第二十一話 いつもの遠征

「着替え全部そろってる?」

「チェック」

「歯ブラシと歯みがき粉いれた?」

「チェック」

「髭そりは?」

「チェック」

「おみやげリストは?」

「チェック、オールコンプリート、離陸OKや、行きたないけど」

達矢たつや君てばもう!」


 横に座って荷造り確認を一緒にしていた嫁ちゃんが、俺の肩を軽く小突きながら笑った。


「そんなことゆーたかてやな、ほんまに行きたないし飛びたないねんで」

「それが達矢君の今の任務でしょ? 岐阜ぎふではブルーファンも待ってるんだから、そんなこと言わないの。それに私だって、ネットで流れてくる写真を、楽しみにしてるんだからね」


 明日から、予行を含めて丸二日間自宅をあける予定だ。ブルーの五番機ライダーとして飛び始めて一年。こんなふうに、週末ごとに自宅を留守にすることは珍しくないが、今回は今までと少しばかり事情が違う。なんといっても嫁ちゃんが妊娠中なのだ。小さい息子と妊娠中の妻を残していくことは心配だった。


「せやかてなあ……」

「達矢君が出かけている間は、実家でまったりしてるから心配しないで。みっくんもお爺ちゃんお婆ちゃんちで、パパが迎えに来るの待ってるって言ってたから」


 嫁ちゃんの言葉に、隣の部屋で寝ている息子のほうに視線を向ける。枕元には青井が作った快晴祈願の「かげぼうず」が鎮座していた。しかも二体。


「まったく、いつのまに自宅にまで進出しとんねん、班長のテルテル坊主」

「昨日の帰りも、パパが岐阜で飛ぶからって、お友達とパパ坊主を振り回して大騒ぎしてたわよ」


 しかも「パパ坊主」とか。


「まてまて。影坊主は我が家だけにあるんとちゃうんか」

「残念でした、とっくに保育園にもありまーす」

「なんとまあ、えらいこっちゃやで」


 まったく油断も隙もありゃしない。


「とにかく、私も達矢君が飛んでる写真を見るの楽しみにしてるんだから、頑張って飛んでよね」

「嫁ちゃんはええんか? あっちでは、俺が嫁ちゃん以外の女性陣からキャーキャー言われるんやで」


 一昔前は、マニアックなオッサン達の多かった航空祭。最近は女性も増えており、なんと、ブルーの追っかけと称する熱烈なファンも存在しているらしい。


「そうなの? キャーキャー言われてるのって、沖田おきたさんと四番機の成宮なるみやさんだけだと思ってた」

「あの二人は別格で、ちょっとした殿堂入り案件や。でも俺も、それなりに人気があるらしいで。あの二人に比べたら、オッサン率高いらしいけど」


 俺に限らず、ブルーのサイン会では女性の姿が増えてきたような気はする。もちろん、今のブルーでダントツ女性陣に人気があるのは、やはり隊長の沖田二佐と四番機ライダーの成宮だ。サイン会になるとその列は、そりゃもう国民的アイドルでもやってきたんかと思うぐらいの長さになっている。よう腱鞘炎けんしょうえんにならんもんやであの二人。


かげさんと葛城かつらぎさんは、子供に優しいって評判になってるらしいよ?」

「ほーん。それで? 最初の質問に戻るけど、嫁ちゃんは俺が、お子様はともかく女性陣からキャーキャー言われてもええん?」


 俺の質問に、嫁ちゃんは少しだけ真面目な顔をして考え込んだ。


「そりゃあ、実際にそういうのを見たら、微妙な気分になるかもしれないかな」


 そしてニッコリと笑顔を浮かべる。


「でも、達矢君の一番のファンは、みっくんと私だってわかってるから。それに、みっくんより私の方が達矢君のファン歴長いんだよ、なんてったって、ブルーになる前からなんだもん。だから熱烈ファンな気持ちは誰にも負けないよ。もちろんみっくんにも!」

「おお、盛大なのろけやな、ごちそうさん」

「どういたしまして。それで明日からのおにぎりなんだけど、具はどうする?」


 荷造りが終わったら、次はおにぎりの具だ。あっちでの数日間、俺が機嫌よく飛べるかどうかは、嫁ちゃんのおにぎりにかかっていた。


「そやなあ……鮭とオカカははずせへんやん? ツナマヨは、もうちょっと待ったほうがええかな。せやったらあとはゆかりのまぜまぜか。……体調わるうなったら、すぐに医者に行くんやで? 我慢したらあかんからな?」


 やっぱり心配や、行きたないで、ほんま。


「わかってるって。みっくんと中の人と一緒に、パパの帰りをあっちの家で待ってるから、戻ってきたらすぐに迎えに来てね」

「おう。おみやげもこうてくるさかい、楽しみにまっとき」



+++++



 朝一番、今回のブルー支援機となるC-130輸送機が飛来した。待機していた隊員達が、ハンガー前に停止した機体に、必要な機材をどんどん運び込んでいく。それと並行して、ブルーの離陸準備も進められていた。毎度毎度、この時間帯はちょっとした戦場だ。


「はー、行きたないで、飛びたないで、めっちゃ晴れとるやん。ほんま、ちょっとは天気崩れるとかないんかい」


 フォークリフトで運び込まれるコンテナを尻目に、嫁ちゃんが持たせてくれたランチバッグを持って五番機へと向かう。たいていの荷物は支援機で運んでもらうことが可能だが、嫁ちゃんのおにぎりは特別あつかいだ。他のヤツに任せる気はさらさらない。


「おはよう、影山かげやま。ちゃんと日程分のおにぎりは持ってきたかい?」


 五番機の横では、ヘルメットと荷物を持った青井が俺を待っていた。


「おはようさん、班長。もちろんおにぎり準備よしやで。今日の後席は班長なん? ブリーフィングでは、単独やって聞いてたんやけど」

「おにぎり持参組は、一箇所にまとめておくべきなんだってさ」


 そう。青井が手にしている荷物の中にも、嫁さんが持たせてくれたおにぎりが入っている。つまりおにぎり持参組とは、俺と青井のことだ。


「誰がそんなことを?」

「沖田に決まってるだろ」

「まったく隊長ときたら。おにぎり関係なく、班長が俺のことをうまく空に追い立てられるって気がついたんやろ。最近このパターン多すぎやで」


 本番は別として、展開先に出発する時と松島まつしまに帰投する時の後席は、なぜか総括班長の青井になることが多かった。最初は単なる偶然かと思っていたが、どうやらそうではないと気づいたのは、ここ最近のことだ。嫁ちゃんのこともあって、俺がますます飛びたくない気分になっているのを察しているのだろう。


「ほんま、隊長はようおわかりで」

「俺は追い立ててなんかいないぞ。影山が勝手に飛んでいくんじゃないか」

「そんなことあらへんで。めっちゃ追い立てられてるやん、俺。葛城にしろ班長にしろ、ここ最近はどんどん口が達者になっていくやんか。特に班長の「影山、飛ぶんだ、さあ!」なんて聞いたら、なんやケツがムズムズしてかなんわ」


 青井は、俺が自分の口調を真似ているとすぐにわかったらしく、思いっ切り顔をしかめる。


「俺、そんなふうに言ってないぞ!」

「いんや、言っとるで。まったくなあ、「さあ!」やないねん、ほんま」

「だからそんな胡散臭うさんくさい口調で言ってないから」

「いーや、言ってる、間違いないで、いっつも「さあ!」ってゆーとる」

「なんでそこで両手をひろげるんだよ、そんなこと絶対にしてないだろ」


 二人で言い合っているところに、葛城と後藤田ごとうだがやってきた。今日の後藤田は、予備機を飛ばすことになっている。


「おはようございます、班長、影山さん。今日のフライトもよろしくお願いします」

「おはようさん。予備機を頼むで」

「了解しています」

「……俺はそんな胡散臭うさんくさい口調で言ってないのに」


 俺と後藤田が話している横で、青井はまだブツブツと文句を言っている。


「なあ葛城、後藤田。班長、俺に「飛ぶんだ、さあ!」って、しょっちゅうゆーてるよな?」

「だから、そんなふうに両手をひろげて言ってないだろ! だいたい影山は、毎日毎日飛びたくないって言ってるけど、絶対に飛びたがりだよ、俺にはわかるんだからな」

「そんなことあらへん。俺は間違いなく飛びたないで」


 飛びたがりなんてとんでもないで。


「そんなことある」

「そんなことあらへんて」

「影山は絶対に飛びたがりだ。俺の見立ては間違いない」

「せやからそんなことあらへんて。俺は飛びたない男なんやから」


 葛城が笑いながら俺と青井の間に割り込んできた。


「はいはい、お二人とも。そろそろ離陸準備ですよ、岐阜の空が二人を待ってますよ。予行のこともありますから、さっさと準備をして飛び立ちましょう」


 葛城の口調は、まるでチビスケが通っている保育園の保母さん達だ。


「今の聞いたか? 俺らのこと、保育園児かなにかと同じように扱ってるやん。俺は葛城の息子やないで」 

「うちの息子はまだ喋れませんから、三佐ほど手がかかりませんよ。飛びたくないとか行きたくないとか言いませんからね。まさか三佐、俺に岐阜までおぶっていけとか言わないですよね? さすがにコックピットで背負うのは無理ですよ?」


 葛城は、本気で言っているのか冗談で言っているのか、判断のつかない顔をしている。まったく葛城ときたら、ここ最近はますます可愛げがなくなってきたな。


「君、まったく失礼なやっちゃな」

「事実ですからね。ほら、早く準備にかかりましょう。ここでずっと立ち話してるわけにはいかないでしょ? マニアさん達が何事かって心配しますよ」


 葛城はいつものように、フェンスの向こうでカメラをこちらに向けている、マニア達を指でさす。きっと彼等には、俺達が仲良く談笑しているふうに見えているんだろう。俺はこんなに飛びたくないのに。


「ほら、手を振ってスマイルですよ、俺達はブルーなんだから」


 葛城はオヤジさんとよく似た笑顔を浮かべて、彼等に手を振ってみせた。


「まったくかなわんでほんま」


 文句を言いながらその場にいた全員で、フェンスの向こうにいるマニア達に手を振る。フェンス越しに彼等が手を振り返したのが見えた。


「はー、飛びたないわー」

「今日も、後藤田一尉ともどもよろしくお願いします」

「ほんま、くえんやっちゃ、オール君」

「お褒めにあずかり恐悦至極きょうえつしごく

「ほめてへんで」

「そうなんですか? ショックです、悲しいなあ」

「どこがやねん」


 さて、いよいよ出発だ。機体を点検し終わると、それぞれの機体に乗り込んで離陸準備にとりかかる。今日も五番機は快調、どこも異常なし。隊長率いる先発の四機が、滑走路へとタキシングを始めた。


『では影山、岐阜で待っている。六番機と予備機を頼むぞ』

「了解しました、隊長」


 つまり、四の五の言わずちゃんと飛んでこいということだ。一番機から順に離陸していくのを見届けてから、こちらもタキシングを始める。そして、滑走路のいつもの場所でいったん停止すると、管制からの合図を待った。


『こちら管制塔、ブルー05、06、07、離陸準備よろしいか』

「管制塔、ブルー05、06、07、離陸準備よーし」

『了解ブルー05。上空はオールクリア。隊長からの指示です、05、06、07、ワンタイムアクロ、ローアングルキューバンテイクオフで順次どうぞ』

「え?!」


 管制の応答に、青井がギョッとなってグリップを握ったのがわかった。


「了解、管制塔」

「影山、なんで単なる移動なのに、いきなりローアングルキューバンテイクオフなんだよ!」

「知らんがな。せやかて隊長命令や。ほな行くで。05、ブレーキリリースナウ、ローアングルキューバン、レッツゴー!」

「沖田のやつ、なに考えてるんだぁぁぁぁぁ!」


 耐えろ班長、きっと隊長は地元へのサービスのつもりなんだから。知らんけど。

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