパイロットだったと聞いている。やはり、サラブレッドというものは存在するのだな」

「私が両親から受け継いだものは『現状に満足せず、技量向上のために日々努力を続けること』という言葉だけです」

「だが飛行センスは、本人の努力だけではどうにもしようがないことも事実だ」


 羽原二佐が口を開いた。


「ブルーでは操縦の技量もだが、その飛行センスも問われることになる。今までとは違う飛行だ。これまで学んできたことは一旦リセットして、ブルーの一員として訓練に臨んでほしい」

「はい。わかりました」


 そこで、芹澤空将補が一息ついてデスクに肘をつく。


「ところで、一尉はブルーにやってきたパイロットが、どのようにして訓練を進めていくか知っているかね?」

「はい。最初は展示飛行には参加せず、地上での任務になると聞いています。本格的な訓練に入るのは、着隊してから一年してからだと」

「その通り。だが防衛省としては、初の女性ドルフィンライダー候補となった君を、広告塔として使いたいというのが本音らしくてね。それもあってのイレギュラーな時期の異動だ。上からは早々に飛行訓練を始めて、できる限り早く展示デビューをさせろと矢の催促なんだ」


 司令は、困ったものだよと溜め息をついた。横に立っている二佐も、空将補ほどではないにしろ渋い顔をしている。そして二人がここで黙り込んだということは、私に自分の考えを述べよということらしい。


「ブルーが、広報目的で編成された飛行隊であることは承知しておりますが、航空自衛隊が女性にも公平なチャンスを与えているということを示すのであれば、なおのこと、今までブルーインパルスがおこなってきた訓練課程を、曲げるべきではないと思いますが」

「それを私だけではなく、さらに上の人間を前にしても言えるかね?」

「当然です」


 そう答えると、司令は満足げな笑みを浮かべてうなづいた。


「うむ。その言葉を聞いて安心した。女性パイロットとして初めてここに配属され、浮かれているのではないかと少しばかり心配していたんだが、その点はまったくの杞憂きゆうだったようだな」


 そう言いながら、司令は二佐を見て笑う。


「まさか、自分をお試しになったのですか?」

「いや。試すというよりも、君の気持ちを確認しておきたかったというのが、我々の正直な気持ちだ。知っての通り、ここに配属されてきても、展示飛行に参加することなく元いた飛行隊に戻る隊員もいる。我々としても、広報用のマスコット要員を育てるつもりは毛頭ないのでね」


 そこで司令は椅子から立ち上がった。


「では、第11飛行隊のパイロット達を紹介しておこう。ついてきたまえ」


 そう言うと、私達はライダー達が待機している部屋へと向かった。

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