第三十九話 観艦式 3

「はー……めっちゃエエ天気やな、俺はアレアレちゃんやけど」


 俺がそう言うと、葛城かつらぎがおかしそうに笑う。


「笑いごとやあらへんで。まったくもう、俺はめっちゃ、アレアレちゃんなんやからな」

「なんていうか、早く通常の影山かげやまさんモードに戻してほしいですね、それ」

「ほんまやで。こんなん、調子でえへわー、あかんわー……と、やのうて、アレアレやわー」


 とうとう葛城が噴き出した。


「せやから、笑いこどやあらへんのやて」

「俺も笑いごとじゃないです。それを聞くたびに、変な笑いが込み上げてきて困ります」

「お互い、デュアルソロがのうて良かったわ」

「まったくです」


 入間いるまに来て二日目、参加する全機での予行訓練を明日にひかえ、今日は実際の観艦式会場上空を飛ぶことになっている。そして俺の調子が出ないのは、六番機の後ろに、れいの海自さんが乗り込むことになったからだ。隊長によると、今日は飛んでいる間も、黙っていなければいけないらしい。あかんやん。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」


 俺と葛城がエプロンに出ると、あの海自さん、準備を終えた長野ながの三佐が待っていた。さすがパイロットなだけあり、フライトスーツを着た姿はサマになっている。


「おはようさんです。教官さんが一緒というのは、なんや緊張しますわ」

「それは、長野三佐を乗せて飛ぶ俺のセリフですよ。久し振りです、教官を後ろに乗せて飛ぶなんて」

「いえいえ、自分のことはお気になさらず。それに今日は、ブルーと一緒に飛べて役得やくとくなんですよ」


 長野三佐は、かかえていたブルー仕様のヘルメットをかざして笑う。


「そう言えば、小月おづきにはホワイトアローズがいますよね。長野三佐は、そこで飛んでいらっしゃらないんですか?」


 葛城が質問をした。ホワイトアローズとは、海自に所属するアクロバット飛行をするチームだ。もともとは、教官の技量向上を目的とした飛行隊で、海自パイロットの任務の特性上、俺達のような激しい曲技はおこなわず、編隊飛行を中心としたプログラムを飛ぶ飛行隊だった。


「異動になる前は、その末席に、座らせていただいていましたよ」

「やっぱり。ますます緊張しちゃいますね」

「自分のほうこそ、今日は勉強させていただきます」


 空自の俺達が、こんなふうに海自のパイロットを乗せて飛ぶことはめったにない。それはあちらも同様だろうし、緊張するのはお互い様だ。


「どうせ乗ってもらうんやったら、松島まつしまで乗ってもらえば良かったのに。それやったら、思う存分、ブルーを堪能してもらえたのにねえ」

「それは後から後悔しました。また機会がありましたら、その時にお願いします」


 そこで無理にでも押しかけてこないところが、生真面目な海自さんらしいところだ。そうこうしているうちに、離陸前の点検が終わり、隊長や班長がハンガーから出てきた。


沖田おきた隊長、今日はよろしくお願いします」


 長野三佐が、隊長に向けて敬礼をする。


「こちらこそ。なにか不備があるようなら、遠慮なくおっしゃってください。もちろん、パイロットの技量のことで気になることでも歓迎しますよ」

「うわ、オール君、大変や。自分、飛んでる時に採点されるで」


 隣にいた葛城の脇を小突いた。


「やめてくださいよ、めちゃくちゃ緊張するじゃないですか。それに、こういう時の教官は、俺だけじゃなく、ちゃんと全体を見ますからね。採点されるのは俺だけじゃないですよ」

「うわー、かなわんで、ますます、アレアレや」

「ああ、ところで影山三佐」


 長野三佐が、なにか思いついたような顔をした。


「なんですやろ」

「いつもの『飛びたない』は、言わなくても大丈夫なんですか?」

「は、はい?」


 いきなりのことに声がひっくりかえる。もちろん驚いたのは俺だけでなく、他の連中もだ。海自さんに聞かれたら一大事だからと、俺の『飛びたない』を封印しろと言われたのは、全員がそろっていたブリーフィングでのことだったのだから。


「飛びたない、ですよ。いつも飛ぶ前は言ってるらしいじゃないですか」

「え、いやあ、なんのことですやろ……」


 しらばっくれてみるが、長野三佐の表情を見る限り、それはムダに終わりそうだ。


岩国いわくににいる同期が、ブルーの影山さんは面白いって教えてくれましてね。パイロットなのに、いつも飛びたくないって言いながら飛んでるって。で、それを聞くのを楽しみにしていたんですが、今のところ口にする気配がないので、どうしてなんだろうと」

「あー、そこから漏れてたんかいな、かなわんで」

「はい?」


 人畜無害な様子でニコニコしている三佐に、ため息をついた。そして隊長のほうをうかがう。隊長は、なんとも言えない表情のまま、うなづいた。よっしゃ、どうやら「飛びたない」解禁らしい。


「いや、ほら、海自さんの前でそれを言うのは、やはりあかんやろうと思いまして、自重していたんですが」

「そうだったんですか。ですが、それで調子が出なかったら困るでしょう。いつものルーティーンに含まれてるのでしたら、自分のことはお気になさらず。今の私は教官ではありませんし、影山三佐がなにを言おうと、聞いてませんから」


 そう言ってニッコリとほほ笑んだ。


「おお、ほな、遠慮なく! あー、もう口にできひんから、めっちゃ調子くるって、どないしようかと思ってたんですわ。もー、本気でどないしようか思うたわ。あー、もう飛びたないで、ほんま。なんで後藤田ごとうだだけで飛ばへんねん、あー、飛びたない飛びたない!!」


 そう叫びながら、五番機のもとへと向かった。



+++++



「あー、飛びたない飛びたない!!」


 嬉しそうにそう叫けび、五番機に向かう影山三佐の後ろを歩きながら、俺の横で長野三佐が笑った。


「あの、もしかして、松島基地でもお気づきになっていたんですか? 影山さんの、あれ」

「観艦式やから、晴れてもらわなあかんけど、やっぱり飛びたないわー! なんで雨ふらへんねん! あ? 雨でも観艦式は中止にならへん? あかんやーん!」


 質問のあいまにも、前を歩く影山さんの愚痴りは続く。


「さっきも言いましたが、岩国で哨戒機しょうかいきを飛ばしている同期がいましてね。そいつが、今のブルー五番機のライダーは、めちゃくちゃ面白い人だって言ってたものですから。なので一緒に飛ぶのを楽しみにしていたんです」

「海自さんの手前、飛びたくないと愚痴るのはまずいと、封印することにしていたんですよ」

「ああ、そういうことだったんですね」


 長野三佐はうなづいた。


「パイロットには、それぞれのルーティーンはありますからね。訓練生ならともかく、一人前のパイロットだから特に問題はないと思いますが」

「それは、パイロットとしての意見でしょうか? それとも海自としての意見?」

「さあ、私個人の意見としか。でも、海自にも似たようなパイロットもいますし、出港前に決まったことをしないと、落ち着かない護衛艦乗りもいますからね」


 それは初耳だった。空自の俺達は、海自の中の人達が普段どういうことをしているのか、知識として知ってはいても、実情を知ることはあまりなかった。父には陸海それぞれに同じ世代の友人がいて、様々な情報のやり取りをしていると言うが、そういうことは俺達にも必要なのかもしれない。


「でも、飛びたくないなんて言うパイロットは、いないでしょ?」

「まあたしかに、影山三佐のあれは珍しいかな。でも、船酔いする船乗りがいるぐらだから、飛びたくないパイロットがいても、おかしくはないと思いますよ」

「あー、なるほど」


 俺が機体のチェックをしている間に、長野三佐が後ろのシートに座った。キーパーの森田もりた三曹が横につき、ハーネスの確認をする。相手がベテランであろうと、初めて飛ぶゲストであろうと、やることは同じだ。なにごとも慎重に、そして完璧に。それが六番機組のモットーだった。


「海自さんのお客さんとはまた、珍しいですね」


 宮嶋みやじま一曹が言った。


「影山三佐のあれは良いんですか? 前に海自さんが来てた時は、封印してましたけど」


 五番機の点検をしながら、ブツブツと飛びたくない理由をあげつらっている影山さんを指でさす。


「長野三佐はご存知だったんですよ、影山さんの愚痴り。なので解禁になりました」

「なるほど。でも良かったです。いつものが聞けないと、自分達も落ち着かなかったので」

「それは俺も同じです」


 六番機の点検も完了。コックピットにあがると、座っている長野三佐はすでに仕事モードらしく、クリップで足にとめてある航路図を見ながら、ペンでなにかを書き込んでいた。


「では、長野三佐、本日はよろしくお願いします」


 そう声をかけると、三佐が顔をあげた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 シートに落ち着くとハーネスをしめ、ヘルメットをかぶる。観艦式がおこなわれる海域では、すでに何隻かの護衛艦が予行訓練のために出ているらしい。そして今回は、その中の一隻がブルーのために、本番の観閲艦と同じタイミングで、同じルートを航行してくれるということだった。


「では、エンジンスタートします」

「どうぞ」


 隊長の指示が入ったので、長野三佐に声をかけてからエンジンをスタートさせる。いつも通りの快調な音。宮嶋一曹の満足げな顔を見るまでもなく、今日も六番機は絶好調だ。キャノピーをしめ、滑走路に出る。


「残念ながら今日は通常のテイクオフです」

「それは残念ですと言いたいところですが、さすがにそこまで心づもりはできていないので、通常のテイクオフで安心しましたよ」


 俺が知らせると、長野三佐が笑いを含んだ声で返事をした。俺の前の五番機、影山さんが「今日の訓練も無事に終わますように!」と柏手かしわでを打つのが耳に入ってくる。たしか護衛艦には神棚があって、乗っている人達は、毎日のように神棚の前で手を合わせているとか。


―― 影山さんのあれも、考えてみたら、それと同じなんだよな…… ――


『こちら入間基地管制塔。上空に民間機などの機影なし。ブルー各機は順次、離陸してください。訓練、お気をつけて』


 管制塔からの指示が入り、隊長がそれに答える。そして一番を先頭に、次々とブルーの機体が離陸した。


「では、行きます。06、テイクオフ」


 六番機は滑走路を加速し、雲一つない空へと飛び立つ。そしてすぐに、先行していた一番機を先頭に編隊を組む。六機がならぶと、長野三佐が感心したようにうなづいた。


『こちら01。これより、観艦式本番と同様のルートで会場上空へと進入する。現状の気象状況では、ルートを変更する予定はない。編隊を変えるタイミングは班長の指示で』


 隊長の指示に、全員がラジャーと答えた。俺の後ろでは、長野三佐が海自側の誰かと交信を始めた。どうやら、護衛艦の現在位置の確認をしているらしい。


「沖田隊長、目印の護衛艦もブルーに合わせて航行を開始しました。今のところ、タイムテーブルとの誤差はプラス3秒。ブルーが会場上空の空域に入るまでに誤差修正をすると言っていますので、このまま飛行を続けてください」

『了解しました』



 そしてその日の訓練は、それぞれ満足できる結果となった。地上に戻った俺達に、「私は明日からは一緒に飛びませんが、本番もよろしくお願いします」と言って、長野三佐は満足げにほほえんだ。

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