閑話3

閑話 季節はずれの怪談

 昼飯後の休憩時間まったりしていると、青井あおい葛城かつらぎが、俺の横でなにやら不穏な話をしはじめた。


「一駐屯地に一幽霊みたいな話はあるけどさ、あれって陸自だけじゃなくて空自うちでもあるんだよな」

「そうなんですか? 俺はてっきり、旧陸軍の跡地の関係でそういう現象があるんだと思ってました。こっちでの話ってどんなものがあるんですか?」

「えーと、俺が聞いたことがあるのは……って、影山かげやま?」


 場所を移動すると、班長が俺を見た。


「なんでそんな離れた場所に移動するんだよ。離れたら俺達の話が聞こえないだろ?」

「俺にも聞かせるつもりやったんかいな」

「当たり前じゃないか。まったく……」


 そう言いながら、葛城と二人で俺の近くに移動してくる。


「なんでこっちに来んねん、そこにいときーや」


 ふたたび二人から離れた場所に移動した。


「なんだよー、せっかく仕入れてきたんだから、影山も聞けよー」

「あかんあかん、そういう話は聞かんで」

「たんなる噂話だろ?」


 そういう問題じゃない。今まで誰にも話したことはなかったが、俺はその手の話が苦手だった。作り話だろうがなんだろうが、オカルト系の話はこの先ずっと、距離をとっておきたい存在なのだ。


「そういう問題やないんやて。それにや、なんで今になって怖い話やねん。そういうんは夏休みの間にするって、相場がきまっとるやろ? なんで今やねん。もう新学期が始まって九月やで」

「でもまだ夏みたいに暑いですよ?」

「大事なんは気温やのうて季節やで」


 俺の言葉に、葛城が首をかしげる。


「でも、幽霊に季節なんて関係ないと思いますけど。冬場にも出たって話は聞きますし」

「幽霊とか出たとか言うな。とにかく、俺は聞かんで。あ、せや、坂崎さかざき耳栓みみせんもってるやろ? 一組くれ」


 俺の横を通りかかったキーパーの坂崎に声をかけた。青井と葛城は不満げな声をあげたが、知ったことじゃあない。とにかく、俺は聞かないからな。坂崎から受け取った耳栓みみせんを耳に突っ込んだ。


「ほな、どうぞ」


 二人はしばらく俺のことを見つめていたが、やがてあきらめたのか話を再開した。


―― まったく。最近はオカルト系の特番が減って安心しとったのに、予想外のところで災難やで…… ――



+++++



「そう言えば聞きました?」


 その日の朝、ブリーフィングをおえ、外に出たところで葛城が俺に話しかけてきた。


「なにを?」

「昨日、深夜の巡回をしていた警備科の隊員が、二階のトイレの異常を見つけたそうです」

「トイレが壊れたんか? あそこのトイレ、新しくしたばかりやんか。そんなん経理が聞いたらカンカンやで」


 予算の関係上、自衛隊の予算の執行は防衛上必要な装備が最優先で、隊員達が使う基地設備に関しては後回しにされがちだった。だが、最近になってイベントなどで民間に開放することも増え、それにあわせてトイレの設備を新しくするところが増えていた。そしてこの基地のトイレもようやくすべてが洋式となり、さらにはウォシュレットが設置されることになったのだ。


「いえ、壊れたわけでじゃなくて、誰もいないのにウォシュレットが」

「あーあーあーあー!! あかんあかん、聞きたないで! それ以上ここで話したらあかん! そういうんは班長と話して」


 耳を両手でふさぎながら言う。俺のカンが正しければ、葛城が話そうとしたのは、俺が距離を置きたい存在の話だ。


「そんなこと言っても。トイレは俺達も使うから、どこで異常が起きるか知っておかないと、困るじゃないですか」

「あかんあかんあかん、もー、そんなの聞いたら基地のトイレ、行かれへんやん! とにかく二階のトイレは絶対に使わへん。それでええんやろ?」

「そりゃまあ? でもそれって、二階のトイレだけで話がすめばの話ですよね」

「あかーん、そういうゲンの悪いことは言うたらあかん!!」


 そして案の定、その話を聞いてから数日後、二階だけではなく、基地内のあちらこちらのトイレで実害が起こりはじめた。


 パネルを操作したら隣の個室のウォシュレットが動き出し、たまたまそこを使っていた基地司令の尻を洗い出したとか、水がとまらず個室から出られなくなった隊員がいるとか。


「ほら、言わんこっちゃない。葛城があんなこと言うからや」

「俺のせいですか?」

「口は災いの元ってゆーやんか」

「でも、基地内ではその話でもちきりでしたし、俺だけのせいとも言えないのでは?」


 しかもこの現象、男子トイレ限定で起きるというのだからシャレにならない。


「なあ、それ、トイレが壊れたんちゃうん? 施工業者に確認してもろうたら?」

「でも取りつけたばかりですよ? 基地内の男性隊員が待ち望んでいた、ピカピカの新品です。それに男性用だけっておかしくないですか?」

「それか、操作を誤ったとか?」

「戦闘機のコンソールを問題なく操作している自衛官が、ウォシュレットの操作パネルで誤操作するとでも?」


 たしかに。俺達があつかっているのは、ウォシュレットよりもっと複雑な計器類だ。それにトイレに関しても、工事後に全員が使用方法の説明を聞いている。一度ぐらい間違うとしても、これだけ頻繁ひんぱんにトイレ限定で誤操作するとは考えにくかった。


「影山さんは、その被害にあったことはないんですか?」

「今のところはないで。葛城は?」

「俺もないです。ただ、止まらないと叫んでいる声は聞きましたけど」


 そう言って、葛城は気の毒そうに笑う。


「みんな嬉しくてウォシュレットを使いまくってましたから、使いすぎて機械が反乱でも起こしてるんですかねえ」

「怖いやん、やめーや……」

「偵察するしかないね」


 後から部屋を出てきた青井が、俺達に声をかけてきた。


「偵察? なんの?」

「トイレに決まってるじゃないか。偵察メンバーは俺と沖田おきた、影山と葛城な」

「なんでやねん」

「理由はない」


 理由はないってどういうことやと、思わずツッコミを入れた。


「それって、単なる班長の好奇心を満足させるためやないのん?」

「そんなことないさ。トイレは大事だろ? 基地の皆がトイレに行けなくなったら困るじゃないか。とにかく、今夜、原因究明のために偵察することにする」

「いきなり今夜とか。やっぱり業者を呼んだほうがええんちゃうん?」


 いきなりの無茶ぶりに抗議したが、まったく耳を傾けてはもらえなかった。なんでやねん。



+++



「ほら、聞こえますよ」


 葛城の指摘に、その場で耳をすます。たしかに、ウィーンウィーンと機械的な音が。トイレから聞こえてきた。しかも、よりによって一番奥の個室だ。


「ほんまやな。なんで動いとんねん。あれ、ボタンを押さんかったら動かへんはずやんな?」

「そのはずですけど」

「ところでオール君や、ちょっと気になってることがあるんやけどな」

「なんでしょう」

「これ、なんで俺が先頭やねん?」

「はい?」


 トイレの様子を見にきたのは俺を含めて四人。俺の後ろに葛城、そして青井、隊長と続いている。


「こういう時、普通は隊長が先頭なんちゃうん?」

「そうなんですか?」


 葛城はそう言いながら、後ろを振り返った。


「俺は遠慮する」

「だそうです」

「だそうです、やのうて」

「ちょっと見てこいよ、影山」


 青井が俺の背中を押す。


「なんでやねん。班長が見にいったらええやん、総括班長やろ? それに偵察するって言いだしたの、班長やんか」

「俺の仕事の範囲にトイレは含まれてないよ。それとこれ、班長命令だから」

「なんでそこで班長命令やねん。俺かてトイレは任務外やろ」

「だがここのトイレは俺達も使う場所だ。まったく関係ないわけじゃないな」


 隊長が口をはさんできた。


「せやったら隊長が」

「だから俺は遠慮する」


 なんでやねん。


「ほな、口は災いの元でオール君が見にいけばええやん」

「俺も遠慮します」

「行ってこい、影山。これは隊長命令だ」

「なんでやねん……」


 三人に無理やり押しだされるようにして、トイレに入った。そして、そろそろと奥の個室へと接近する。音は間違いなく一番奥の個室から聞こえていた。


「なんで俺が見んならんねん、こういう時こその班長と隊長やんか……」


 ブツブツつぶやきながら個室の前にいくと、半分しまっているドアをそっと指で押した。聞こえていた音が大きくなった。


「……動いとるで」


 便器の中では、ウォシュレットの水を出すノズルが出たり入ったりしていた。水は出ていないようだ。試しに止めるボタンを押してみようと手をのばしす。すると、いきなりノズルから水が噴き出した。


「うぉぉぉぉ?!」


 慌てて便座のフタをしめる。かなりの勢いで噴き出しているらしく、水圧でフタがパタパタとはねた。


「こんなん、座ってる時に出たらケツがヤバイで、ほんま」


「影山?」

「大丈夫ですか?」

「どうなっている?」


 三人がトイレの入口から声をかけてきた。心配そうな顔をしているが、本気で俺のことを心配しているなら、なんでここまで入ってこないんだ?


「大丈夫やないで、まったく……あやうくずぶ濡れやん、しかもトイレの水で」


 しばらく様子を見ていたが、水はいっこうに止まる気配を見せない。


「コンセント、抜くしかないんか?」


 便座の横にあるコンセントのプラグを抜いた。だが水の勢いは相変わらずだ。


「ん? なんでや? これ、電気で動いてるんやんな?」


 電源が失われているのに、なんで水が噴き出し続けているんだ?


「……はんちょー?」

「どうした?!」

「コンセント抜いたのに、水が止まらへん。なんでやーーーー?」

「な、なんだってーーーーー?!」


 しばらくの沈黙の後、冷たいものが背中を流れ、俺達は一目散いちもくさんにその場から逃げ出した。



+++++



 それから数日後、トイレの工事をした施工業者が点検にやってきた。どうやら配線ミスが数か所で見つかったらしく、それが今回の誤作動騒動の原因ということだった。


「せやかて……コンセントを抜いても水、止まらへんかったやん?」

「そうなんですよね……その点だけが謎です」


 葛城がうなづく。だが、施工業者が配線をしなおしてからは、トイレの誤作動はおきていない。つまり、原因は本当に配線ミスだったということなんだろう。


「俺達が気がつかないだけで、まだ動いてるトイレがあったりして」


 青井がボソッとつぶやいた。


「やめーや、班長、怖いやんか!」

「冗談だよ。本当に怖がりだな、影山」


 だがもしかしたら今も、青井の言うとおり、誰もいないトイレでウォシュレットが勝手に動いているかもしれない。


 ……あかんて!! あかんあかん!! 怖い話はかんにんや!!

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