影さんの実家

達矢たつや、あんた、ほんまに新幹線で乗り継いでいく気なんかいな!」


 大阪おおさか駅で途中下車した俺に、オカンが最初に投げつけたのは、そんな一言だった。


「そのつもりやで?」

「こんな小さな子をつれて! いったい何時間かかる思うてんの! なんで飛行機で一思いに飛んでいかへんの?!」

「だって俺、飛ぶのイヤやし」

「イヤやしって! ほな、なんでパイロットになったん?!」

「そこが不思議なんや、それこそ影山かげやま家七不思議のひとっ……イテッ」


 とうとう頭をはたかれた。


「ほんまにこの子ときたら! 真由美まゆみさん、かんにんなー? ちっちゃい子つれて、ほんまに疲れたやろー?」

「いえ。グリーン車でしたし、みっくんも電車が大好きなので、良い子にしてましたから。それに、みっくんのことは、ほとんど達矢さんが面倒を見てくれていたので。疲れているとしたら、きっと私ではなく達矢さんのほうですよ」


 嫁ちゃんがニコニコしながら答える。


「それにや。新幹線使わへんかったら、こうやって大阪で途中下車して、一泊もできひんかったんやで?……イテッ」


 ふたたび頭をはたかれた。


「あんな、親孝行っちゅうもんは、自分の妻と子供のことを差し置いてまですることやないの!! 真由美さんとみっくんを疲れさせてまで会いたいとは思わへんよ、オカーチャンは!!」


 目を吊り上げて怒っている。そんなオカンを見ていたチビスケが、少しだけ不安げな顔をした。


「ばーば、あいたくなかったー?」

「ほれみい。そんなこと言うから、みっくんが自分と会いたくなかったんかって心配してるやんか」


 とたんにオカンは甘々なおばーちゃんの顔になる。


「そんなことあらへんよ、みっくん。ばーばは、みっくんとママに会えてほんまにうれしいんやでー」

「パパはー?」

「……そら、パパにも会えてうれしいで?」


 そう言いながら俺のことをキッとにらんだ。


「あんな、ほんまは大阪ここで途中下車せずに、東京とうきょうまで一気に行ってまう気やったんや。せやけど、せっかくやしオカン達に孫の顔を見せたいと言ってくれたんは、嫁ちゃんなんや。つまりこれは、俺だけの親孝行やのうて、俺と嫁ちゃんの親孝行なんやで?」

「それは結果論や。あんたが飛行機を使わへんから、そういう選択肢が出てきたんやろ?」


 まったく、うちのオカンときたら。


「はー……嫁ちゃんや、こんなんやで。ほんまに今日うちに泊まってくんか? このまま仙台せんだいまで、一気に行ってまうほうがええんちゃう?」

「でも、せっかく降りたんだから、達矢君ちにお泊りしていこう? たこ焼きとお好み焼き、皆でつくるのをみっくんは楽しみにしてるし」

「じーじのたこやきー、おここみやきー!!」


 チビスケが声をあげた。


「ああ、そうやったな。ここで引き返してもうたら、オトンはみっくんに会えずじまいやもんな」


 オカンはこうやって改札口まで迎えに来たが、オトンは駅前のコインパーキングで、車をとめて待っているらしい。


 理由? 理由は駅構内が人であふれかえっているからだ。うちのオトンは、基本的に一人で静かにすごしたい人間だった。まあそんな人間が、どうして口から生まれてきたようなオカンと結婚したのか、これこそ影山家七不思議の筆頭ってやつだ。


「ほな行こかー」


 俺達は人混みを横切って、車が止めある場所へと向かうことになった。


「ねえ達矢君」

「なんや?」


 俺達の前を歩いているオカンを見て、嫁ちゃんがささやいてくる。


「あいかわらず、お義母かあさんのモーゼ現象すごい」

「あー……ほんまやで。なんやろな、この現象」


 俺達の前を歩いているオカン。これだけ大勢の人が歩いているのに、なぜか母親が歩いていると、その前の人混みがきれいに二つに分かれて道ができるのだ。それを初めて見た時に、感動した嫁ちゃんがつけたのが『お義母かあさんのモーゼ現象』という名前だった。


「ほら、なにもたもたしてんの? はよう行かんかったら日が暮れてしまうで?」

「まだ昼前やけどなー」

「なんやて?!」

「なんでもないでー」


 俺と嫁ちゃんは顔を見合わせて笑いながら、オカンの後ろに続いた。


+++


「じーじー!!」


 車の横に立っていたオトンをいち早く見つけたチビスケが、嬉しそうに声をあげた。オトンもチビスケの声が聞こえたのか、満面の笑みで手をふってくる。


「ほんま、みっくんはじーじが好きやなあ……ちょっと、おとなしゅうしとき。落ちるで」


 抱っこしている俺の腕の中で、ジタバタするチビスケに注意をする。


 本当にチビスケのオトン好きは不思議だ。うちのオトンは寡黙かもくで、特にチビスケと積極的に遊んでいるわけではなかった。どちらかと言えば家の縁側に座り、庭で遊んでいるチビスケを見守っているだけのことが多いのだ。なのにうちのチビスケときたら、じーじが大好きでしかたがないらしい。


「じーじー!」


 目の前までいくと、チビスケがオトンに手をのばして抱っこをねだる。オトンはねだられるまま、チビスケを抱きとめた。


「おう、みっくん。しばらく見んうちにおおきゅうなったな。そろそろじーじも抱っこがきつうなってきたわ」

「大きくなったやろ?」

「ほんまにな」


 俺がそう言うと、オトンはニッコリと笑った。そして嫁ちゃんのほうに目を向ける。


「真由美さんも九州きゅうしゅうからお疲れさんやったな。わざわざ途中下車までして寄ってくれておおきにやで」

「こちらこそ、今日はお世話になります」

「ほな、行こかー、はようせんかったら、日ぃくれるで」

「まだ昼前やけどなー……」


 夫婦そろって同じことを言っているのに気づいた嫁ちゃんが、声をころして笑った。


 俺の実家は大阪の中心部からは少し離れた場所にある。結婚した当時、母親はもっとにぎやかな場所が良かったらしいんだが、父親が静かな新興住宅地のほうが子育てには向いていると言って、ここに居をかまえたらしい。今ではたくさんの家が建ち、すっかり大阪市郊外の住宅地として定着していた。そしてここが俺の故郷だ。


「まさか、お前がブルーとはなあ……」


 実家に到着すると、オカンと嫁ちゃんがたこ焼きパーティーの準備をしている間、俺とオトンは、チビスケが庭で遊んでいるのを見守ることを命じられた。そして男二人、縁側に落ち着くと話は自然と俺の仕事のことになった。


「そうやねん。びっくりやろ?」

「飛びたくないがついにここまで来たか~」

「なんでやろうな」

「イヤもイヤも好きなうちってやつやろ」

「いや、俺はほんまに飛びたないねんてば」

「そーかー?」


 オトンは俺の言葉に首をかしげる。


「そうやねんて」

「ほー……」

「ほーやないねんて」

「ほーん」

「ほーんでもないねんて」


 久し振りのオトンとの会話が、いつも通りで安心した。このなんとも言えない微妙なやり取りが実に落ち着くのだ。


「大阪やと、どこが一番近いんや?」

「ブルーが来る基地か? どうやろな、小松か小牧? あとは海自の岩国?」

「お前が飛ぶんを見るの楽しみにしとるわ。うっかり忘れそうやけどな」

「息子がどこにいるんか忘れるんかい」


 思わずツッコミを入れる。


「しかし東松島ひがしまつしまか。また遠いとこやな」

「そうやな。でも嫁ちゃんの実家が近いから、嫁ちゃんは心強いと思うわ」

「ああ、そうやったな」


 そうだったと相づちをうった。


「あっちは大丈夫なんか? もう落ち着いたんか?」

「そこは心配なしや。新しいお店もオープンしたし、お客さんも戻ってきてるらしい」

「そうか。それやったらええんやけどな。もしなにか困ってることがあるようやったら、遠慮なくこっちに言ってきたらええからな? 助け合ってこその親戚づきあいやから」

「わかってる」


 お互いに大阪と宮城みやぎと離れているせいで、なかなか顔を合せる機会がない俺の実家と嫁ちゃんの実家。それこそきちんと全員が顔を合せたのは、結婚式の時だけだったかもしれない。そのせいもあって、オトンは遠く離れた嫁ちゃんの実家のことを気にかけていた。


「じーじー!」

「どないした、みっくん」

「パパ、ブルー!!」

「おお、そうなんやてな。パパ、ブルーになるんやて?」

「まだないしょー!」

「内緒なんかいな。そうなんか?」


 オトンがこっちを見る。


「まあ、あまり人様に言うことではないわな。どうなるかわからへんし」

「ほな、それ、おかーちゃんにしっかり言い聞かせておかなな」

「ほんまや、たのむで」


「用意できたでー!」


 オカンの元気な声が後ろからした。


「みっくん、たこ焼きパーティのスタートらしいで」


 オトンがそう言うと、チビスケは喜んで靴を脱ぎすててあがってくる。


「たこ焼きする前に手、洗わんとあかんで。行こかー?」

「はーい!!」



+++++



 翌日、オカンとオトンはホームまで見送りに来てくれた。


「大丈夫なんかいな、人混みで倒れへん? 帰りはきぃつけや?」

「心配あらへん。それよりおかーちゃんこそ大丈夫かいな、どこまで行ったんや。そのへんで人を蹴散らしてへんか?」


 オカンはなにか買ってくると言って、俺達とは別行動をしていた。そろそろ俺達が乗る新幹線が到着するころなんだが……。あたりを見回して探していると、紙袋を持ったオカンが足早にこっちにやってきた。


「ああ、間に合った」

「なにしとったん」

「はい、真由美さん。これ、カツサンドとアップルパイ。新幹線の中で食べてな」


 オカンが嫁ちゃんに渡したのは手に持っていた紙袋。中をのぞくと人数分のカツサンドとアップルパイが一箱、そしてお茶と紅茶のペットボトルが数本入っていた。


「オカン、買いすぎやで。中で車販あるんやから……」

「せやかて車内販売が通らへんかったら一大事やん。持っていき。東京からまだ先に行かなあかんのやし。あまったら家についてから食べたらええやん」

「ありがとうございます。これ、新幹線のホームでしか売ってないやつですよね? 嬉しいな、一度、食べたかったんです」


 嫁ちゃんが嬉しそうに言う。


「そうなんか?」

「そうやで。お土産に買うていこうと思ってて、いっつも買えへんかったんや。今日はあって良かったわ」


 ホームに、新幹線の到着を知らせるアナウンスが流れた。さて、そろそろ長距離移動の再開や。


「ほな、気ぃつけて」

「おう」

「真由美さん、うちのアホ息子のこと、よろしゅう頼みます」


 オカンがあらたまった態度で頭をさげた。


「アホってなんやねん」

「お任せください。ちゃんと元気に飛ぶように、責任をもって後押ししますから」

「そっちかいな。はー……飛びたないんやけどなあ……」

「ばーば、じーじ、ばいばーい!」

「ばいばい、みっくん。あっちのばーばとじーじにもよろしゅうな?」

「はーい!」


 オカンとオトンが、チビスケとさよならの握手をする。


「真由美さんの御両親にもよろしゅうな」

「わかった」


 新幹線がホームに入ってきた。新しく導入されることになった新型車両だ。チビスケはあっという間にそっちに気をとられ、じーさんばーさんのことなんてほったらかしになった。その様子に大人達は苦笑いするしかない。


「じゃ、またな」

「お世話になりました」

「道中、気ぃつけて」

「あっちについたら電話してな」


 俺達三人は二人に見送られて新幹線に乗り込む。


「さー、こっからがまた長いで~~」


 外で手を振る両親達を残し、俺達を乗せた新幹線は東京に向けて出発した。

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