シャウトの仕方なかった日常
松島基地へ
―― 時間をさかのぼること三年とちょっと前。
「
その日、朝のブリーフィングが終わった直後、部屋から出ようとしたところで、飛行隊隊長の
「なんでしょうか」
「ここ数年、航空祭での展示飛行を含めて、お前の飛行技量を見てきた」
「はあ」
なにか気になるところでもあったのだろうか。だが、そういうことがあれば隊長の性格からして、その場で指摘がはいるはず。ということは、なにか別のことだ。自分の前に立つ隊長の顔をジッと見つめたが、困ったことに、常に悟ったような顔をしている杉田隊長の表情はまったく読めない。
「行ってこい」
30秒ほど次の言葉を待ったが出てきそうにないのでこちらから質問することにする。
「……あの、隊長? 俺にどこへ行けと?」
隊長の簡潔すぎる会話は相変わらずだ。おそらく隊長の頭の中では、きちんと理論だてた文章ができあがっているのだろう。なのになぜか口から出るのは、簡略されすぎた言葉というか単語というか。隊長と問題なく意思疎通ができるのは、おそらく基地司令の
「
「……は?」
「ブルーインパルス。知らないのか?」
松島基地所属の第4航空団飛行群第11飛行隊、通称ブルーインパルス。様々なイベントで曲技飛行を
「ブルーインパルスぐらい知ってますわ。そこは理解しましたが、あそこは、志願したパイロットの中から選抜するんやなかったですか?」
「そうだな」
「……」
「……」
この状態で、隊長はなにをどう察せよというのだろうか。
「あの隊長。察しの悪い部下で大変申し訳ないのですが、順序立てて話してもらえませんでしょうか? 自分にはなんの話かさっぱりですわ」
「だからお前の松島への転属が決まった」
「そこは分かりました。ですがあそこは、志願しないと行けないのでは?ということなんですが」
「志願しておいた」
「……は?」
いや待て。俺は志願した覚えなんてまったくないぞ? しかも今の返答、「志願しておいた」ってなんやねん。
「お前が一向に志願しないから、狭山司令と話し合い、お前が志願したから推薦したことにした。次の異動で転属だ」
「……それはもう志願と言わないのでは?」
しかも次の異動て再来月やないか。
「そうか?」
あまりにもナチュラルに聞き返されて、自分の理解力がおかしいのか?と心の中で首をかしげた。いやいや、俺、なんもおかしゅうないわな、まともやろ。
「さらなる技量向上をはかれて、お前にとっても良いことだ。うちの飛行隊にとっても喜ばしい。そうだろ?」
「そうだろって……まあそうなんでしょうが」
杉田隊長も、ブルーインパルスで五番機ライダーとして飛んでいたパイロットだ。その隊長が言うのだから、その点は間違いないのだろう。だがあそこは、飛ぶのを見せるのが任務なんだぞ? しかもやるのは、アホみたいな機動の曲技飛行だ。ただでさえ飛びたくない俺が、あそこに行くのか? なにか間違ってる気がしないか?
「俺ではなく
「あかん」
そんな真面目な顔をして似合わない関西弁で返されては、ツッコむこともできない。
「心配するな。任期が終われば、ちゃんと築城に戻ってこれるようにしておく」
「この際ですから、あっちから戻ってきたら地上勤務に配置替えなんてことは……」
「残念ながらそれはない」
「そうでっか……」
つまり戻ってきたら、あっちで身につけたものを、パイロットとして余すことなくここで役立てろということやな。
「影山、お前の奥さんは
「ああ、はい。妻の両親は、基地の近くで定食屋をやってますわ」
「だったらお前の異動は奥さんにとって、久し振りに懐かしい故郷での暮らしができるということだな」
俺が嫁ちゃんと出会ったのは、俺が松島基地でF-2操縦課程を受けている時だった。あれから十年。実家から遠く離れた築城にも、文句を言わずについて来てくれたことには感謝している。そうか、俺がブルーに行けば嫁ちゃんとチビスケ、そして嫁ちゃんの御両親は、少なくとも三年間をすぐそばで暮らすことができるわけやな。
「決まりだな。行け」
俺の考えを読んだのか、隊長が命令口調でダメ押しをしてくる。
「行けって、まだ受けるかどうかの返事はしてませんやん」
「志願しておいて、断るということがゆるされるとでも?」
「いやせやから、それは隊長と司令が勝手に俺が志願したことにしたんやないですか」
「そうなのか?」
「そうなのかって……」
だから、その悟りきった顔でこちらを見つめないでほしい。まったく反論しにくくて困るやないか。
「俺が毎日のように、飛びたない言いながら飛んでるのを知ってて、そんなことをするんやからなあ。まったく隊長も司令も性格悪いですわ」
そこで初めて隊長は笑みを浮かべた。
「お前の愚痴が聞けなくなるのは寂しい。俺も皆も……航空祭の来場者も減るかもしれない。出店している店の売り上げが落ちこんだら、困るところも出てくるかもな」
「心配するのはそこですかいな」
しかも来場者が減るとか売り上げが減るとか、
「だが心配するな。お前が抜ける三年間の展示飛行の穴は、きちんと俺が責任をもってうめておく」
「なんや心配するところが違うような気が」
「そうなのか?」
「……」
まったく。杉田隊長にはかなわへんわ……。
+++++
「ただいま~」
「あ、お帰り~~」
玄関のドアを開けて声をあげると、嫁ちゃんがチビスケと出迎えてくれた。ニコニコしながら玄関に出てきた嫁ちゃんの顔が急にくもる。
「どうしたの? なんか浮かない顔をしてるね」
「んー? そうでもないで? 今日も一日、なにごともなく無事にすごせてお疲れさんや」
「そうかなあ……なにか失敗でもして杉田二佐にしかられたの?」
「そんなことあらへんよ。俺はこれでも優秀やから。飛びたないだけで」
俺の言葉に、嫁ちゃんがおかしそうに笑う。
「
「そうやなあ……ほな、ちょっと聞かせたい話があるから、あっちで聞いてくれるか?」
「今? 後でじゃダメなの? せめて達矢君、着替えたら?」
「早いほうがええねん、俺の気が変わらんうちにな」
「そうなの? ……分かった」
俺に手をのばして抱っこをせがむチビスケを抱き上げると、三人で居間に落ち着いた。
「それで?」
「あんな、次の異動、つまり再来月なんやけど、松島基地に行くことになるねん」
「松島基地ってあの松島基地?
「松島基地やで」
嫁ちゃんは、少しだけ首をかしげて考え込む。
「でもあそこって、救難隊はあるけど今みたいな飛行隊はいないよね? もしかしてF-2の教官になるの?」
「ちゃうねん。俺の異動先はそこやのうて、ブルーのほうやねん」
「ブルー!!」
さすが長いあいだ東松島市住人をしていた嫁ちゃんだけあって、すぐに理解してくれた。
「本当に? 本当にブルーインパルスなの? 達矢君、ブルーインパルスのライダーになるの?!」
「転属はほんまやで。配属されても、人前で飛べるようになるかは分からへんけどな」
志願しても、飛ぶことなく原隊に戻ってくるパイロットもいるって話だ。いくら隊長や基地司令が俺の技量を見込んでくれていても、それがあそこで通用するかは誰にも分からない。
「達矢君なら大丈夫だよ! 絶対に飛ぶことになるって。で、何番機になるの?」
まったく気が早いこっちゃなあ、嫁ちゃんは。
「そんなんまだ決まってへんて。再来月の異動で、あっちに行くことになったって決まっただけなんやから」
「そうなの? あ、でも、杉田隊長って五番機ライダーだったんだよね? もしかしたら、その五番機を継承できるかもしれないんじゃ? すごーい、築城からリードソロが二人も出るなんて!」
「リードソロなんてムリムリ。だいたい、俺が飛ぶの嫌いなん知ってるやろ? あんな飛びかたするの、絶対にイヤやわ。あれ考えたヤツ、頭わいてるとしか思えんもんな」
何度か映像では見ていたが、あのポジションだけは、どう考えても自分に向いているようには思えない。
「ブルーのアクロを作り上げてきたのは達矢君の大先輩達なのに、ひどいこと言ってる~~」
「いやいや、絶対に頭わいとるって。まあとにかくそういうことやから、嫁ちゃんの実家がちこうなるやん? 住まいはどうしたいかなと思うてな。あと二ヶ月しかないから、もし実家近くでアパートなりマンションなりを借りるんなら、はよう準備せんならんやろ?」
もちろん官舎はある。だがせっかく実家と近くなるのだ、実家近くに住まいを借りたいと言うかもしれない。そう考えて、まずは嫁ちゃんの意思を確認しておかなくてはと思ったのだ。
「うちの実家、近くと言っても、前よりずっと基地から離れた場所になったからね。訓練が早い日なんかは大変だよ? だからやっぱり、住まいは官舎にしたほうがいいと思うな」
「それでええのか?」
「ここに比べたら、めちゃくちゃ近所になるんだもの。そのぐらい大したことないよ」
「ほな、引っ越し先は官舎に決めておいてええんやな?」
「もちろん。みっくん、パパ、ブルーになるんだって!」
嫁ちゃんは、俺の膝の上でご機嫌なチビスケに向かってそう話しかける。するとチビスケも、分からないなりに嫁ちゃんが喜んでいるのを感じたのか、ニパッと笑って俺の顔を見上げた。
「パパ、ブルー!!」
「せやなあ、なれたらええなあ、飛びたないけど」
できたらキーパーのほうが良かったんやけどなあ……あかんやろうなあ……。
そして二ヶ月後、俺達家族は基地近くの官舎に落ち着くことになり、俺はドルフィンライダーへの道を歩むことになった。はー……飛びたないのになんでやねんって話やろ?
■補足■
杉田隊長のセリフに関しては、白い黒猫さんにご協力いただきました。ありがとうございます(^^♪
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