第三十七話 観艦式 1

 年に一回、自衛隊は観閲式をおこなう。陸海空それぞれが持ち回りで、陸自は朝霞あさか駐屯地、海自は相模湾さがみわん、空自は百里ひゃくり基地で開催される。そして今年は海自が受け持ちの年だった。


「これが今年のタイムテーブルです」

「拝見します」


 その日、松島まつしまに海自から担当官がやってきた。空自や陸自からも航空機が参加する中で、ブルーも飛ぶことになったからだ。観艦式のタイムテーブルを受け取った隊長が、自分達が飛ぶ時間帯の確認をする。俺もコピーしたものを渡された。そこには、艦隊の動きが秒単位で書かれていた。


「はー……これは」


 あまりの緻密ちみつさに、思わず声が出る。前任の吉池よしいけ班長も、リモート展示の時はかなり細かくプランニングをする人だったが、これはそれ以上の細かさだ。


「海自だけならほぼその通りですが、ご存じのとおり、観艦式では他国海軍の艦船が参加します。初参加の国もありますので、ある程度は時間の余裕はもたせてあります」

「時間の余裕……」


 とは言え、参加する他国海軍の艦船も、海自とは頻繁ひんぱんに航行訓練をするお馴染みさん達がほとんどらしい。どちらかと言えば、俺達のほうが新参者あつかいだ。


―― 国際観艦式やら演習で、しょっちゅう航行訓練してるみたいなもんやしなあ…… ――


 もしかしたら彼等の艦隊運用は、同じ自衛隊内の陸自空自よりも息があっているのでは?と思わないでもない。


「この、総理大臣訓示の長さの目安は一体?」


 隊長が、総理訓示の横に書いてある時間をさしながら質問をする。


「これまでの大臣訓示の長さと、今の総理の話すスピードを計算してこの時間に」

「計算……」


―― 吉池班長真っ青、待ったなしやな…… ――


「これは首相側にも時間指定を?」

「はい。いつも時間内におさめていただけるので、こちらも大変助かっています」


 隊長の質問に、担当官は当然と言いたげにうなづいた。恐るべし海自。


「それで、ブルーさんの課目を確認させていただいたのですが、一番問題になってくるのは、おそらくサクラの部分でしょうか?」

「そうですね。編隊航過は、直前でもある程度の変更はできますが、サクラは開始すると、ストップミッションをしない限り、場所の変更はできません」

「なるほど」


 展示飛行する時も、風向きや雲の高さによっては進入方向を微調整することがあるが、下は固定された地面で動くことはない。だが、観艦式の場合は違う。自分達も動いているが、下もまた、動いているのだ。


「サクラは、観閲艦かんえつかんの上空で行なうことになるわけですよね」


 隊長の質問に、海自の担当官がうなづく。


「そうですね」

「こいつがジッとしててくれれば、もうちょい楽なんやけどなあ……」

「申し訳ない。観閲側も受閲側も航行しながらというのが、海自うちの伝統なもので」


 俺のつぶやきに、担当官がニッコリとほほ笑みながら言った。だがその顔は、申し訳なさそうには見えない。それどころか、どこか誇らしげだ。


 それもそのはず。観艦式で、観閲側と受閲側両方が航行しながら行う方式をとっているのは、今では海自ぐらいなものらしい。この方式は高い操艦技術が求められるもので、それを続けていることは海自の誇りでもあるのだから。


「海自の伝統と言われたら、こちらもそれに合わせるしかないですね」

「よろしくお願いします、沖田おきた隊長。なにか不明なところがありましたら、私のほうのにご連絡ください」


 そう言って、担当官は名刺を差し出した。


「普段の任務はなにを……長野ながの三佐?」

「私ですか? 今年度は観艦式での交渉役を任されましたが、普段は、小月おづき基地で航空学生の教官をしております。上から、飛ぶ相手との交渉事は、飛ぶ自分が適しているだろうと」

「なるほど」


 しばらくの間があり、ふたたび隊長が口を開く。


「昼からの飛行訓練を見ていかれますか? 観艦式ではご一緒するわけですから、まずは我々の練度がどの程度のものか、見ていかれては? 海自の教官に、我々の訓練を見ていただく機会もなかなかありませんから」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、拝見させていただきます」



+++++



「いやしかし、これはなかなかハードですやん? タイミング的な話ですけど」


 部屋を出ると、他のブルー達がいる部屋へと向かう。きっと今頃は、どんな話があったのだろうと、全員が隊長を待っているに違いない。


「だからと言って、できませんとは言えないだろ?」

「そりゃまあ? どちらにしろ、サクラに入るまでの課目で、ある程度の調整はできる思いますわ。知らんけど」


 こういう時こそ、吉池班長がいてくれたらって思わないでもない。まあ、班長がこの場にいたら、本番でミッションを終えるまで胃痛でかなり苦しみそうだが。


「タイミングをはずしたら散々言われそうだ。なんとしてでも、完璧なタイミングでミッションコンプリートを目指す」


 その口調を聞いて、ピンときた。


「あー、隊長、それって……」

「なんだ」

「負けず嫌いっちゅーやつでは?」


 隊長は、少しだけイヤそうな顔をした。どうやら図星だったらしい。


「そういう影山かげやまはどうなんだ。海自に、空自は大したことないと言われても平気か?」

「とんでもない。飛ぶからには完璧に、ですやん。ま、飛ばんでええなら、それに越したことはないんですけど」

「今から言っておく。お前は飛ぶんだ」

「はー、やっぱりかいな……」


 後藤田ごとうだの錬成も進んでいることから、少しは期待したんだが、どうやらまだまだ師匠として飛ばなくてはならないようだ。そしていつもの部屋に入ると、全員がそろっていた。隊長の顔を見たとたんに、様々な質問が飛んでくる。



「海自の担当官、どんな感じの人でした?」

「やっぱり護衛艦乗りですか?」

「イメージ通り礼儀正しかったですか?」

「それともよく遊びに来る海軍さんみたいな人でした?」

「ツンツンしてる人ですか?」



 飛んでくる質問は、観艦式とはまったく関係のないものばかりだ。質問を投げかけられる隊長も、それに気づいて苦笑いをしている。


「お前達、一体、なにを聞きたいんだ? 観艦式での展示飛行の話じゃないのか」

「これから何度も打ち合わせをするわけですから、どんな人か気になります」


 葛城かつらぎが真面目な顔をして言った。


「それ、本気で言ってるのか?」

「もちろん好奇心も混じってます」


 こういうところは葛城は実に正直だ。


「そのあたりを話さないと、こっちの話は聞いてもらえそうにないな。影山、広報担当として、どうだったか話してやれ」

「え、俺ですかいな。そこは隊長が話したらええんちゃいますの」

「話せ」


 隊長命令となればしかたがない。


「残念ながら可愛いおねーちゃんではなかったで。年は見たところ、俺と同い年ぐらいやな。階級も三佐さんや。海自さんやけど、小月おづきで教官をしてるパイロットらしい。それでも良い感じの『ザ・ミスター海自さん』タイプやったな。こんなところでええん?」


 全員がまあまあ納得した顔をした。


「今ので満足なん? ほんまのところは、なにが聞きたかってん?」

「別に護衛艦乗りに偏見をもってるわけじゃありませんけど、相手がパイロットとわかって安心しました。飛ぶ時の事情を知っている人のほうが、なにか問題が出てきても話もスムーズでしょうし」

「なるほど」


 どうやらそういうことらしい。


「さて、では全員が安心したところで話をしておく。観艦式での我々のプログラムだが……」



+++++



「飛びたないは封印なんやて」

「え、そうなんですか?」


 ロッカーで、午後からの飛行訓練の準備をしながら、横にいた葛城に愚痴った。


「お客さんがおるやん? せやから上がるまでは黙っとけって隊長と班長が」

「でも、三佐の愚痴りはあっちでも知られている気がしますけどね。岩国いわくにでも愚痴りながら飛んだわけですから」

「俺もそう言うたんやけどな。なにごとにも例外っちゅーもんがあるから、用心に越したことはないんやて」

「どんな用心……」


 もちろん、上がってしまった後は好きにしろと言われている。つまりは「飛びたない」だけを封印しろということなのだ。


「はー、そんなん言われたら調子狂うで。ますます飛びたないやん。ここから出とうないわー」


 ちなみに、ロッカーにいる間は好きに話せと言われているので、問題ない。


「それはお気の毒さまです。だけど俺も、三佐の愚痴りを聞かないと調子でないかも」

「せやろ? ほんま、調子狂うわー、あかんわー、もう、すぐにでも悪天候にならんもんかいなあ」

「残念ながら今日もいつものように晴天です。あ、おにぎりはどうなんですか? あれも封印?」

「そんなことあるかいな。嫁ちゃんのおにぎりまで封印されたら、絶対に飛ばへんし」


 そう言いながら、ラップに包まれたおにぎりを取り出す。実際は、おにぎりもやめておくべきか?という話にはなったのだ。だが、もうテレビでも流れたことだし、そこは問題ないだろうということになった。


「はー……まったく」


 葛城を置いて、ヘルメットと装備一式を手に出る。ハンガー前のいつのも場所に行くと、青井あおいが待っていた。


「今日は班長も飛ぶん?」

「いや。俺は、影山が例の単語をうっかり発しないようにするための監視役」

「なんやねん、それ。もー、ほんまに……」


 青井がお茶の缶を目の前に突き出す。


「おい、その続きを言ったらダメだろ。これは隊長と班長からの命令なんだからな」

「かなわんで……」

「グチグチいうヒマがあるなら、さっさとおにぎり食べろよ。食べている間はしゃべるヒマないだろ?」

「おにぎりを食えと言われる日が来ようとは……」


 いつもの場所に装備を置くと、その場でおにぎりのラップをはがした。午後のおにぎりはオカカ梅だ。


「なあ、お客さんは管制塔のほうにおるんやろ? せやったら……」

「ウォークダウンは見てもらうんだ。だから、れいの単語は禁止」

「せっしょうや……」


 食べ終わると同時に、さっきの担当官が、うちの広報に連れられてやってきた。


「さて、ほな、そろそろ行ってくるわー」


 班長から渡されたお茶を一口飲んでから、その場を離れた。空を見あげれば雲一つない晴天だ。今日も一区分間違いなしの天気だった。


「れいの単語、封印なんですって?」


 五番機の点検をしていた坂崎さかざきが、ニヤニヤしながら声をかけてきた。


「笑いごとやないで。調子狂ってしゃーないわ」

「ま、しかたがないですね、お客さんがいるんですから」

「あかんわー、めっちゃ落ち着かへん」


 持っていた装備を足元に置き、機体の点検を始める。今日も優秀なキーパー達のおかげで異常なし。


「それ以外なら問題ないんでしょ? 適当に愚痴ったら良いじゃないですか」


 神森かみもりが笑う。


「せやから、笑いごとやないんやて。俺はな、ほんまにアレやねんから」

「「「アレ」」」


 三人のキーパーが声をはもらせて笑う。せやから笑いごとやないねんて……。


「ほんまに、アレやねん、アレ。あーーーー、もうアレアレさんやで!! 今日も無事に訓練が終わりますように、アレやけど!!」


 空に向かってそう叫ぶと、いつもの集合場所に向かった。

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